第9話 火花
◇◇◇◇
中央に巨大な香炉が設置されているその場所には、複数の人影があった。
そこへ、灰を被ったような髪の小さな宮女が「古びた大きめの羽織」を手に持ちトコトコとやってくる。
「よくやってくれたわね。偉いわあなた」
霜霞が内心で「バリキャリ宮女」と呼んでいる政羅宮の宮女――
「あの、本当に確認するだけなんですよね……?」
しかし
「
「よくやったわ、そこの香炉に投げ込みなさい」
「はい」
「えっ、燃やせるものって……。どう言うことですか?」
「決まっているでしょう。――これを燃やすのよ」
「だ、ダメですよ。それは、霜霞先輩の大切な——」
「
「っ……ど、どうしてそれを……?」
「私を誰だと思っているのかしら? この後宮の人事司よ? 後宮の全てを掌握していると言っていい。今回の”葬儀屋の処理”にあたって、あなた達のことは事前に調べるのは簡単だったわ。それから、私の裁量一つであなたをクビにすることだって簡単にできるのよ?」
「っ……!」
そんな呆然と立ち尽くしている
「あなたは幼い弟達と母のために、後宮に入ってきたのね。本当に偉いわ。でも、こんなところでクビになったら、どうするの? 稼ぎ手を失った家族がどうなるか……、賢いあなたなら、分かるでしょう?」
「うぅ……」
その時、木箱のようなものを持った宦官の一人が、
「
「何かしら、——
木箱のラベルを
「っ?! そ、それはダメです。香炉に混ぜたらいけないって霜霞先輩が……! うぐっ」
「黙れ!
そんな様子を見て、
「……つまりこれも混ぜれば、燃えるってことよね?」
「ぁ……」
そして……。
木箱の中身の黄色い粉をサァーっと香炉のなかに流し込んだ。
◇◇◇◇
「
「んぅ、まだ洗濯してくれているんじゃないかなっ? はい、霜霞さんお茶」
周朔はそう言って私にお茶を淹れてくれる。
先ほどから
「ああ、ありがとうございます」
「今日はご苦労だったねぇ。色々と大変な時だって言うのに本当に助かったよっ」
ズズズ。
「ええ、葬儀が無事に終わってよかったです」
私も茶に口をつける。
こうも穏やかな時間が流れると急に不安が襲ってくることがある。
「それにしても蓮用妃の迫力はすごかったっね。僕には絶対に真似できないよ。霜霞さん、よくあの方の前に出れたよねぇ」
「ええ、本当に心臓が止まるかと思ってしまいました」
「郝家といえば、不屈の精神と強靭な肉体を持つとされる
西の草原地帯には狩猟民族が多く暮らしていて、その血を深く引いているのが郝家なのだという。外見的な差異はそれほどないが、服装にはそういった狩猟文化的な名残が見て取れる。
蓮陽様の織物に描かれた「朱雀」は、力の象徴とされているのだ。
(確かに、あの平手打ちは強烈でしたねぇ……)
蓮陽妃は、郝家の姫選ばれるだけのふさわしいだけの実力を兼ね備えているのだろう。
いざとなったら
話の流れで、あの「眉目秀麗で目つきの悪い宦官」を思い出す。
「そう言えば、
「あぁ、
「えっ、そうなんですか……?」
「うん、割と有名な話だよ。十歳に満たないくらいの時かな? 妓楼で用心棒をしていた時に、その腕っぷしを買われて、武家に引き取られたらしいのさっ。それから頭角を表し、当時の皇太后陛下にも気に入られて後宮にやってきたのだそうだ。それが今では皇帝の側近にまで上り詰めたんだから、もはや嫉妬する気も起きないねぇ」
下男から皇帝の側近とは、絵に描いたようなサクセスストーリー。
それならば、もう少し成功者らしい満ち足りた顔をすれば良いのでは、と思うが、後宮暮らしが長くなればそうもなるか、とも思う。
「どうしてあのような色気のある宦官を後宮に? 正直、目に毒かと思うのですが」
「そう思うよねぇ。それが日輪帝の狙いなのさっ。
「……え、えげつないことをしますね」
ハニートラップだったらしい。
それに引っ掛かるような浮気性な妃を排除する目的で、登用しているらしい。
豪気というかなんというか……。
(ん?)
