第29章 孔雀の間と、演歌歌手と、ポリエステルの悲劇

12月24日。


聖夜。


世間は浮かれている。


ケンタッキーの行列も、ケーキ屋の行列も、俺には関係ない。


俺、佐藤健太が並んでいるのは、「ホテル・グラン・マリアージュ」のクロークの列だ。


足が痛い。


格安でレンタルしたエナメルシューズ(合皮)が、俺の小指を万力のように締め上げている。


サイズ26.5センチを頼んだはずなのに、届いたのはどう見ても25.5センチだった。


痛い。


この痛みこそが、俺のクリスマスのリアルだ。


「……佐藤さん。背中、大丈夫ですか」 後ろから、忍び声がした。


振り返ると、そこには「演歌歌手」がいた。


いや、田中美咲さんだ。


「……田中さん。それ」


「……母の『訪問着』です。ドレスを買うお金がなかったので」


彼女は、淡い藤色の着物を着ていた。


似合っていないわけではない。


むしろ似合いすぎている。

ただ、煌びやかなクリスマスパーティーというよりは「紅白歌合戦のベテラン枠」か「老舗旅館の若女将」といった風情だ。


眼鏡と着物の組み合わせが妙な迫力を生んでいる。


「……悪くないですよ。目立ちます(色んな意味で)」

「……佐藤さんも。タキシード、光沢がすごいですね」


「ポリエステル100%ですから」

俺は自嘲した。


照明を反射してテカテカと光る安っぽい黒。


MA(マリアージュ・アカデミー)の連中が着ている上質なウールのタキシードとは素材の「偏差値」が違う。


「うぃーす。二人とも、キャラ立ちすぎ」

カケルが現れた。


こいつは、なぜかこういう場に馴染む。


少し着崩したベルベットのジャケットに、銀髪。

「俺、今日は『ホスト枠』で攻めるんで。じゃ、戦場で!」


カケルはひらひらと手を振りさっさと会場へ吸い込まれていった。

裏切り者め。


「……行きますか。女将さん」

「……はい。ボーイ長さん」


俺たちは悲壮な覚悟で巨大な両開きのドアをくぐった。


「孔雀の間」


その名の通り天井には孔雀の羽を模した巨大なシャンデリアが鎮座していた。


眩しい。


電気代いくらだ、これ。


会場には、すでに200人近い男女がひしめいていた。


MAのアベンジャーズ(美男美女)が、シャンパングラスを片手に優雅に談笑している。


空気が違う。


酸素濃度が薄い気がする。


「……あ、ローストビーフがありますよ」

田中さんが素早く反応した。


「行きましょう。会費3万5千円です。元を取らないと」


「……そうですね」


俺たちが壁際をカニのように移動しビュッフェ台へ向かおうとしたその時だった。


「見つけたわ」


背筋が凍った。


この声。


この、ねっとりとした甘い響き。


会場のざわめきが一瞬、遠のいた気がした。


振り返ると、そこには「女王」がいた。


高円寺麗華。


真紅のイブニングドレス。


背中は大胆に開いているのにいやらしさを感じさせない圧倒的な品格。


周りのMAの美女たちが、霞んで見える。


「……高円寺さん」

「待ってたわよ、佐藤さん。 ……あら?」


彼女は俺のテカテカのタキシードを見て、ふふっ、と笑った。


「いい光沢ね。ミラーボールみたいで素敵」

(褒めてないだろ)


そして、田中さんの方を見て、目を丸くした。

「……田中さん? てっきり、旅館の仲居さんが迷い込んだのかと思ったわ」


「……訪問着です」

田中さんが、負けじと眼鏡を押し上げた。


「日本の正装です。文句ありますか」


「いいえ。……個性的で、いいと思うわよ?」


麗華は、興味なさそうに田中さんから視線を外し俺の腕をガシッと掴んだ。


力が強い。


「さあ、行きましょう、佐藤さん。 メインテーブルはあっちよ」


「えっ、ちょ、俺はFクラスの席へ……」


「ダメ。 今日は私が主催者(ホスト)。 私のパートナーは、あなたに決めてあるの」


グイグイと引っ張られる。


小指が痛い。


靴擦れが悪化している。


「ちょ、待って! 田中さんが!」


俺が振り返ると田中さんは人波に飲まれかけていた。


彼女は俺と麗華を見て少し寂しそうにでも「行ってこい」というように小さく手を振った。


その手には、すでにローストビーフをのせた皿が握られている。

(……たくましいな、おい!)


連れて行かれたのは、会場の中央。


一番目立つ、VIP席だった。


周りは、MAの選抜メンバーや、どこかの社長令息みたいな連中ばかり。


そこに、ポリエステルの俺が放り込まれる。


公開処刑だ。


「紹介するわ。彼が、佐藤さん」

麗華が、高らかに宣言した。


「えっ、この人が?」


「噂の『塩焼きそば』の?」


「プッ、服、テカテカじゃん」


クスクスという笑い声。


視線の針。


俺は、穴があったら入りたい。


いや、いっそローストビーフの下に隠れたい。


「笑わないで」

麗華の声が、低く響いた。


一瞬で、周りが静まり返る。


「彼は、あなたたちが一生かかっても持てない『予測不能な面白さ』を持ってるの。 ……ねえ、佐藤さん?」


彼女は、俺の耳元に顔を寄せた。

香水の匂いが、脳を麻痺させる。


「……今夜は、帰さないから。 私の部屋(スイート)、取ってあるの。 ……朝まで、あなたの『デタラメ』を、私に教えて?」


(……ひいっ!)


退学か、貞操の危機か。


究極の二択だ。


その時。


会場の照明が落ちた。

スポットライトが、ステージを照らす。


「レディース・アンド・ジェントルメン! これより、メインイベント! 『聖夜のダンスタイム』を始めます!」


司会者の声。 優雅なワルツの調べ。


「さあ、踊りましょう。佐藤さん」

麗華が、手を差し出した。


「む、無理です! 俺、ダンスなんて……」


「大丈夫。リードは私がするわ。 あなたは、ただ私に身を委ねて……転べばいいのよ」


逃げ場はない。


俺は、震える手で彼女の手を取った。


スポットライトが、俺(テカテカ)と、麗華(真紅)を照らし出す。


フロアの隅で、ローストビーフを頬張る田中さんと目が合った。


彼女は、モグモグしながら、何かを言った気がした。


口の動きで分かる。


『転・ん・で・こ・い』


……上等だ。


俺は、破れかかった覚悟を決めた。


偏差値38のダンスを、エリートたちに見せつけてやる。


小指の激痛に耐えながら、俺は、地獄のワルツへと足を踏み出した。

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