出会い

数週間後、法的書類のやり取りが終わり…つゆはついに自分の城を手に入れた。


この充実した疲労感は生まれて初めて得るもので、つゆは満足していた。


つゆの城、三角屋根の家の“お隣さん”とは隣接しているわけではないが


改装が始まったりすれば騒音問題も生まれるかもしれないので先に挨拶へ行くことにした。

まずは同じ通りにある一番近い…とはいえ歩いて数分かかるが…

その家に昼間、茶菓子を持って伺う。




つゆ「あの、どなたかいらっしゃいますか?こんにちは…」


「誰じゃ、なんじゃ。」出てきたのは70歳くらいに見えるおじいさん。


付近にある田んぼの管理をしている方で、年齢よりも屈強に見える男性である。



つゆ「こんにちは。この度あの三角屋根のお家に引っ越してくることになった吉岡つゆと申します。これよかったら…」

すかさず大阪のデパートで買ったフィナンシェを出す。


「おかーーーさーーーん、ちょっと来てくれ」男性が叫ぶ。


男性は奥さんが来る前に

「うちは伊藤や、わしは和雄。かあちゃんは多鶴子や」といってくれた。


多鶴子「なに、大きい声だしてあんた…あら、どこのお嬢さん?」


こちらも年齢の割にシャキシャキした上品な女性。




つゆ「私は吉岡つゆと申します、あの三角屋根の…」


和雄「越してくるんやと。」


多鶴子「あら、お引越し。旦那さんはどこ?お子さんは?」


つゆ「いや…一人なんです」




「なに??」二人して驚く。


つゆ「ひとり暮らしする予定です」


多鶴子「…どっから来たの?」


つゆ「大阪です」


多鶴子「まあ色々大変なこともあると思うけど…分からないことあったらきいてくださいね」




女がひとり都市部から地方に引っ越してくるという事は何よりも多くを語るのか、詳しく聞いてはこなかった。


根掘り葉掘り聞かれる可能性を考えていたつゆは拍子抜けした。



つゆ「私こそ、なにかお手伝いできることあったらいつでも声をかけてください。なんの役に立たないかもしれないですけど…。」


こんな全く違う環境からきた女がひとりなんの役に立つんだ、と心の中で突っ込む。


その間、変な沈黙が流れたことは言うまでもない。




つゆ「あ、そういえば…あの山の中腹にある神社がここの氏神様ですか?そちらにお参りに行きたいのですが…」


和雄「そうや、行くなら早い方がいい。冬がきてしまったら山慣れてるやつでも難しくなっから」


多鶴子「明日なら少し暖かいみたいよ?気をつけてね。熊が出るかもしれないから。なにか大きな音を出しながら行くのよ。」




加藤ご夫妻はとても優しかった、つゆはひとまずほっとした。

神社への行き方を聞いて、お礼を言ってつゆは三角屋根の家に戻る。


「優しいご夫婦だったな、素敵。」


家に帰ったものの、掃除や改装アイデアを考える事に煮詰まっていたつゆは、早く行ったほうがいいというアドバイスもあり、思い立って教えてもらった参道へ向かう。



「…大きいな音か、そうだ!音楽鳴らしながら行こう。」


そう独り言をいい、ジムで走るときに聴く音楽ファイルを開けて爆音で鳴らしなが教えてもらった通り裏の山に入り、参道を登る。


「あいわな、あいわな、あいわな…♪」


スマホからの音だけでなく自分でも歌いながら機嫌よく登る。


参道は一本道と聞いていた。


だが、山道を歩き慣れていないつゆは「これは道なの?こっちが道?どっちが道?」となったり苦戦する。

そのうち、古い鎖の付いた岩場にぶち当たる。


角度はそんなにきつくないが岩肌は滑り、つゆのスニーカーでは登れそうにない。


「ん?なにこれ…これは正規ルートでしょうか…登れない。腕力と体の重さが合わない。どっかから回れないかな…」



そう思って、キョロキョロしながら、周り道を探した。

この選択が間違っていた。


回ろうとしてたはずなのに鎖の場所に戻れなくなってしまった。

この女の頭にはGPSが非搭載で、張本人がそれを忘れていた。

もちろんスマホは圏外。


「待って、待って。待って…こっちかな?」

「違った、あれ…私いまどっちから来たっけ。」

「なんで全部同じ木に見えるの…あ、あっち?」


ーちがう。


「これやばいんじゃない?…遭難するんじゃない?」もう泣きそうになってきた。

あっちでもない、こっちでもないと歩いて、知らず知らず山の奥へと向かってた。


半泣きになりながら心が折れないように

「ラーラーゥラララ、ララーウラーラララ、ラーラーゥラララ…(泣)」と

すでに何回もリピートしてるランニングミックスを歌っている。


その時、ガサガサと木々の奥の方から音がした。



「…今なんか聞こえた。熊さんなら来ないで!お願い…!」


出てきたのは…そう、熊だ。


「ぎゃーーー!熊さん!なんで!音鳴らして、しかも歌ってたのに!!終わった!!」


