第4話
何度経験しても、家のドアを開ける瞬間は緊張する。
「ただいま」
玄関で声をあげると、すぐに階段を駆け降りる音が聞こえてきた。
「おかえり! お兄ちゃん今日ハンバーグだって!」
俺を出迎えたのは桐谷みのり。"一応"は妹だ。
「ハンバーグかー。そりゃ嬉しいなー」
「ね! 嬉しい! ベーコン入ってるかな?」
「入ってんじゃないか? この前みのりが好きって言ってたからな」
この世界に転生してすぐは廃人のような生活をしていたが、そんな俺にしつこく付き纏ってきたのが、このみのりという女の子だ。
前の世界では妹なんていなかったため、始めは接し方がわからなかった。
だが、彼女はそんな俺に何度も明るく話しかけてくれて、そのおかげで随分心が軽くなった。
つまり、彼女はこの世界で唯一、俺が心を許せる人間であると言える。
「なんかお兄ちゃん元気ない?」
脱いだ靴を並べている時にそんな事を聞かれ、俺は思わず固まってしまった。
「そんな事はない。俺はいつも元気だよ」
乱暴に頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を閉じた。
子猫の様な愛嬌を感じてつい口元が綻ぶ。
「ならいいんだけど……。あ、そうだ。今日も部屋行っていい?」
「ああ。着替えて一息ついたらな」
「ありがとうお兄ちゃん!」
みのりは機嫌の良さを隠しもしないままスキップを踏んで階段を駆け上がっていく。
彼女は現在、中学三年生だ。
受験の年であるため、勉強を教えてほしいと部屋に来るのが恒例の日課になっている。
自身の復習にもなるし、勉強を頑張っているみのりを見るのも悪い気にはならない。
部屋に入ってカバンを下ろすと、ふと胸中を不安が支配する。
彼女は俺が"本来の桐谷宗介"ではないと知ったら、一体どんな反応をするのだろうか。
なりたくてなったわけじゃないとは言えど、彼女にとって一生消えない傷をつけることになってしまうのではないだろうか。
「はあ……」
今では癖になったため息が、静かな部屋に溶けていった。
――――――――――――――
みのりに勉強を教えて、いつも通り夕食を摂って入浴を済ませた。
後は寝るだけの状態でゆっくり読書をしていると、耳元に置いてあった携帯電話が鳴る。
なんの気なしに画面を見ると、クラスのグループチャットが活発に動いてる様だった。
「……?」
体勢を起こして、クラスのチャットを確認すると、思いもよらない情報が飛び込んできた。
──堀田美緒がクラスのグループチャットから追放されたらしい。
「あ?」
何が起きているのかわからなかったため、注意深く確認する。
すると堀田を追放した人間たちと、堀田を擁護する人間たちで言い争いの様なものが起きていた。
「なんだこれ? 何が起きてる?」
議論は熱を持ち、渦の様に感情的な文面が飛び交う。
基本的にはクラスの女子生徒が二分化して争っている様だが、堀田を擁護する中には春風飛鳥の名前があった。
混乱した頭をなんとか落ち着かせようとしながら事の顛末を探っていると、携帯が震え始めた。
電話をかけてきたのは春風だった。
「もしもし」
すぐに通話に出ると、電話口でも春風の焦った様子がわかった。
『もしもし。桐谷くん? ちょっと今時間あるかな?』
なぜ春風が俺に電話をかけたのか、その理由がわからなかったため妙に緊張した。
「あ、ああ。一体どうしたの?」
『あのね。桐谷くんって堀田さんと仲良いよね?』
仲がいいと言われ、俺は電話相手に見えてもいないのに首を振りながら答えた。
「別に仲がいいわけじゃないよ。堀田さんがどうかしたの?」
『一つ聞きたいんだけど、堀田さんが私のヘアピンを返すなって桐谷くんに言ったって聞いたんだけど……本当?』
一瞬何を言っているのかわからなかったが、少し整理すると、なんとなく話の流れがわかった。
「変な噂になってるって事か」
今日の放課後、俺は校舎裏で春風のヘアピンを手にした。
その時に堀田と一悶着あったのを、他の生徒に見られていて、変な形で話が広がったという事だろう。
「まじか……」
俺は頭を抱えた。
堀田は春風に対して悪意があってそれを言ったわけじゃないだろうし、堀田が俺に伝えたかった事とはニュアンスが違う筈だ。
ただ『ヘアピンを飛鳥に返すなんてありえない』という言葉だけが一人歩きして、まるで春風の手にヘアピンが渡るのを阻止しようとした様に見えたということか?
