36.そして、針を進める。

 テーブル席の上にはクッキーやケークサレなどが乗った皿が並んでいた。

 お店の在庫分と、せっかくだからとこの日のために貴羅が作ったもの、どちらも混ざっている。

 閉まったドアの向こうには、closeの札がかかっている。


「各々飲みたいもの、聞いてこうかしら?」


 カウンターの向こうから、貴羅が言う。

 はいはい、と勢いよく凛が手を挙げた。


「凛はキャラメルマキアート、キャラメル多め!」

「俺はコーヒー」

「凛ちゃんがキャラメルマキアートのキャラメル多めで、大河さんがコーヒーね。陽葵はどうする?」


 各々お気に入りの飲み物を伝えていく中、陽葵は悩むように首を傾ける。

 いつもどおりコーヒーを頼むのもいい。思い出をなぞるようにカフェラテを頼むのもいい。

 どちらにしようか悩んで、口を開く。


「カフェラテで」

「わかったわ。じゃあ、用意するから皆席ついて待っててくれる?」


 言って、貴羅が背を向ける。


「手伝おうか?」


 その背中に、陽葵は声をかける。

 貴羅は振り向くと、目を細めて笑う。


「ありがとう。でも、貸し切りとはいえ営業中だから、気持ちだけいただいておくわね」

「わかった」


 陽葵はうなずいて、テーブル席を振り向く。

 凛と春陽が隣り合って座っていて、向かいは空席だった。

 隣に座るほど二人は仲が良かったか、と考えつつ、陽葵はおとなしく春陽の向かいに座った。

 凛がニコニコと陽葵を見上げる。


「やっぱり貴羅さんの隣の席は陽葵さんかなって思って」


 凛の言葉になるほど、と理解しつつ、陽葵は苦笑する。


「お気遣い、ありがとう」

「ふふふ、凛の自己満足なので、こちらこそありがとうございます」

「はーい、あったかい飲み物、そっちに運ぶから気をつけてね」


 貴羅の声に、三人ともそちらを向く。

 トレーの上に乗ったカップからは、ゆらゆらと湯気が上がっていた。


「お待たせ」


 各々の前に、カップが並んでいく。

 四つ並べ終えると、貴羅は一度トレーを定位置に置いて、またテーブル席に戻ってきた。

 そしてカップを手に取る。


「飲み物冷めちゃうともったいないし、サクッとお別れ会、始めましょうか。乾杯!」

「乾杯!」


 カップが割れないように、お互いカップを近づけてから、口をつける。

 想い出と寸分違わない甘い温かさに、陽葵は小さく微笑んだ。


「あ、そうだ。貴羅さんにプレゼント、あるんです」

「あたしに? なんだろ」

「えっとね、アルバムです!」


 はい、と凛が差し出したのは、コーヒーのような深い茶色の、正方形のアルバムだった。

 貴羅は礼を言ってそれを両手で受け取ると、嬉しそうに目を細めて笑う。


「開いてみてください」

「……懐かしい写真ね」


 開いて一ページ目にあったのは、喫茶店の外観の写真だった。

 出入り口近くに置いてある立て看板には、開店したばかりだとわかるメッセージが書かれている。

 その写真を見る陽葵も、自然と目を細めて微笑む。


 この地区に来て一年目は、とてもじゃないが喫茶店をやる余裕が、物理的にも、貴羅の精神的にも、なかった。

 ひどく沈んでいた貴羅と、春陽の前任者と共に話し合いを重ねたときに、喫茶店をやろうと言い出したのは、誰だったか。

 夢を抱いていた貴羅だったかもしれないし、それを知っていた陽葵だったかもしれない。それか、多くの新米吸血鬼を見守ってきた、前任者だったかもしれない。

 必要な資格を、貴羅は既に取得していた。手続き関係は、ほとんどすべて前任者が行ってくれた。そのおかげで、貴羅と陽葵はそれ以外のお店に関わる部分に集中できた。

 そうしてなんとか開店した喫茶店。


「凛、オープン前からこの辺の道、塾帰りによく通ってて。だから、喫茶店ができるみたい! って知ってから、ずっと楽しみにしてたんです」

「それ、お店に始めてきてくれたときも教えてくれたわね」

