晴れの大地-③

父親の遺産を片付けきってしまってから、途端に何かをする気が起きなくなってしまった。

父親の後片付け。そのミッションを終えてから、私の中の「やらなくては」という一種の張り詰めた想いが完全に切れてしまったのだろうか。

父親の趣味で建てたスウェーデンハウス。この一室のベッドの中で、私は1日中SNSを見ているか、何もしないをするか。


もはや腹立たしいくらいに輝く十勝の青空を窓越しに睨みつけながら、私は食欲もないのにとりあえず、生命機能維持のためにゼリー飲料と豆乳を摂取する。


「俺、休日って何して生きてたっけ……」


東京にいたときのことを必死に思い出そうとした。休日ってなにしてたっけ、と。

休日はもっぱら図書館に籠もって、本を読むか仕事で使う法律の判例集を漁ってみたり。最初の配属先で上司が釣りを嗜んでいたので、若手のときは気に入られるためについて行ったりした。

趣味はなかった。大学生のときにやっていたバイクいじりも、上京と同時に置いていった。


おおかたの同期は結婚して、家族を作っていた。私も挑戦したが、うまくいかなかった。

31歳あたりで一度諦めた。仕事一筋でやっていこう、と。



それで人生に深みが出たのかといったら、それはわからない。22歳から32歳まで、仕事漬けの生活を送っていたせいで、その区間に大量の廃駅が転がっているだけだった。

23歳という駅。24歳という駅。25歳という駅。26歳という駅。すべて廃駅になってしまった。

27歳という駅。ここでは昇進をした。プレハブの小さい駅舎が残っていた。切符も買えないような小さい駅。

28、29。30で課長補佐になった。31、32歳というターミナル駅に私はいた。


社会人線は、ここで乗り換えだった。まるで新宿駅のようにたくさんの路線があって、でも目的地もないから、私は32歳駅で時間を潰しているのだった。


8月に33歳になる。それまでに、どの路線の32歳駅を通過するのか、決めないと。




その日は夢を見た。

夢というか、思い出した。


退職を伝えてから、1年目のときに世話になった上司に挨拶へ行った。

霞ヶ関からさいたま新都心へ。久しぶりだった。


さいたま新都心駅からオフィスまで。色々な思い出を見つけながら歩く。


「退職しますので、ご挨拶に。西村かちょ……次長」


「おお!聞いたぞ!なんだ、地元帰るんか!」




西村課長。今は次長か。今はここの、さいたま新都心のオフィスでそこそこ偉いお方になっていた。

西村次長に退職の旨を伝えた。すると、「じゃあお前、今日はあそこ行くべ」と言われた。相変わらずだった。

私は挨拶の後、すぐに大宮駅から20分くらい歩いたところのオーセンティック・バーに連絡をして、席を取ってもらった。




退勤後、私は自宅のある川口駅からもう少し奥へ行ったところ、大宮駅に降りた。

大宮駅から、私が昔住んでいた寮の方面へ歩くと、あった。

行きつけのバー。一軒家の一階をそのまま居抜きしたような外観だが、中を開けるとシックで少し暗い、激しいラテンジャズが静かに響くバーだった。

西村次長がまだ課長だった時、私が新入の職員だった時、私の直属の課が私以外うつ病で辞めた時、一緒に仕事をした。

その時は私と課長しか課内にいなかった。もともと小さな課だったが。

私が心を病まないか心配してくれていたようで、次長はよくここで一杯奢ってくれた。


「いや~、豊原が辞めるとは。お前、かなり出世早い方だったじゃないか」

「ええ、次長のご指導ご鞭撻のあったおかげで……」次長のグラスが半分なのを見て、私はマスターの顔を見た。マスターは「西村さん、マタドーラで?」。「あ、すみませんね。お願い」



「なんだ?十勝に帰るのか」「ええ。親父も死にましたし」「そうかァ。……やっぱ俺達道民は、色々見て結局北海道に帰るんだな」「ハハ、それはあるかもですね」

「次長、そういえば言ってましたよね。私以外が辞めた時に」「え?」「ほら、中標津に帰りたい~って、毎日」「ええ?言ってねェって。トヨお前、すぐ話でっちあげるからなァ」「おっしゃってましたよ。埼玉のドブみたいな匂いより牛臭い中標津の方がマシって」「ま、マスター……よく覚えてるね……」


「帰らないんですか?中標津」私が聞いてみた。次長は「う~ン」と唸った。

「関東に家族作っちまったからなァ。帰ろうにも嫁子供連れて中標津は、やっぱ退屈らしいぜ」


「ハハ、じゃあ私が先に行かせてもらいます」


しばらく他愛もない話をした。ちらほらいた他の客は帰り、我々だけになった。

時計を見た。22時だった。まだ火曜日だからか。


「トヨ、帰ったら何するんだ?」「さァ……特に決めてません、でも……」



「北海道を旅、してみようかなァ」











「トヨさん、退職されるんでしたね」。お会計を終えて荷物をまとめようとする頃、マスターがそう話しかけた。「はい。音更に帰ろうかと」

「そうですか……それじゃあ、この道東三人衆も、本日でしばらく解散ですね」

「そんなの作ってたんだ」。次長が笑う。

「ええ。十勝、オホーツク、釧路の道東三人衆だったじゃないですか」。マスターはいつになく上機嫌だった。


「上機嫌ですね、マスター」

「そりゃそうです」。マスターはにこりと笑った。「これからトヨさんは道内をたびするんでしょう?そしたら、私の故郷・釧路にも行くでしょう。やはり、故郷に友人が来るのは嬉しいものです」



「まだお時間ありますか?」

マスターがそういった。私と次長はもう一度座り直した。

「乾杯させてください」マスターがそう言ってカウンター下の冷蔵庫から取り出したのは……。


「さ、サッポロクラシック……」「しかも缶」

「道民といったらこれです。さ、お二人も」私と次長も無理やり缶のサッポロクラシックを手渡された。

私と次長が缶を開けたのを見るやいなや、マスターが言った。


「それでは、トヨさんの新しい門出を祝して!!」








「……」


 長い夢を見ていた。長い夢を見て、もう一度目を閉じて、ベッドから地面に足をおろした。

徐々に体重が足へ伝わってきた。

そのまま全身の体重を下半身の棒切れ2本で支えた。

私はそのままPCへ向かい、十勝管内のバイクショップをひとつひとつ確認していった。


そうだった。あるじゃん、やること。



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・北海道中標津町

北海道東部(道東)、オホーツク海側の都市。人口2.2万人。酪農が基幹産業。最近、知床方面への観光客需要に応えるため、ホテルの建設ラッシュが進んでいる。2025年現在、根室市の人口を数人だけ上回り、根室振興局内で1番人口が多い街になった。比較的雪の少ない道東地域では珍しく、特別豪雪地帯に指定されている。

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