『私もあまり堀田さんとは話したことはないんだけど……でもね。いつも私と話す時は凄い笑顔で喋ってくれるの。だから、堀田さんがそんな事をする筈がないって思って』
堀田は春風の事を崇拝してると言っても過言ではない。きっと春風と接する時も、素直な堀田の事だから、まるでアイドルファンの様になっている事だろう。
それが功を奏したのか、本人には変な誤解はされていないみたいだが、それでもこの状況はあまり良くない。
「そうだね。堀田さんはむしろ春風さんの事が大好きだと思うよ」
『え……? そうなの? じゃあ、堀田さんが私と話す時、いつも祈るみたいに手を合わせているのはそういう事?』
──何をしているんだあの女は……。
「ま、まあそうじゃないかな? だからとりあえず春風さんも堀田さんを嫌いにならないでほしい……何か誤解があるだけだと思うから」
『うん。そうだよね。ありがとう桐谷くん』
「気にしないで」
話は終わったと思って、電話を耳から話そうとした時、呟く様な声が聞こえてきた。
『けど……どうしてなんだろう』
「どうしてって何が?」
『あ、いや。なんでもない。夜遅くにごめんね』
「気にしないで。それじゃ、また明日」
『うん。おやすみなさい』
春風との通話が切れ、俺はグループチャットを見る。口論の様な言い争いはさらに激化しているように見える。
「どうしようかなこれ……」
どうするもこうするもないのだが、チャットを見てると気分はよくない。
口論している人たちは頭に血が昇っているのか、堀田に対してかなり悪どいことも言っている。
チラリと机の上を見る。
そこには向日葵をモチーフにした髪飾りが置いてあって、窓から差し込む月光を受けて妖しく光っている。
「まさかヘアピン一個でこんな大事件になるとは」
堀田は大丈夫なのだろうか。彼女からしたら、いきなりグループチャットから追い出されて何もわからない状況のはずだ。
全ては誤解であるため、時間が経てば解決する様にも見えるが、いっときの噂が人を深く傷つけることもある。
「……軽率だったのか?」
堀田が言っていた事を加味すると、このヘアピンは、多分相馬が春風に返すべき物なのだろう。
それが本来のストーリーであり、堀田にとっては壊すことが許されない不文律であったというのか。
あの時に堀田に言われた事を思い出す。
『モブキャラのくせに』
あの言葉は、その本来の意味以上に感情が込められていた様に思う。
「……もっと言い辛くなったな」
俺は堀田に対して同じ転生者であるという視点で見てきた。だからこそ、ある種の仲間意識の様なものを持っていた。
だが、彼女から見たら俺はただのモブキャラで、口数の少ない不良生徒で、しかも本来あるべきストーリーを滅茶苦茶にする。
この世界を愛しているであろう彼女からしたら、怒るのも当然かもしれない。
この状況で俺が堀田に『俺も同じ転生者なんだ。だから仲良くしよう』なんて言える筈もない。むしろもっと悪い状況になるだろう。
「……とりあえず寝るか」
時計は24時を指し示している。睡魔に追われた頭では考えも纏まらない。
「明日は何も起こらなきゃいいんだが……」
出来ればこのまま事態が沈静化してくれればいいと願いながら眠りについたが、どうやら現実はそう簡単にはいかないらしい。
――――――――――――――
【堀田美緒視点】
「なんなのあの男子生徒っ。モブキャラのくせに飛鳥とアランの邪魔するなんて信じられない」
怒りのあまり、部屋の中で枕を叩く。
頭に浮かぶのは桐谷宗介という気の抜けた表情の男子生徒だ。
いつも眠そうな顔で、誰に対しても気怠げな様子を隠そうともせず、おまけに幾つも不良エピソードがある。
「アランと出会えないなら、飛鳥はどうなっちゃうんだろ……」
原作のストーリーを思い返しながら思案していると、携帯電話が震えた。
何の気無しに画面を確認する美緒。
──そこには、クラスのグループチャットから追放された通知が届いていた。
何が起きているのかわからない美緒は、携帯の画面を見ながら首を傾げた。
「誰かの操作ミスかな?」
その時はなんらかのヒューマンエラーだろうと考えていた美緒だったが、その数分後に届いた一通のメッセージで目を見開いた。
『なんであんな事言ったの? 飛鳥があのヘアピンをどれだけ大事にしてるかって知らなかったの?』
送り主は、クラスでも明るい性格の女子生徒だった。この世界の主役である春風飛鳥といつも一緒にいて、いわゆるクラスの一軍グループの女子だ。
美緒は訳のわからない状況に携帯電話を持つ手が震え出した。
(あんな事って何? 私が飛鳥に何か言ったって事?)
震える手で返信した。どういう事なのかわからなかったため、内容を問う様な文面になった。
『とぼけてるんだ? そっか。堀田さんってクラスでも大人しいし、おおかた明るくて人気者の飛鳥に嫉妬でもしたんでしょ?』
特に文量が多いわけでもないメッセージでも、はっきりと女子生徒の怒りが伝わってきた。
何に対して怒ってるのかもわからないまま、慌てて返信を書き込んでいると、次いで送られてきたメッセージに美緒は携帯を落としそうになった。
『みんな知ってるんだからね。桐谷くんがヘアピンを返すのを邪魔しようとしたって。突き飛ばしてまでそんな事するなんて、一体どういうつもりなの?』
そこで漸く理解した。今日の放課後に桐谷に対して声を荒げていた場面を、誰かに見られていたのだ。
それがあらぬ噂になって、まるで飛鳥に嫌がらせするために、ヘアピンを奪おうとした様に見えたのか。
「訳わかんないっ……あれはっ──」
ぼそぼそと言い訳をしていた美緒だったが、不意に押し黙ってしまう。
それをこの世界の人間に伝えたところで、全くの無意味だとわかったからだ。
「……なんなの? 何がどうなってるの……?」
美緒はぐすんと鼻を鳴らす。
絶えず通知が届く携帯電話を放置して、美緒はベッドに入って布団に包まった。
(なんでこうなるのっ……? 私はただ飛鳥に幸せになってほしいだけなのにっ)
暗い部屋で断続的に光る携帯電話。そして机を振動させる音に、目を閉じ、耳を塞ぎながら美緒は朝日を待った。
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