第9話 火花

 ◇◇◇◇


 静葬廟ジンザンミョウの庭園。

 中央に巨大な香炉が設置されているその場所には、複数の人影があった。

 そこへ、灰を被ったような髪の小さな宮女が「古びた大きめの羽織」を手に持ちトコトコとやってくる。


「よくやってくれたわね。偉いわあなた」


 霜霞が内心で「バリキャリ宮女」と呼んでいる政羅宮の宮女――琳芽リンヤ

 琳芽リンヤは満足した様子で、その少女、白娘パイニャンの頭を撫でる。


「あの、本当に確認するだけなんですよね……?」


 白娘パイニャンは、琳芽リンヤから何か剣呑な気配を感じ取り、おずおずと尋ねる。

 しかし琳芽リンヤは何も言わずに、邪悪な笑みを浮かべるばかり。

 白娘パイニャンは嫌な予感がしたが、その時、琳芽リンヤの部下の宦官たちが何かを持って戻って来るところだった。


琳芽リンヤ様、小屋の中から燃やせそうなものがありました」

「よくやったわ、そこの香炉に投げ込みなさい」

「はい」


 

 琳芽リンヤの指示を受けると、宦官達は木炭やら何やら持ってきたものを次々に、庭園の中央にある巨大な香炉の中に放り込んでゆく。


「えっ、燃やせるものって……。どう言うことですか?」

「決まっているでしょう。――これを燃やすのよ」


 琳芽リンヤは能面のような顔で、その羽織を指し示した。

 白娘パイニャンの顔は、サァーっと青ざめていく。


「だ、ダメですよ。それは、霜霞先輩の大切な——」

白娘パイニャンと言ったかしら、あなた……、知っているわよ、北陽の外れの出身なのでしょう? 父親は幼い頃に亡くなって、母親が一人で弟を育てているのですってね?」

「っ……ど、どうしてそれを……?」


 白娘パイニャンは、琳芽リンヤの言葉に動揺した。


「私を誰だと思っているのかしら? この後宮の人事司よ? 後宮の全てを掌握していると言っていい。今回の”葬儀屋の処理”にあたって、あなた達のことは事前に調べるのは簡単だったわ。それから、私の裁量一つであなたをクビにすることだって簡単にできるのよ?」

「っ……!」


 白娘パイニャンは、言いようのない恐怖を覚えた。

 そんな呆然と立ち尽くしている白娘パイニャンを見て、琳芽リンヤは、さらに脅しをかける。


「あなたは幼い弟達と母のために、後宮に入ってきたのね。本当に偉いわ。でも、こんなところでクビになったら、どうするの? 稼ぎ手を失った家族がどうなるか……、賢いあなたなら、分かるでしょう?」

