第10話 司霊七品
景照は、豪華な料理を前にしても手をつけることなく、静かに座っていた。
用意された席が日輪帝の座る予定であった上座であったため、この場にいる妃や侍女達の視線を一点に引き受けている。
居心地が悪い……。
侍女の教育の行き届いた妃のところであれば良いのだが、そうでない場合は、平気で景照に媚びた視線を送ってくる。
あまつさえ妃であっても、自制が効かない場合があるから恐ろしい。
景照の役割とは、それがあまりにひどければ、何らかの処罰を下すことだった。
そういう時に、景照はことさら冷酷になることができた。
沙汰を下すことに対し、なんの躊躇も、慈悲を持ち合わせていなかったからだ。
――――わたしが、あなたの母になってあげるわ――――
記憶の奥底にこびりついた『真っ黒な泥のようなモノ』に置換されるのが、いつものことであった。
女は、平気で嘘を付く。
女は、言葉に宿る邪悪さに無自覚だ。
注がれた期待の分だけ、それが崩れ落ちた瞬間に、深い絶望に変わる。
女という存在に総じて嫌悪感を抱くほどには、この後宮が景照に与えた歪みは大きい。
しかしそんな景照を面白がった存在が、今の"日輪帝"陛下だった。
自分の妃を罰するような存在を求めるなんて、どう考えても変だ。
陛下にも何か思惑があるのだろうが、それでも景照を救ってくれた恩がある。
しかし今、そんな景照の恩人は窮地に立たされていた。
「
「どうすれば、とは?」
景照の部下である――
「
郝家の蓮陽妃の不信感は相当なものだった。
言葉にはしなかったものの、蘇陽妃の死に皇家が関わっていると疑っているフシすらある。
「ええ、陛下が出席できなかったというのはやはり、心象は悪いでしょうな」
「そんなことはわかっている。だが、陛下が原因不明の――”
日輪帝は今、病に臥せっていた。
肌の色が黒く染まったような”
意識すら混濁するような状況で、立つこともおぼつかないのである。
蘇陽妃が亡くなられたその日から、示し合わせたかのように日輪帝の体調が悪化したのは、奇妙な話であった。
「しかしこのまま
「……分かっている。先代帝の時のようなことは避けなければならない」
景照は危機感を募らせる。
日輪帝の仕事というのは、とにかく「子孫を残す」ことに尽きる。
故にその健康問題については、非常にデリケートで、一つ風邪を引いただけでも「すわっ一大事」と宮中は、にわかに騒ぎ出す。
それだけならまだ良かったのだが、今の皇家は、先代日輪帝の時代に負った古傷がまだ癒えていないため、少しでもその治世が揺らごうものならば、その政権ごと一気に瓦解しかねない不安定さを秘めていた。
「陛下の――”日輪の加護”は、この北陽の繁栄の象徴。陛下の力に
――『一つ仰げば、雲を退け、天は光で満たされる』
これは、初代日輪帝の時代にそのような出来事を目の当たりにしたとされる当時の家臣達が、その力を讃えた言葉である。
実際にそういった力があるかどうかはさておき、この北陽という地において日輪帝の力は、神が与え
景照もこの日輪帝の信仰に生きる者の一人であり、馬庭が言うように、日輪帝の体調不良には、一刻も早く対処しなければならないと考えている。
「だが……”巫女の祈祷”も”破邪の儀”も効かなかったんだぞ。医者でさえ
景照は、そう声を荒げる。
日輪帝を取り巻く状況は、唐突に逼迫した。
まるで何者かによる悪意によって、この状況が作り出されたかのように。
若干十七の青年が解決するには、あまりに持て余していた。
今の地位に対して、あらゆる面で経験が不足していたのである。
(やはり、まだ青い……)
馬庭はそんな景照を見て、そう評する。
容易に感情を表に出してしまうところは、景照の悪い癖だった。
かつて下男であった頃の粗野な言動は、ある程度矯正されたものの、やはりこのような難局で弱点を露呈してしまうようでは、まだ半人前。
「景照様、落ち着いてくだされ」
「これが落ち着いていられるか……! 私は陛下の恩に報いなければならないというのに……。それが、この体たらくでは……!」
景照は、拳が真っ白になるほどに握り込み、悔しさを滲ませる。
(――その忠義や良し、あとは実力が伴ってくればと言うところ……)
馬庭は、いわゆる景照につけた首輪の役割であった。
日輪帝から景照を、あるべき方向に導くことを望まれていた。
その任を任された以上、景照に成長を促すしかない。
「……そうですね、巫女でも祭司でも、はたまた医者でも対処ができぬとなれば、それらとは、別の存在に頼るしかありませんな」
「他に、誰がいると言うのだ……!」
「後宮令にて保護された役職は、それだけではないでしょう?」
「後宮令……?」
景照の頭上に疑問符が浮かぶ。
これには馬庭も横転しそうになった。
「……後宮令は、初代日輪帝様が定められ、今日までほとんど改訂されることなく、維持されてきました。それは
賢帝と呼ばれた初代日輪帝。
北陽の基礎を作り、その栄光を一から築き上げたという人物。
馬庭はさらに続ける。
「初代様は、側近であった七人に
その中で唯一、どういう意図で列挙されたのかわからない、かつ、最も日陰に位置するような役職が一つあったはずです」
そこまで言われて景照も思い出す。
他の役職よりも冴えない、しかしどう言うわけかこの北陽に、当たり前のように存在するその役職。
「——葬儀屋か」
景照の言葉に、馬庭は少し微笑んで頷いた。
「ええ、葬儀屋に関しては、"冬"の葬儀が規定されていたり、その手順が事細かく記載されています。今となってはその理由は計りかねますが、なんらかの意図があったのかもしれません」
「……なるほど、一理あるな――。ちょうどいい、今から話を……」
そう言って景照が立ち上がったその時。
外で聞いたこともないような、大きな爆発音がした。
「キャァぁぁぁあああああああああ!」
妃たちから悲鳴が上がる。
「っ……! 何事だ!」
「わかりません。この方角は、庭園の方かと……!」
その時、景照は何か焦げ臭い匂いを嗅ぎ取った。
「これは……、まさか火事か?」
「っ……、それが本当なら由々しき事態かと。冬の火事は延焼の危険がありますから」
それは景照もよく知るところだった。
城下にいた頃は火事が起きて、消防団に駆り出されたことが何度もある。
「ああ。行くぞ、馬庭!」
「はっ」
二人はその足を庭園の方へ急がせた。
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