「覚えてくれてたんですか!」

「忘れるはずないじゃない、記念すべき初めてのお客様なんだから」


 にっこり笑う貴羅に、照れたように凛が、へへへと笑う。

 コーヒーやクッキー、立て看板のデザインなどの写真が他のページには貼られており、めくるたびに、これは、あのときは、なんて会話が繰り広げられる。

 懐かしさで胸がいっぱいになり、陽葵はただ、凛と貴羅が話しているのを、カフェラテを飲みながら眺めていた。


「なんだか、もったいないですね」


 同じように二人を眺めていた春陽が、ポツリとつぶやく。

 小さな声は、二人には拾われなかったようで、陽葵だけが春陽に視線を向けた。


「もったいない?」

「これだけ愛されているのに、お店を閉じざるを得ないのが、です。昨日だって、常連のお客さんがたくさんいらっしゃっていたでしょう」

「ああ、そうでしたね」


 昨夜の様子を思い出して、陽葵はうなずく。

 この喫茶店の主な客層は、近辺で働く人たちだった。

 陽葵が知る限りほとんどがテイクアウトだったのも、恐らくはそれが影響してだろう。

 今でこそ店内で過ごすことが多い凛も、最初の頃は未成年だったこともあり、テイクアウトばかりだった。

 年度ごとにある程度の顔ぶれの入れ替えはあれど、常連客が大きく変わることはなかった。

 その常連たちが、昨夜、大勢来店した。パトロールから二人が帰ってきても人の波は引いておらず、諦めて二人で凛を送りつつ、閉店時間までもう一周パトロールをしたほどだった。

 ちなみに、昨日も陽葵は手伝いを申し出て、同じように貴羅に断られた。


「特別にあと五年追加、とか」

「俺にその権限があればよかったんですけどね」

「ですよね……」

「このコーヒーも飲み納めかと思うと、なんとも惜しいですね。ついてこうかな」

「できるんですか?」

「できませんよ、残念ながら」


 思わず食い気味に反応した陽葵に、春陽が笑う。


「冬樹さんは、もう監視が不要と判断されていますから。担当地区のハンターが必要に応じて見張ることはあれど、専属として誰かが配属されることは、問題を起こさない限りありません。俺や棗さんがもし監視役に立候補したとしても、不要なわけですから、却下されるでしょうね」

「……ご丁寧に説明してくださり、ありがとうございます」


 どこかの誰かさんの真似をして陽葵がニコリと微笑めば、春陽は一度キョトンとしたあと、ニコリと笑い返してきた。

 肩をすくめてみせてから、陽葵はケークサレとクッキーを自分の取り皿に取る。そして口に運びながら、再び凛と貴羅のやり取りを眺め始めた。

 それを見て、春陽もまた、二人へと視線を戻す。


 アルバムを眺めながらの思い出話は、凛と貴羅を中心に、陽葵や春陽もときどき口を挟みつつ、盛り上がっていく。

 その様子を、どこか透明なカーテンごしに俯瞰で眺めているような、そんな心地に陽葵はなっていた。

 にぎやかだった。

 楽しい時間だった。

 だけど、思い出話もいつかは今日に辿り着く。

 辿り着いてしまえば、終わりの時間まですぐだろう。


 明日からはもう、この場所にこの四人が集まることはない。


 凛を送る時間になれば、今日は早めの閉店時間を迎えることになる。

 入れ替わりに、担当のハンターがやってくる手はずになっている。

 明日には、ここは空き家になり、夜には貴羅も旅立ってしまう。


 ずっとなんとか満たし続けていた容器が、突然一気に空っぽになってしまう。

 そんなむなしい感情が、陽葵の胸の中にじんわりと冷たさを伴って広がっていく。

 ゆっくりと陽葵はまぶたを下ろす。

 なにもかもがなくなるわけではない。

 貴羅は死ぬわけではない。この喫茶店はなくなるし、これからできるであろう思い出を共有することはできなくなるけれども。でもきっと、長く長く生き続けるだろう。もしかするとそれは、陽葵が生きるよりも長い時間かもしれないし、同じ時間かもしれない。

