第5章:第1回 全国統一婚活模試(E判定)
あの地獄の「スピーキング演習」から二週間。
俺は、桜木塾長に命じられた通り、家でブツブツと「会話の壁打ち」――想像上の相手に『共感』と『深掘り』を繰り返す奇妙な練習――を続けていた。
(「へえ、料理ですか! 凄いですね!」「どんな料理を?」……これでいいのか?)
そんなある日。
塾生専用サイトに、Fクラスの俺たちを震撼させる告知が掲載された。
【緊急告知】第1回 全国統一婚活模試(合同お見合いパーティー)
会場:市内シティホテル「鳳凰(ほうおう)の間」
服装:塾指定「標準服」必須
ついに来た。
「模試」という名の、本番。
当日。
俺は、クリーニングに出したばかりの「標準服(あの紺ジャケ)」をまとい、人生で足を踏み入れたこともないような、シティホテルの分厚い絨毯(じゅうたん)を踏みしめていた。
「鳳凰の間」
名前が、すでにE判定の俺を拒絶している。
会場は、すでに大勢の男女でごった返していた。
その熱気に、俺はまず当てられた。
予備校のFクラスとは、明らかに「層」が違う。
男は自信に満ちた(ように見える)エリート風。
女は、俺が一生縁のない雑誌から抜け出してきたような、華やかな人たちばかりだ。
(……まずい。完全に場違いだ) 俺が入り口で「地蔵型」に戻りかけていると、背後から強烈な声が飛んだ。
「Fクラス! 入り口で固まるな! 邪魔だ!」 振り返ると、鬼の形相の桜木塾長が立っていた。
Fクラスの面々は、俺と同じように、会場のオーラに呑まれて立ち尽くしていた。
チェックシャツの同志(今はストライプシャツ)も、フリルの彼女(今はワンピース)も、そして、大きな眼鏡の奥で不安そうに唇を噛む、田中さんも。
「いいか、諸君!」 桜木は、俺たちFクラスの生徒だけを円陣のように集め、低い声で檄を飛ばした。
「勘違いするな。今日はパーティー(お祭り)じゃない。『模試』だ! 君たちは、自分の現在の偏差値が、本番の会場でどこまで通用するかを試しに来たんだ」
桜木は、華やかな会場を顎でしゃくった。
「見ろ。あれが、君たちの『ライバル』だ。 Sクラス(ハイスペック)の連中。ライバル予備校『マリアージュ・アカデミー』の選抜組。 あいつらは、偏差値60、70がウヨウヨいる世界だ。 E判定(おまえたち)が、真正面からぶつかって勝てると思うな!」
「じ、じゃあ、どうすれば……」 俺がかすれた声を出すと、桜木はニヤリと笑った。
「決まってるだろう。『戦略』だ。 E判定にはE判定の戦い方がある。 高望み(難関校)を狙うな。まず、自分と同じ『偏差値40前後』の、確実にラリー(会話)ができそうな相手を見つけろ。 そして、今日学ぶことは一つ! 『ラリーを、5分間、絶対に途切れさせないこと』だ! いいな! 目標は『マッチング』ではない! 『5分間のラリー継続』だ! 解散!」
号令と共に、俺たちは本番の会場(戦場)へと散っていった。
……無理だ。
開始10分で、俺は悟った。
学んだことは、実践では全く通用しなかった。
俺は、なんとか手近な女性に声をかけた。
俺:「あ、あの、佐藤です。趣味は……(まずい、趣味がなかった)……映画とか、見ます」
女性:「(スマホをチラ見しながら)ああ、映画ですか。私もです」
(来た! ラリーだ!) 俺は、練習通り「深掘り」を試みた。
俺:「(共感!)へえ! どんな映画を……」
女性:「(興味なさそうに)色々です。あ、友達呼んでるんで」 スッ、と彼女は立ち去った。
……ラリーが、続かない。
ラケットを振ろうとした瞬間に、相手がコートから立ち去る。
これが、偏差値38の現実。
周りを見渡す。
Sクラスや、ライバル校の連中がいるであろうテーブルは、明らかに空気感が違った。
スマートな会話、弾けるような笑い声。
彼らは、流れるようなラリーを楽しんでいる。
俺は、Fクラスの仲間を探した。
チェックシャツの同志は、ビュッフェの料理をひたすら皿に盛っていた。
フリルの彼女は、二人のハイスペック男子に囲まれているが、完全にフリーズして地蔵になっている。
そして、田中さん。
彼女は、会場の隅、壁際で、一人ポツンと立っていた。
手にしたグラスを、ただじっと見つめている。
(……ダメだ。俺も、彼女も、ここでは『E判定』のままだ)
結局、俺は「5分間のラリー継続」という最低目標すら達成できず、誰のカードにも名前を書けないまま(書く勇気がなかった)、模試は終了した。
翌週。
Fクラスの教室。
空気は、通夜のように重かった。
「……見たか。あれが『本番』だ」 桜木は、淡々と言った。
ホワイトボードには、「第1回 婚活模試 結果」と書かれた紙が張り出されている。
佐藤 健太:マッチング数 0
田中 美 咲(みさき):マッチング数 0
(ここで初めて、俺は彼女のフルネームを知った)
Fクラス全員:マッチング数 0
そして、その下に、真っ赤なインクでこう書かれていた。
「E判定(現状維持) : 基礎力、圧倒的不足」
「付け焼き刃の内申点(服装)と、壁打ち(練習)の会話術では、偏差値60以上の連中には歯が立たんということが、よく分かっただろう」 桜木は、俺たちを一人ずつ睨みつけた。
「だが、落ち込んでいる暇はないぞ。 なぜなら、受験生にとって、夏は『天王山』だからだ!」
天王山?
「E判定の諸君が、この夏をダラダラと過ごせば、結果は『不合格(=一生独身)』それだけだ」 桜木は、教壇を指示棒で叩いた。
「ゆえに、『ブライダル・パス』は、この夏、強制参加の『夏期特訓合宿』を実施する!」
(夏合宿!?) 教室が、どよめいた。
「基礎力が足りないなら、叩き込むまでだ! 朝から晩まで、会話術(スピーキング)の猛特訓! ライバル校との合同演習(バーベキュー)! 模擬デートと、俺(桜木)による公開ダメ出しだ!」
桜木は、ぎらぎらした目で笑った。
「覚悟しておけ、Fクラス。 この夏で、君たちの偏差値を、最低でも45まで引き上げてやる!」
俺は、隣の席で、顔を真っ青にしている田中さんと、思わず目を見合わせてしまった。
たちの、地獄の(?)夏が、始まろうとしていた。
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