生贄の宣告
ドラグニア帝国へ、嫁いでもらう。
兄の言葉は、まるでどこか遠い国の物語のように、現実味のない響きで私の頭蓋にこだました。一瞬、理解が追いつかない。頭が真っ白になるというのは、こういう感覚なのだろうか。
「……聞き、間違い、でしょうか」
かろうじて絞り出した声は、自分のものではないみたいにか細く震えていた。ここは埃っぽい書庫で、私はいつものように本を読んでいて、そして今、兄がひどい冗談を言っている。そうでなければ、おかしい。
だって、ドラグニア帝国は、我がアウレリア王国が百年以上も敵対してきた国だ。彼らは竜の血を引くといわれる、強大な魔力を持つ亜人種。その頂点に立つ皇帝カイゼルは、戦場で敵兵の心臓を喰らうと噂される『冷血の竜帝』。そんな場所に、この国の王女を嫁がせるなんて。
「聞き間違いではない」アルフォンスは、私の混乱を愉しむように、ゆっくりと言葉を続けた。「和平の証、ということになっている。表向きはな」
「和平……?」
「ああ。長引く戦争は、互いに疲弊するだけだ。だから、こちらから『最も価値あるもの』を差し出し、誠意を見せる」
最も、価値あるもの。その言葉が、氷の刃となって私の胸を突き刺した。兄の言う『価値』が、私に無いことなど、誰よりも私自身が一番よく分かっている。
「そ、そんな……。私が行ったところで、何の価値も……」
「ようやく自分の立場を理解したか、出来損ないめ」
兄は心底愉快そうに喉を鳴らした。その瞳は、もはや私を妹としてすら見ていない。道端の石ころを見るような、無機質で冷え切った色をしていた。
「お前は、生贄だ。エリアーナ」
ああ、そうだ。やっぱり。魔力もない。王族としての責務も果たせない。そんな私が、アウレリア王国にとって『最も価値あるもの』であるはずがない。私に与えられた役割は、和平の美しい飾り付けが施された、ただの生贄の羊。帝国に送られ、いつ、どんな風に殺されたとしても、王国にとっては痛くも痒くもない存在。むしろ、それを口実に再び戦端を開くことすらできる、使い勝手の良い駒。
「なぜ……! いくら私でも、あなたの妹です! 同じ血が流れているのに……!」
「黙れ」
私の懇願は、鋼の壁にぶつかるように、あっさりと弾き返された。
「お前ごときが、私と同じだと思うな。お前の存在そのものが、我が王家の汚点だ。その汚点に、ようやく国益に貢献できる使い道ができたのだ。光栄に思え」
光栄。この死刑宣告のどこに、光栄などという言葉が見つかるというのだろう。唇が震えて、もう何も言葉にならなかった。熱い雫が次々と頬を伝い、唇にしょっぱい味が広がった。
「準備の期間は三日だ。せいぜい、この書庫の埃でも吸って、残りの時間を楽しむがいい」
アルフォンスはそれだけを言い残し、私に背を向けた。まるで、これ以上同じ空気を吸うことすら耐えられないとでも言うように。
バタン、と。重い扉が閉められ、私の世界は再び薄暗い静寂に包まれた。
一人残された書庫で、私はその場に崩れ落ちる。床に投げ出された膝が、硬い石の感触を伝えてきた。
三日後、私はあの『冷血の竜帝』の元へ送られる。それは嫁ぐという名の、緩やかな処刑だ。
ふと、視界の端に、先ほどまで読んでいた本が入った。表紙に描かれた、翼を持つ巨大な竜。その、どこか悲しげな瞳が、まるで鏡のように、絶望に沈む私自身の姿を映しているような気がした。
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