「うぅ……」


 白娘パイニャンは、琳芽リンヤのヘビのような目に睨まれ、動けなくなってしまう。


 その時、木箱のようなものを持った宦官の一人が、琳芽リンヤの前にやってくる。


琳芽リンヤ様、こんなものがあったのですがどうしますか? 香炉に入れますか?」

「何かしら、——黄明粉こうめいふん? 中身は……黄色い粉みたいね」


 木箱のラベルを琳芽リンヤが読み上げると、白娘パイニャンの顔色が変わる。


「っ?! そ、それはダメです。香炉に混ぜたらいけないって霜霞先輩が……! うぐっ」

「黙れ! 琳芽リンヤ様に口答えするな!」


 白娘パイニャンは宦官の一人に、地面に押し倒され抑え込まれてしまう。

 そんな様子を見て、琳芽リンヤは嗜虐的な笑みを浮かべた。


「……つまりこれも混ぜれば、燃えるってことよね?」

「ぁ……」


 琳芽リンヤ白娘パイニャンの言葉を聞いて口角を釣り上げた。

 そして……。

 木箱の中身の黄色い粉をサァーっと香炉のなかに流し込んだ。



 ◇◇◇◇



白娘パイニャン、遅いですね……」

「んぅ、まだ洗濯してくれているんじゃないかなっ? はい、霜霞さんお茶」


 周朔はそう言って私にお茶を淹れてくれる。

 先ほどから白娘パイニャンが私の羽織を洗濯しに行ったきり戻ってきていない。私の羽織だから白娘パイニャンが粗末にするとは思えないが、少しだけ心配になってきた。


「ああ、ありがとうございます」

「今日はご苦労だったねぇ。色々と大変な時だって言うのに本当に助かったよっ」


 ズズズ。


「ええ、葬儀が無事に終わってよかったです」


 私も茶に口をつける。

 こうも穏やかな時間が流れると急に不安が襲ってくることがある。


「それにしても蓮用妃の迫力はすごかったっね。僕には絶対に真似できないよ。霜霞さん、よくあの方の前に出れたよねぇ」

「ええ、本当に心臓が止まるかと思ってしまいました」

「郝家といえば、不屈の精神と強靭な肉体を持つとされる夷狄いてきの血を引く民族の末裔だからねェ。景照けいしょう様にも引けを取らないようなあの迫力は、実力が伴っていないと出せないものさっ」


 夷狄いてきとは、いわゆる異民族のことだ。

 西の草原地帯には狩猟民族が多く暮らしていて、その血を深く引いているのが郝家なのだという。外見的な差異はそれほどないが、服装にはそういった狩猟文化的な名残が見て取れる。

 蓮陽様の織物に描かれた「朱雀」は、力の象徴とされているのだ。


(確かに、あの平手打ちは強烈でしたねぇ……)


 蓮陽妃は、郝家の姫選ばれるだけのふさわしいだけの実力を兼ね備えているのだろう。

 いざとなったら身体能力フィジカルで切り抜けられるというのは、この後宮では案外侮れない必須のスキルなのかも知れない。


 話の流れで、あの「眉目秀麗で目つきの悪い宦官」を思い出す。


「そう言えば、景照けいしょう様も珍しいお顔立ちをされていますよね。よくあれほどのお方が、この後宮を出歩くことを許されましたね」

「あぁ、景照けいしょう様かぁ。確かに僕も不思議に思っていたよ。後宮にやってきた経緯は詳しくはわからないけど、なんでも昔は、妓楼で下男をしていたって話さ」


 周朔ジョウシュウの話は驚くべきものだった。


「えっ、そうなんですか……?」

「うん、割と有名な話だよ。十歳に満たないくらいの時かな? 妓楼で用心棒をしていた時に、その腕っぷしを買われて、武家に引き取られたらしいのさっ。それから頭角を表し、当時の皇太后陛下にも気に入られて後宮にやってきたのだそうだ。それが今では皇帝の側近にまで上り詰めたんだから、もはや嫉妬する気も起きないねぇ」


 下男から皇帝の側近とは、絵に描いたようなサクセスストーリー。

 それならば、もう少し成功者らしい満ち足りた顔をすれば良いのでは、と思うが、後宮暮らしが長くなればそうもなるか、とも思う。


「どうしてあのような色気のある宦官を後宮に? 正直、目に毒かと思うのですが」

「そう思うよねぇ。それが日輪帝の狙いなのさっ。景照けいしょう様のような美しい宦官を見て、媚びるような妃がいれば、あらかじめ弾いておこうというお考えなんだよっ」

「……え、えげつないことをしますね」


 ハニートラップだったらしい。

 それに引っ掛かるような浮気性な妃を排除する目的で、登用しているらしい。

 豪気というかなんというか……。


(ん?)


 ――何かが、聞こえた気がした。


「……今、外で争うような声がしませんでしたか?」

「ええ、いや何も聞こえなかったけどなぁ」


 周朔ジョウシュウは、首を傾げている。

 私は耳をすます。


(……やっぱり何かに聞こえます)


「……周朔ジョウシュウ様、少し様子を見てきます」

「ええっ? 外はもう真っ暗だよっ? ちょ、霜霞さん?」


 周朔ジョウシュウの言葉を無視して、その声がした方へ早足で向かう。

 羽織がないまま外に出るのは、心の支えを失ったようでひどく心細かった。


 じりじりと焦燥感が身を焦がす。

 何か大切なものが手元から消えてしまうかのような、胸騒ぎがした。



 ◇◇◇◇



「準備は出来たかしら?」

「ええ、木炭もたっぷり砕いて入れましたし、盛大に燃えてくれるでしょう」


 琳芽リンヤは宦官の言葉に満足する。


「よろしい。ふふ、それではこの羽織を燃やして、灰にしましょう。政羅宮に反抗すればどうなるのか、葬儀屋に教えてやりましょう」


 続いて琳芽リンヤが、霜霞の羽織を香炉に投げ込もうとした、その時。



「——あなた達、そこで一体、何をしているのですか?」



 底冷えするような声が、琳芽リンヤの耳元に届く。

 振り返るとそこには、葬儀屋の女が立っていた。


 タイミングが悪い。

 琳芽リンヤはキッと歯を噛み締めるも、一瞬で余裕の笑みを貼り付ける。


「あら、霜霞さんじゃありませんか。どうかしましたか?」

「どうかしたの、ではありません。琳芽リンヤさん、私は、そこで何をしようとしているのかと聞いているのです。それにその羽織は、私のものですよ。なぜあなたがそれを持っているのですか?」