――何かが、聞こえた気がした。
「……今、外で争うような声がしませんでしたか?」
「ええ、いや何も聞こえなかったけどなぁ」
私は耳をすます。
(……やっぱり何かに聞こえます)
「……
「ええっ? 外はもう真っ暗だよっ? ちょ、霜霞さん?」
羽織がないまま外に出るのは、心の支えを失ったようでひどく心細かった。
じりじりと焦燥感が身を焦がす。
何か大切なものが手元から消えてしまうかのような、胸騒ぎがした。
◇◇◇◇
「準備は出来たかしら?」
「ええ、木炭もたっぷり砕いて入れましたし、盛大に燃えてくれるでしょう」
「よろしい。ふふ、それではこの羽織を燃やして、灰にしましょう。政羅宮に反抗すればどうなるのか、葬儀屋に教えてやりましょう」
続いて
「——あなた達、そこで一体、何をしているのですか?」
底冷えするような声が、
振り返るとそこには、葬儀屋の女が立っていた。
タイミングが悪い。
「あら、霜霞さんじゃありませんか。どうかしましたか?」
「どうかしたの、ではありません。
霜霞の咎めるような視線に、苛立ちを覚えるも
流石に霜霞の目の前で燃やせば、面倒な訴えを起こされて都合が悪い。
故に、計画変更。
「ふふふ、いいところに来ましたね、霜霞さん。実はあなたの部下が羽織を盗んだみたいで、私が取り返してあげたところなのです。そうよね、
「うぅ……」
「……わかっていますよね、
「……うぅ……はい、私がやりました」
――これで良い。
こういう小賢しさが会ったからこそ、
「ふふっ、そう言うわけです、霜霞さん。あなたの大切な羽織は私が取り返してあげたんです。感謝してくださいね」
「……」
「ああでも、これが、盗品の可能性があると言うのは先に言った通りです。ですからこれをあなたに返すわけにはいきません。もちろん、分かっていただけると思いますが」
――勝った。
羽織が手元にあり、それを持ってきた
この場で燃やすことは出来なくなったのは残念だが、霜霞に精神的ダメージを負わせられたのならば、それで満足だった。
この白家の羽織は後で燃やすか、それか
(さて、葬儀屋はどんな顔をしているのか見ものだわ)
「――――本当に、反吐が出ますね」
霜霞はそう、吐き捨てるように言った。
その凍てつくような視線に、
「……何か言ったかしら?」
「
そんなことか。
「はぁ、言いがかりはよしてくれますか。私は盗まれた羽織を取り返してあげただけです。盗んだのはこの娘の意思。私を疑うなんてあなた、一体どういう神経をしているのですか?」
「言いがかりではありません。
霜霞は淡々と言葉を紡ぎ出す。
その話し方も視線も、全てが
身の程もわきまえず、
こういう手合は、
故に、
「だから、言いがかりだって言ってんでしょうが! そんなに言うなら証拠はあるの? 私がこの娘に盗ませたっていう証拠が!」
「
「ッ……!」
葬儀屋の視線には、はっきりと
そしてその視線は、これまで
なぜこれほど目障りなのか、なぜこれほどまでに自身の存在を脅かされるような感覚に陥るのか。
「あー、そっか。どうしてこんなに腹が立つのか、今ようやくわかったわ……。
霜霞さん、あなた――自分のことを特別だと思っているのでしょう?」
「は?」
霜霞は、呆気にとられたような顔をした。
そんな様子をみて、
「ふふ、図星だったかしら? 事実を指摘されて悔しいのは分かるわ。でも言っておくわね。残念だけど、あなたは特別でもなんでもないの。本当に特別な存在というのは、私のような者の事を言うのよ? 能力があり、華があり、そして大勢から必要とされている」
「……」
「あなたは薄々気づいていたのでしょう? あなたには才能も、家柄も、殿方を繋ぎ止めるだけの華も、何もない。だから、こんな古臭い羽織に執着するしかなかったのでしょう? たった一度、与えられた幸運に追いすがるしかなかったのね。本当に……お可哀想」
「っ……」
霜霞の顔に動揺が浮かんだ。
やはり思い当たることがあるのだろう。
「だから、そんな増長したあなたに、この私が引導を渡してあげるわ……」
「……何を、するつもりですか?」
霜霞は、恐る恐る
「私、――――あなたの絶望する顔が見たくなっちゃった」
――香炉の中に、その古びた羽織を投げ込んだ。
「やめっ……!」
霜霞が血相を変えて近づいてこようとする。
しかし予想外の者が、それを制止した。
「霜霞先輩、近づいちゃダメです! この中には
そう言ったのは、宦官に地面に押さえつけられた
霜霞の顔に驚愕の色が浮かび、足を止める。
「えっ、
霜霞は、慌てて
その様子をみて
「あっははは。今更慌ててももう遅いわ。あなたはいい加減に自覚した方が……」
「そうではありません! そこに火をつければ、”大きな爆発”が起こるんです!」
霜霞は、
これには
「はぁ?! 爆発? そんなわけ無いでしょう。羽織を燃やされたくないからって、そんな嘘が通じると思っているのかしら?」
「嘘ではありません! それに乾燥した今の季節は、火事になる危険性が非常に高いんです! そうなったらどれほどの被害が出るか、政羅宮の
霜霞の言葉は、紡げば紡ぐほど、
やはり
こんな嘘までついて、「燃やさないで」と懇願するしみったれた年増宮女に、この羽織が贈られたことが……。
「……あなたには、本当にがっかりだわ、霜霞さん」
「っ……」
「あなた達、火を入れなさい」
炎が勢いよく羽織に燃え移っていく。
「ッ……!」
その瞬間、霜霞が取り乱したようにこちらに走ってくるのが見えた。
(ふふ、もう遅いわ。羽織はこのまま燃えて灰になるのよ。あなたはそれをゆっくりみつめることしか――)
しかし
なぜならそれどころではない事態が生じたから。
炎は羽織を伝い、やがて黄明粉と灰の混ぜ物へと引火する。
するとどういうわけか、激しい火花を散らした。
火花は更に勢いを増し、あまりの熱量に、やがて香炉は耐えきれなくなる。そして……。
香炉が、――
爆発の正体。
それは近年、錬金術師の間で広まり始めた――「黒色火薬反応」と呼ばれるものであった。
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