ここはすでに人の領域ではない、自然の領域だ。


熊からすれば「ぎゃーーー!人間!」で、ある。

つゆと目があった熊はパニックを起こし、つゆに向かって走ってきた。


「だめ!ほんと終わった!!!!」恐怖と痛みの想像で身が竦む。



つゆは途中で拾った長い棒を持ってたので、それを構えて防御の姿勢を取る。

それが精一杯のできること。


するとその時…突然左側の木々の茂みから、その熊よりも大きな影が飛び出てきて

熊に向かって体当たりをした。


熊は少し宙を舞い、着地するとびっくりして去っていった。



つゆ「わーーー!今度はなに!!!」


あまりにも大きな物体が大きな物体に向かってぶつかっていったのでつゆは最初熊同士の争いかとおもったほど。


男「助けたったんじゃ…」


つゆ「うそ、人なの?びっくりした…」


そう言ってその場でへたり込んでしまった。


よく見ると目の前に立ち塞がってくれているのは和服を来た大きな背。



天護「おまん…大丈夫か」

つゆ「へ…だ、大丈夫です。助けてくださりありがとうございます。」


助けてくれた上に心配してくれてるこの人は、どうみても2m以上あり、腕も足も丸太のように太い。


背中も広く分厚く、へたり込んでるつゆからは後頭部すらちゃんと見えてない。


そして、こちらを向かない。


「うわ、でっかい人…木こりさんとかかなぁ…」と内心思っていた。



つゆ「しかし…怖かった…絶対死んだと思った。」


その大男は振り向かないまま「立てるか」と短く聞く。




つゆ「はい…たぶん…あと10分くらいしたら…」


大男「…もう暗くなる、下山は諦めろ」


つゆ「へ?そんな登って来てないと思ったけど…」


大男「おまん…何時間歩いてたか分かってるか。」


つゆ「4時間…4時間も経ってる!」


いつの間にか、山に入って4時間以上も歩いていた。



つゆは持っていた木を杖代わりに立とうとするも

「あっ、無理かも。足が…」へなへなとまたへたり込む。



大男「…背に乗れ」短い命令とも提案ともとれるその言葉に

反射的に「いや、重いですよ。」と反応してしまう。


…変な空気が流れる。


立派な社会人みたいな顔してつゆは変な空気を作る職人。


「誰に言ってる?」と言いたげなのが背中から伝わってくる。



大男「…女一人くらい担げるわ。」

つゆ「普通の女より多少重いので、いや、多少じゃないかも…」

大男「じゃあそこにおるか」

つゆ「それは嫌です…」

大男「じゃあ、乗れ。」



つゆはうーんと悩みながらも、まだ顔も見せてくれないこの紳士の背中にありがたく乗ることにした。


目の前に屈んだ大きな身体に、つゆは背側から前に手を回ししがみつく。



大男「…儂の家が近いからそこに運ぶぞ。この辺りはそこしか建物がない。」


つゆ「はい、よろしくお願いします。」



そのままザッザッザッといとも簡単に山を進んでいく。


数十分後、あたりはすっかり暗くなったが、到着したのは

あの古い神社の鳥居の前だとすぐにわかった。


背中から降ろしてもらい、自分の足で鳥居の前に立つつゆ。



つゆ「ここ…ここに来たかったんです、私。ここにお参りがしたくて…」


古いけれど、立派なその鳥居を見上げてそう呟く。


大男「ほうか…」


つゆ「この神社の…関係者の方ですか?私、先にお参りさせてもらってもいいですか。」


大男「あぁ、ええぞ。」



つゆは一礼し鳥居をくぐって、参道を進んだ。

そして拝殿の前まで行くとリュックの中から5円玉を取り出し、そこの古いお賽銭箱に投げ込む。


そして「遅くにすみません、最近越して来た者です。命を助けて頂いてありがとうございました。」と、お礼を言った。


男は「神さんもきっと聞いてるわ…」と呟く。



お参りが終わったつゆは男のあとを付いて社の裏手にある家屋に向かう。

まだ背中しか見せてくれない、しかしその背中からは安心感を感じることが出来た。



そこは日本家屋の生活空間で母屋と渡り廊下で繋がった離れがあり、

外の小さい建物はトイレとお風呂だそう。


もう外は真っ暗でその全貌を見る事はできなかったが厳かで静かな空間であった。


母屋の玄関から入り、奥の和室に行く。

和室には囲炉裏と土間につながる襖があった。


大男は「そこに座っとれ…さむうないか」と囲炉裏の火をかく。


つゆは暗い室内で囲炉裏の火が強くなった瞬間、やっと男の顔を正面から捉えた。


彼女の目に移った彼の顔、それは…顔は完全に猪だった。

大きな牙と鼻、…顔にはいくつか傷跡もある。そして着物を捲った逞しい腕には毛深い人間のそれとは比にならないほどの立派な毛皮が生えている。


つゆ「あ…」思わず声が出た。


天護「怖がるな、わしは…人に非ずや…」


確かにどうみたって人ではないが、人の言葉を話し、着物も着ている。