 琳芽リンヤは舌打ちをしたい気分になった。

 霜霞の咎めるような視線に、苛立ちを覚えるも琳芽リンヤは頭を回転させる。

 流石に霜霞の目の前で燃やせば、面倒な訴えを起こされて都合が悪い。


 故に、計画変更。


「ふふふ、いいところに来ましたね、霜霞さん。実はあなたの部下が羽織を盗んだみたいで、私が取り返してあげたところなのです。そうよね、白娘パイニャン?」

「うぅ……」

「……わかっていますよね、白娘パイニャン?」

「……うぅ……はい、私がやりました」


 白娘パイニャンは、涙ながらにそう答える。


 ――これで良い。

 琳芽リンヤは元々、白娘パイニャンに全ての責任を押し付ける予定だった。

 こういう小賢しさが会ったからこそ、琳芽リンヤは、政羅宮で上り詰めるに至ったと言ってもいい。


「ふふっ、そう言うわけです、霜霞さん。あなたの大切な羽織は私が取り返してあげたんです。感謝してくださいね」

「……」

「ああでも、これが、盗品の可能性があると言うのは先に言った通りです。ですからこれをあなたに返すわけにはいきません。もちろん、分かっていただけると思いますが」


 ――勝った。


 琳芽リンヤはそう確信した。

 羽織が手元にあり、それを持ってきた白娘パイニャンである以上、霜霞がどれだけ訴えても無駄。そうなれば白娘パイニャンを余計に追い詰めるだけだから。


 この場で燃やすことは出来なくなったのは残念だが、霜霞に精神的ダメージを負わせられたのならば、それで満足だった。

 この白家の羽織は後で燃やすか、それか琳芽リンヤの私物にしてもいい。


(さて、葬儀屋はどんな顔をしているのか見ものだわ)



「――――本当に、反吐が出ますね」



 霜霞はそう、吐き捨てるように言った。

 その凍てつくような視線に、琳芽リンヤは動揺する。


「……何か言ったかしら?」

白娘パイニャンに盗ませたのは、あなたですよね、琳芽リンヤさん」


 そんなことか。

 白娘パイニャンを脅した以上、琳芽リンヤにつながる要素などなにもない。


「はぁ、言いがかりはよしてくれますか。私は盗まれた羽織を取り返してあげただけです。盗んだのはこの娘の意思。私を疑うなんてあなた、一体どういう神経をしているのですか?」

「言いがかりではありません。白娘パイニャンがそんなことをする子じゃないことは私が一番よくわかっています。だから全部あなたが仕組んだことです、琳芽リンヤさん」


 霜霞は淡々と言葉を紡ぎ出す。

 その話し方も視線も、全てが琳芽リンヤの癪に障った。

 身の程もわきまえず、琳芽リンヤの言葉を何一つ聞こうとせず、真っ向から琳芽リンヤを否定しにかかってくる。

 こういう手合は、琳芽リンヤが最も嫌いとするところであった。

 故に、琳芽リンヤは声を荒げる。


「だから、言いがかりだって言ってんでしょうが! そんなに言うなら証拠はあるの? 私がこの娘に盗ませたっていう証拠が!」

白娘パイニャンの顔を見ればわかりますよ。あなたが白娘パイニャンを脅して、盗ませた、それが真実です。それを捻じ曲げようとしているあなたは、――本当に卑劣で救いようのない人間です」