 それに、凛はまだこの地にいるし、春陽と共に、明後日やってくる吸血鬼を迎え入れなければならない。なにより、自分の思い描く未来を実現していかなければならないのだ。

 下ろしたのと同じだけ時間をかけて、陽葵はまぶたを押し上げる。


 大丈夫。

 今生の別れではないのだから。


 そう言い聞かせて、陽葵はまた、会話の輪の中に戻っていった。


「じゃあ、貴羅さん。お引越し先でも、お元気で」

「ありがとう。凛ちゃんも、体に気をつけてね」


 時計の針が頂点で重なった頃。

 ぺこりとお辞儀をして、凛は春陽と共に帰っていった。今日はこのまま解散なので、春陽がここに戻ってくることはない。

 凛の姿がちょうど見えなくなったタイミングで、片付けの担当のハンターがやってくる。簡単な挨拶と話し合いをしたのち、貴羅から鍵を受け取ったハンターたちは、すばやく店内へと入っていった。

 閉じたドアを見つめたまま、貴羅は微動だにしない。

 無理もない。幼いころからの夢を、また一度、奪われてしまうのだから。

 日が昇るまでに部屋にいれば問題はない。そもそも、今日は早めに店じまいをしているのだから、日の出までにはまだそれなりに時間がある。

 急かす必要はないと判断して、陽葵はすぐ横で見守っていた。


 明日にはまた、別の担当のハンターが、今度は貴羅を連れて行ってしまう。

 誰も貴羅のことを知らない土地へ。

 陽葵から、貴羅を奪うのだ。


 もしも自分が人間だったら、と陽葵はふと考える。


 人間だったら、五年前に貴羅を失ったまま、生きることになっていた。

 そうしたら今頃、貴羅のいない日々を日常として受け入れていたのだろうか。それとも受け入れきれずにどこかで道を途切れさせていたのだろうか。


 それなら、吸血鬼だったら?


 考え始めて、小さく陽葵は首を横に振る。

 陽葵も、貴羅も、どちらも人間のままであれたら、きっと一番良かったのだ。

 そのためには、陽葵も人間として生まれていないといけないのだけれども。

 人間として生まれていたら、そもそも陽葵の交友関係だって大きく変わっていただろう。貴羅と出会えなかった可能性だってある。

 そうだ、だから、先に考えていた、もしも人間だったら、という考えだって、あり得ない話だったかもしれないわけで。


 だからきっと、これが現状の最適解なのだろう、と陽葵は思った。

 今の自分にとって選び取ることができた中で、きっと一番いい未来。

 貴羅と出会えて、凛が無事で、春陽が少し、一部の吸血鬼に心を許してくれた、そんな世界。ほとんどが、自分の力ではない結果ではあるけれども。


「終わっちゃった」


 ぽつり。


 零れ落ちたつぶやきに、陽葵は貴羅を見上げる。

 赤い瞳は、未だにじっと喫茶店を見つめている。

 その表情は笑っているようにも、泣いているようにも見えた。

 長年抱え込んできた肩の荷が下りて安心しているようにも、大切にしていた宝物を割ってしまってうずくまっているようにも、見えた。

 陽葵は言葉に詰まって、ゆっくりとまばたきをする。


 ぶわり。

 冷たいながらも一滴分の温かさを混ぜたような風が、二人の髪を持ち上げて攫っていくように吹く。

 陽葵の伸ばし続けた髪も、閉店後に下ろした貴羅の髪も。

 重なって、絡みかけて、過ぎ去った風と共に、戻っていく。


 背伸びをして、陽葵は貴羅の顔にかかった髪を、撫でるようにして耳にかける。

 そして微笑んだ。

 どうかこの人が、これから先も幸せに歩んでいけるように、と祈りながら。


「終わらないよ」


 赤い瞳が、確認するように陽葵を映すから、陽葵は力強くうなずいて、もう一度言う。


「終わらない」


 二人で歩くのは、ここまで。

 でも、二人の道はそれぞれの進む方向に続いていくのだから。


 貴羅の眉が、一瞬、キュッと真ん中によって、赤い瞳がまぶたの裏側に隠される。

 数秒ののち、貴羅は表情を和らげると、目を細めて、微笑んだ。

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