第14章 E判定探偵(田中)の最終弁論

「佐藤! 不合格だ! 畳(そこ)から下がれ!」

桜木塾長の非情な宣告に、俺(佐藤健太)は、塩となって燃え尽きたまま、よろよろと畳から降りた。


足が、痺れている。

正座と、精神的ダメージで。


研修室の隅に戻ると、Fクラスの同志たちが、なんとも言えない「お前、先に死んだな」みたいな顔で俺を見ている。


……冗談じゃない。


もう、いっそ、このまま「山の家」から脱走してやろうか。

(いや、電波も届かないんだった。遭難するだけだ)


俺の視線の先で、田中美咲さんが、いまだに顔を真っ赤にして、ノートに何かを書き殴(なぐ)っている。


……すまん、田中さん。


君の名前(美咲)を、俺の架空の娘(という設定の彼女)の名前にしてしまって。


「よし! 次の挑戦者!」 桜木塾長(父親役)が、早くも次の生贄を選ぼうと名簿を睨んだ。


「Fクラス、田中!」


(……来た!)


俺は、自分の時とは違う種類の冷や汗が、背中を伝うのを感じた。


田中さんが、びくん! と、教科書(ミステリ)を落としそうになりながら立ち上がった。


「は、は、はい!」

彼女は、ロボットのような、ぎこちない動きで、あの、ちゃぶ台(処刑台)の前へと進み出た。


俺と同じように、畳の上に正座する。

(……頑張れ、E判定探偵の相棒)


俺は、心の中で、無責任なエールを送った。


「よし、田中!」

桜木塾長が、設定(台本)を読み上げる。


「設定は、さっきの佐藤の『逆』だ」


(逆?)


設定: 田中(30・架空):娘。彼氏(28・架空)を連れてきた。

父親(桜木):娘を溺愛。

彼氏のことは(もちろん)気に入らない。


「えっ」 田中さんが、素っ頓狂な声を上げた。

「あ、あの、私が、娘、役ですか?」


「そうだ。 君たち(E判定)は、『自分がどう見られているか』だけでなく、『自分がどういう相手を連れてきたら、親が安心するか』も、分かっておらん! いいな! 俺(父親)を、安心させてみろ!」


「スタート!」


(……無茶(むちゃ)だ!)


俺は、思わず膝を握りしめた。


健太(俺)の失敗(「塩」)を見た直後だ。

田中さんは、完全にパニックになっている。


桜木(父):「……美咲(みさき)」

(うわ、いきなり名前呼びだ)


「は、はい! お父さん!」


桜木(父):「……隣(となり)にいる、その男(架空)は、誰だね?」

田中:「あ、あの! えっと、彼氏の……(架空の彼氏名、どうする!?)」 田中さんの目が、助けを求めるように、研修室を泳ぐ。 そして、なぜか、俺(佐藤健太)と、バチッと、目が合ってしまった。


(……やめろ、俺の名前を出すんじゃないぞ、絶対に!)

俺は、全力で「目をそらす」という、偏差値38のスキルを発動した。


田中:「……え、ええと! 『健一(けんいち)』さん、です!」

(……セーフ! 惜しい! だがセーフだ!)

(※注:健太(けんた)と健一(けんいち)。E判定の動揺が見える)


桜木(父):「ほう。健一くん。 ……何をしている人かね? まさか、バーベキューで、塩(しお)まみれの焼きそばを作るような、甲斐性なしでは、ないだろうな?」 (……まだ、俺の傷を抉るか、この父親は!)


「「「(……ぷっ)」」」

研修室のあちこちで、笑いをこらえる声がする。

田中さんの顔が、みるみる青ざめていく。


田中:「そ、そ、そんなこと、ありません! 健一さん(架空)は、真面目で、誠実で…… あの、塩と砂糖も、ちゃんと見分けられますし!」

(……そこか!? そこをアピールするのか!?)


桜木(父):「……フン。塩と砂糖だと? そんなものは、どうでもいい! 美咲! お前は、その男(健一)の、何が良くて、結婚などと……」


「それは!」

その時だった。


田中さんが、それまでのか細い声とは、まったく違う、 まるで、法廷に立つ弁護士のような、 張りのある声を出したのだ。


「それは、お父さんの『論理の飛躍』です!」


「「「…………え?」」」

俺も、桜木塾長も、研修室の全員が、固まった。


田中さんは、正座のまま、真っ直ぐに桜木(父)を見据えていた。

眼鏡の奥の目が、昨日とは違う光で、ギラリと光っている。


(……来た!)


(嘆きの橋で言っていた、彼女の『論文』癖だ!)


田中:「お父さん(桜木)は、今、『塩と砂糖はどうでもいい』と、仰いました! ですが、それは、『健一さん(架空)が持つ、地味だが堅実な能力』を、正当に評価していない、という『証拠』です!」


桜木(父):「な、なんだと……?」

(塾長、押されてるぞ)


田中:「それに、お父さんは、先ほど『塩まみれの焼きそば』という、過去(さっき)の、たった一度の失敗(佐藤さんの件)を、持ち出しました! それは、『健一さん(架空)』という、まだ見ぬ人物(ターゲット)に対して、著しい『予断と偏見』を持って、接しているということです!」


「「「おお……」」」

Bクラス、Cクラスの連中からも、どよめきが起きる。


田中:「私は! 健一さん(架空)の、『論文』……ではなく! 『誠実さ』と、『物事を、論理的に判断できる』ところを、尊敬しています! ですから、お父さん(桜木)も、 『予断』を捨てて、彼(架空)と、ちゃんと『対話』…… ……いえ、『ラリー』を、してください!」


田中美咲は、畳の上で、 (俺の「塩」失敗を、見事に「ネタ(論拠)」として使いこなし) E判定探偵の、完璧な「最終弁論」を、 ぶちかましたのだ。


「「「…………」」」


研修室は、水を打ったように静まり返った。 桜木塾長(父親役)は、 ……口を、あんぐりと開けたまま、 ……目の前の、小さな弁護士(田中)を、 ……呆然と、見つめていた。


(……勝った)

(いや、分からんが、たぶん、勝ったぞ、田中さん!)


「……そこまで!」

桜木塾長が、我に返ったように叫んだ。

ホイッスルは、鳴らなかった。


「……田中」

「は、はい!」

(我に返った田中さんの顔が、また真っ赤だ)


桜木塾長は、腕組みをしたまま、難しい顔で、うなった。

「……貴様」

「……論理は、立っている。 ……だがな」


「……『誠実』だの『論理的』だの、 ……お前の彼氏(健一)は、 ……面白みが、無さそうだな!」


「「「(……あ)」」」


「……結婚は、『論文』じゃないんだぞ、美咲」

桜木(父)は、そう、ニヤリと笑って、 田中美咲(30・架空)の、人生初(?)のロールプレイングを、 「判定:保留(Cマイナス)!」 と、締めくくったのだった。


……まったく。

この予備校、どうなっているんだ。


俺と田中さんは、二人揃って、桜木塾長(父親)という「最難関」に、見事に玉砕させられた。

E判定探偵コンビの明日は、どっちだ。

(というか、俺の『塩』ネタ、完全にいじられてるだけじゃないか……)


俺は、畳の縁で、一人、しょっぱい思いを噛み締めるしかなかった。

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