第4章:第3講「会話術(リスニング&スピーキング)」
「内申点対策」で割り当てられた、あの小洒落た「標準服」 俺はあの日以来、桜木の宿題――「その格好で街を歩き、違和感をなくしておけ」――を、真面目に実行していた。
最初は、まるで他人の服を借りてコスプレしているような、足がふわふわする感覚だった。
だが、仕事帰りにあのジャケットを羽織り、わざとカフェなどに立ち寄るうちに、不思議と背筋が伸びるような気がしてきた。
「婚活受験生」の制服。
それは、俺にくたびれたサラリーマンとは別の「役割」を与えてくれた。
そして今夜。
俺は、その「制服」をまとって、Fクラスの教室の扉を開けた。
「よし、集まったな」 チャイムと同時に、塾長・桜木が指示棒を手に現れた。
「諸君、内申点(外見)は最低限整った。 だが、それはあくまで『足切り』を突破したに過ぎん。 本当の試験(本番)は、ここからだ」
桜木は、ホワイトボードに第3講のテーマを叩きつけるように書いた。
第3講:会話術(リスニング&スピーキング)
「いいか。君たちE判定の人間が、なぜ本番(お見合いやパーティー)で惨敗するか。 理由は二つ。 自分の話ばかりする『演説型』か。 ビビって何も話せない『地蔵型』か。 そのどちらかだ」
Fクラスの面々が、気まずそうに俯く。
俺は、間違いなく後者だ。
「いいか、よく聞け。 婚活の会話は『キャッチボール』だと、生ぬるいことを言う奴がいる。 違う! 婚活の会話は、テニスや卓球の『ラリー』だ!」
桜木の熱がこもる。
「演説型は、相手コートにサーブを打ちっ放しにする奴だ。 地蔵型は、そもそもラケットすら振らない。 どちらも、試合(会話)にならん!」
「いいか。ラリーを続けるコツはただ一つ。 『相手が、最も打ち返しやすい場所に、全力で返すこと』だ。 決して、自分本位のスマッシュを打ったり、ボール(話題)をコートの外(沈黙)に落としたりするな。 そのための必勝法が、『傾聴8割・発言2割』。そして『共感』と『深掘り』だ」
桜木は、教室を見渡した。
「理屈は分かったな。では、これより『実技演習』に移る」
来たか。
教室が一気に緊張する。
「適当に二人一組のペアになれ。男女で組むのが望ましい。 ……おい、ぼさっとするな!」
お見合いパーティーのフリータイム開始直後のように、全員がもじもじと視線を泳がせる。
まさにFクラス。
俺もどうしたものかと立ち尽くしていると、桜木が指示棒で俺を指した。
「佐藤! 貴様は、そこの田中さんと組め」
「え」 俺が振り返ると、教室の隅で、一人静かにノートを開いていた女性が、びくりと肩を揺らした。
彼女が、プロットで言うところの「田中さん」(仮名)か。
いや、名前も「田中」だった。
彼女もまた「標準服」――落ち着いた色合いのワンピース――を着ているが、大きな眼鏡の奥で、ひどく緊張した目をしていた。
真面目そうな、まさに「塾生」といった雰囲気の女性だ。
俺は、ぎこちなく彼女の前の席に座った。
「よし、いいか! テーマは『休日の過ごし方』制限時間5分。 今習った『共感』と『深掘り』を使い、絶対にラリー(会話)を途切れさせるな。 では、始め!」
無慈悲なストップウォッチの音が響く。
俺と、田中さん。 地蔵型(たぶん)と、地蔵型(おそらく)。
「あ、あの……はじめまして、佐藤です」 俺は、なんとか声を絞り出した。
「……はじめまして。田中です」 蚊の鳴くような声だった。
「えーと……田中さんは、お休みの日って、何されて……」
「……あ。……だいたい、図書館に行ってます」
(図書館!) 俺の頭が、桜木の教えを必死で反芻する。
(『共感』と『深掘り』だ!)
「へえ、図書館ですか! 凄いですね!(←共感) ……あの、どういう本を、読まれるんですか?(←深掘り)」
「……ミステリ、とかです」
「ミステリ……」
(……) (……)
(終わった!) ラリーが、2往復で途絶えた。
ボール(話題)は、俺の足元にポトリと落ちた。
(どうする? ミステリの何を深掘りすればいいんだ? 海外か? 国内か? 犯人当てるのが好きか、とか? 重い!)
俺がパニックになっていると、田中さんが、沈黙に耐えかねたように口を開いた。
「……佐藤さんは」
「えっ」
「……佐藤さんは、お休みの日、何を……」
「あ、俺ですか! 俺は……(まずい、趣味と呼べるものがない)……だいたい、YouTubeとか見て、ダラダラして……」
「……そう、ですか」
(……) (……)
再び、重力に逆らえないほどの沈黙が落ちる。
完全に、ダブルフォルトだ。
その時。 「ストーーーップ!!」 桜木の怒声が、教室中に響き渡った。
彼は、仁王のような形相で、俺たちの机の横に立っていた。
「佐藤! 田中! 今のはなんだ! あれはラリーか!? 違う! お互いが、初歩的なサーブを打っただけで、二人揃ってラケットを投げ捨てたようなものだ! 試合(会話)放棄だ!」
「も、申し訳ありません……」
「佐藤! 『ミステリ』という、絶好の『打ちやすい球』が来たのに、なぜ深掘りしなかった! 『どんな作家が好きなんですか』『最近読んだ中で面白かったのは』『俺も読んでみたいからオススメありますか』! 100通りの返球があっただろうが!」
「うっ……」
「田中! 貴様もだ! 『YouTube』と来たなら、『どんなチャンネル見るんですか』『私もそれ興味あります』となぜ返さん! 『そう、ですか』でボール(話題)を叩き落としてどうする!」
田中さんは、顔を真っ赤にして俯き、「……申し訳ありません」と消え入りそうな声で呟いた。
「いいか! 君たち二人は、典型的な『受け身(パッシブ)』だ! 受け身と受け身が組んでも、そこには『無』しか生まれん! お互いが、相手に『会話を盛り上げてほしい』と期待している。 そんな甘えた根性だから、E判定なんだ! それでも第一志望(成婚)に合格したいのか!」
「「はい……」」
「なら、練習しろ! 会話は『才能』じゃない。『技術』だ! 次の『模擬試験』までに、最低限のラリーができるようになっておけ! 壁とだって練習できるだろうが!」
桜木の檄が飛ぶ中、俺は隣の田中さんを盗み見た。
彼女は、俯いたまま、恐ろしい速さでノートに何かを書き込んでいた。
そのノートには、「ミステリ→深掘り(作家、オススメ)」「YouTube→(チャンネル)」といった、赤ペンでの書き込みがびっしりと並んでいた。
俺は、自分の「制服」の袖を、そっと握りしめた。
……英文法より、よっぽど難しい。
俺の「婚活受験」は、スピーキング(会話術)という、とんでもない難関科目にぶち当たっていた。
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