「ッ……!」


 琳芽リンヤは、自分の頭に血が昇っていくのがはっきりと分かった。

 葬儀屋の視線には、はっきりと侮蔑ぶべつの意思が込められていたから。


 そしてその視線は、これまで琳芽リンヤが、宦官たちや、妃たち、そして両親に向けていた視線と同じだったから――。


 なぜこれほど目障りなのか、なぜこれほどまでに自身の存在を脅かされるような感覚に陥るのか。琳芽リンヤは、答えにたどり着く。


「あー、そっか。どうしてこんなに腹が立つのか、今ようやくわかったわ……。


 霜霞さん、あなた――自分のことを特別だと思っているのでしょう?」


「は?」


 霜霞は、呆気にとられたような顔をした。

 そんな様子をみて、琳芽リンヤはほくそ笑む。


「ふふ、図星だったかしら? 事実を指摘されて悔しいのは分かるわ。でも言っておくわね。残念だけど、あなたは特別でもなんでもないの。本当に特別な存在というのは、私のような者の事を言うのよ? 能力があり、華があり、そして大勢から必要とされている」

「……」

「あなたは薄々気づいていたのでしょう? あなたには才能も、家柄も、殿方を繋ぎ止めるだけの華も、何もない。だから、こんな古臭い羽織に執着するしかなかったのでしょう? たった一度、与えられた幸運に追いすがるしかなかったのね。本当に……お可哀想」

「っ……」


 霜霞の顔に動揺が浮かんだ。

 やはり思い当たることがあるのだろう。


「だから、そんな増長したあなたに、この私が引導を渡してあげるわ……」

「……何を、するつもりですか?」


 霜霞は、恐る恐る琳芽リンヤに尋ねる。

 琳芽リンヤは、ニヤりと口角を歪ませ、そして――


「私、――――あなたの絶望する顔が見たくなっちゃった」


 ――香炉の中に、その古びた羽織を投げ込んだ。


「やめっ……!」


 霜霞が血相を変えて近づいてこようとする。

 しかし予想外の者が、それを制止した。


「霜霞先輩、近づいちゃダメです! この中には黄明粉こうめいふんが……!」


 そう言ったのは、宦官に地面に押さえつけられた白娘パイニャンだった。

 霜霞の顔に驚愕の色が浮かび、足を止める。


「えっ、黄明粉こうめいふんを混ぜたんですか?! い、いけません! 琳芽リンヤさん、お願いです。火をつけるのはどうかやめてください!」


 霜霞は、慌てて琳芽リンヤに訴えかける。

 その様子をみて琳芽リンヤは、更に口角を釣り上げた。


「あっははは。今更慌ててももう遅いわ。あなたはいい加減に自覚した方が……」

「そうではありません! そこに火をつければ、”大きな爆発”が起こるんです!」


 霜霞は、琳芽リンヤの言葉を遮り、そんな突拍子もない事を叫ぶ。

 これには琳芽リンヤも驚き、呆れてしまう。


「はぁ?! 爆発? そんなわけ無いでしょう。羽織を燃やされたくないからって、そんな嘘が通じると思っているのかしら?」

「嘘ではありません! それに乾燥した今の季節は、火事になる危険性が非常に高いんです! そうなったらどれほどの被害が出るか、政羅宮の琳芽リンヤならおわかりでしょう! ですからどうか……」


 霜霞の言葉は、紡げば紡ぐほど、琳芽リンヤを苛立たせる。

 やはり琳芽リンヤには、どうしても許せなかった。

 こんな嘘までついて、「燃やさないで」と懇願するしみったれた年増宮女に、この羽織が贈られたことが……。


「……あなたには、本当にがっかりだわ、霜霞さん」

「っ……」

「あなた達、火を入れなさい」


 琳芽リンヤは無情にも宦官にそう命令すると、宦官は篝火かがりびを香炉にかざす。

 炎が勢いよく羽織に燃え移っていく。


「ッ……!」


 その瞬間、霜霞が取り乱したようにこちらに走ってくるのが見えた。


(ふふ、もう遅いわ。羽織はこのまま燃えて灰になるのよ。あなたはそれをゆっくりみつめることしか――)


 しかし琳芽リンヤの思考は、そこで途切れた。

 なぜならそれどころではない事態が生じたから。


 炎は羽織を伝い、やがて黄明粉と灰の混ぜ物へと引火する。

 するとどういうわけか、激しい火花を散らした。

 火花は更に勢いを増し、あまりの熱量に、やがて香炉は耐えきれなくなる。そして……。


 香炉が、――ぜた。


 爆発の正体。

 それは近年、錬金術師の間で広まり始めた――「黒色火薬反応」と呼ばれるものであった。


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