つゆは騒いだり怖がるのは失礼だと感じた…なぜならこの大きな猪さんが自分を助けてくれたから。


「ちょっとびっくりしただけです…今日はありがとうございました。」


「あのままやと…おまんはあの熊の夕餉になっとったから…」


「ありがとうございました、本当にそうなるところでした。」


その時、つゆのお腹が盛大に鳴った。


ぐううううう。


「なんか…安心したらお腹へってきちゃった。はずかしい…」


「ふっ」2人は初めて少し笑った。


大きな猪さんは「じゃあ、ちょっと待っとれ。」と、言って席を立ち、離れの方に行った。


そして、渡り廊下まで出て手を鳴らすと使役である橙と蒼が姿を現した。



橙「お客様ですね?」


天護「そうや。腹が減ってるみたいで、なんか持ってきてくれんか。」


蒼「云壇さんが言ってたあの?!都会のお嬢さんなんでしょ!」


天護「そんな騒ぐな…怖がらせるだろうが。」


橙「お食事はすぐお持ちします。」


そう言って二人は消える。




しばらくして戻ってきたときに二人は鉄鍋と皿を持っていた。


橙「味噌粥です」鍋を差し出す。

蒼「あと煮干し。」


家屋の奥にある土間で作ってきた、出来立ての味噌粥と炙りたての煮干しを天護に渡す。


天護「おい……相手は山伏じゃないんやぞ…」


蒼「何がだめですか?!」


橙「栄養満点、体も温まります。」


天護「…笑われたらおまんらのせいやからな…」



そうブツブツいいながら鍋と皿を持って母屋に戻っていく。

今日のところは橙も蒼も姿を見せるつもりはないようで、主人である天護がつゆのホストとなる。



「飯、こんなんしかないが…」

そういって囲炉裏の鈎棒へ鉄鍋をひっかけ、煮干しの皿を置く。


「うわぁ、いい匂い。すごくいい匂い…!」


(これが正解やったんか?わからん…)と、内心思いながらも熱々の粥を器によそい、つゆに渡す。


つゆは疲れて冷え切ったその体で、目をキラつかせ器を受け取る。


その味噌粥は後世つゆが人生で食べた食事のなかで一番美味しいごはんだったと語るほど、美味だった。




「あぁ…美味しかった…」

一気に食べきったつゆがそういうとすかさず天護は「まだあるぞ。」とおかわりを勧める。


「ありがとうございます、でもあなたは食べないんですか?」


そう聞かれてやっと、天護は自分がずっと粥を食べるつゆを見てた事に気づく。



「あ、じゃ儂も頂こうかの…」


そうして、二人で味噌粥を食べる。

美味しいですね、と言いながらにこにこしご飯を食べるつゆを見つめて、天護は不思議そうに聞いた。



「なんで聞かんのや?わしが人でない事を…」


「聞いたほうがよろしいですか?」


「いや…気にならんのか思って…」


「命の恩人で、温かい食事までくださって…住まいが神社の一角だし…神様や神様の仲間か…もしかしたらそうじゃないかも。でも考えても分からないから、聞いてもきっと理解が及ばないかなって。ただあなたが誰でも…私は助けてもらって、感謝をしてるという事は変わりません。」


「…そうか」


「そうです…」


また少しの沈黙が流れた。


でも今度の沈黙は先程のより、少し甘かった。


食事のあと、どこかから布団を運んで来て、ここで寝ろという。

つゆは中に着ていたキャミソール1枚になり、布団に入った。


天護はなるべく見ないようにした。


「なんで脱ぐんや…寒うないんか。」

「え、厚着で眠れないんです。癖ですね…」

「寒うなっても知らんぞ…」

「多分大丈夫…あなたは寝ないのですか?」


つゆが聞いた。


「儂は囲炉裏の番をしてる、おまんは休め」という。


だが、眠るときに囲炉裏の火を強くするのは危険なんだそうで

やはり、だんだんと寒くなってくるつゆ。


眠りながらうなされていた。

天護が心配になってそばにいって胡座をかき、顔を覗くと熱源を感知したトカゲのように脚にぴたっとくっつく。


「やめれ…」どうしていいかわからない天護はそう言ってしまう。


つゆは「さむいんです…」と、寝ぼけながらもそう言って離れようとはしない。


「だったら何か着ろ…」

「厚着では寝れない…もしよかったら…お布団に入ってくださいません?」


目を少し開いて恥ずかしそうに尋ねる。



天護はつゆの手が本当に冷えてる事に気付いて「…そんな寒いんか」と。


無言で頷くつゆ。


そして、意を決したように「しょうがないな…」と布団の中に入る。



つゆは受け入れるように抱きしめ「ふぁ、あったかい。そしていい匂い…」と言いながら氷のように冷たい体を上から下までピッタリと添わせてくる。


天護はいろんな意味で心臓がとまりそうになり、そしてとうとう言ってしまった。



「あんまりひっつくな、我慢が効かんかもしれんぞ」と…


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