第15話 オレの修行・ぷうの修行

「あんた覚えが早いわ」

 修業を始めて三か月余り、年の瀬が近づいてきた頃、凛がオレに言った。


「あんた途中で心の持ち方変えたでしょ」

「はい」

「楽になったでしょ」

「はい」

「それを素直っていうの。本当の素直の境地に達してないと良い退魔はできないの」

「そうなんですか?」

「そうよ、『素直』は『空』の事。私達の使う真言や禁呪ごんじゅはそれ自体は文字の羅列でも、読む人の心の清らかさや強さがそのまま反映するの。もちろん大きさも」


 それはなんとなく分かる。皮革帯を使った除霊でも同じことだ。ただ『空』が良く判らない。


「あんたも大学で般若心経くらい教わったでしょ? 空って言葉が沢山出てきたでしょ」

色即是空しきそくぜくうとか五蘊皆空ごうんかいくうとかですか?」


「そう! それよ。色も五蘊のうちだから分かりやすいと思うけど、観自在菩薩は舎利子に教える時に「あんた、人は五蘊(色・受・想・行・識)でできていると思ってるでしょ? 実はそれは凡人の考え方なの、わたしぐらいになると一周回って五蘊でもないの」って教えたの」

 なんで観自在菩薩様がオカマ言葉なんだよ。


「それは『無』の概念だと教わった気が……」

「うんうん、そうね、そう教わるわよね、だけど『無』と『空』とじゃ容量が違うの。空はサンスクリット語でシューニャ(梵)よね、これはインド数学で言う0の事。0と無が違うって事は判るでしょ?」


「……?」くっ、わかんねぇ。0は無じゃないのか?

「バカね、無じゃ何にも起きないじゃない。シューニャの名詞形はシューニャーターで空性って訳されるの。空性よ空性!」

 あ、いや、もう何言ってるのかちょっと判んない……。


「つまり、限りなく物を入れられる袋に何にも入れてないのが空。元々何にも無いのが無って事」

 あ、ちょっと判ったかも。


「その大きな袋に真言や禁呪をたっぷり詰めて解放できるのが神や仏と呼ばれている方達」

 あ、またちょっと判んなくなってきた。


「つまり、世界中の神様や仏様って言われている方達はそれこそ『創造』できるほど空の容量が広いの」

「……」


「つまり空の力を使えれば口に出したことを具現化できるの。だからもし、神様が「仲良くせよ」と言ったつもりで「仲たがいせよ」って間違って言っちゃったら世の中はそうなっちゃうのよ」

 ふむふむ。


「私達の世界には八百万やおよろずの神様が宿っているの。その中で何人かは人間に力を貸してあげたいって思っている神様がいるのね、その方達の御力を私達、力を持った空の原理を理解している人間がお借りするの」


「だから、本当に素直に心の底からお願い出来ない人にはリームーなの」

「リームー?」

「無理なの」

 時々変な事を言いやがる。


「大男のオカマにガンガン言われて蹴っ飛ばされて、反骨だとか反抗みたいな気持ちが強くなってくるものなのよ、だけどそういう人達にも「素直さ」の大切さは教えるの。でもそうやって教わった素直さを真言や禁呪に込めてもせいぜい三級退魔士までにしかなれないのよ。真の空の意味が分かっていないから。あんたみたいに自分でそこに気が付くと……これは伸びるわよ」

「ありがとうございます」


「さすがパパが目を掛けてるだけのことはあるわ」

「パパ?」

「あれ? 私校長の息子よ。知らなかった?」

 いつもニヤニヤしながら修行を眺めているだけのキビトが、いつの間にかオレの傍にやってきて「安倍一族だろ?」と聞いた。


 リンが、狼がゴリラを喰ったような凄惨な笑顔でニヤリと笑い、「そうよ、祖先は安倍晴明あべのせいめいよ」と答えた。

そういえば校長も安倍姓だったような。


「あんたなんか一瞬で封殺よ」

 キビトを脅したが、当のキビトは「ふふん」とたじろぐ気配も見せなかった。


「憎ったらしいお猿さんね、でもまあ、レントのペットだから許してあげるわ」

 なおもリンの憎まれ口は続いたが、キビトは相手にしなかった。返事の代わりにふっと消えた。


 家の裏の雑木林を開いて作った修行場には時々ぷうも来て、内の蛇を抑えるコツなんかをリンに教えてもらっているようだったが、本当の目的はオレの近くにいたいだけのようだった。


「レント先生、最近私、リン先生に杖術を習ってるんです」

「ジョウジュツ?」

「杖で敵と戦う技です」

「ああ、その杖術ね」

「でもね、ただの杖術じゃないんです」

「?」

弓杖術きゅうじょうじゅつっていうんです」

 大学の格闘授業で大概の格闘技は身に付けたが、弓杖術は初耳だった。


「それはどんな術なの?」

「昔、矢が尽きて弓だけになってしまった弓手が弓だけで戦ったとか、弓の弦が切れてしまった弓手がその弓で戦ったとか、拾った矢一本で戦ったとか、色々言われているようですけど、とにかく今は手近な細い棒が武器になるからって護身術として発達した技なんですって」

「ほう、実戦的な技みたいだな」


 ぷうはぷうなりに自分の出自から生まれるかもしれないトラブルを回避しようとしているのかもしれない。なんでも身に付けておいて損は無い。

「ええ、もうちょっと腕を上げたらレント先生をペチペチしちゃおうかなって思ってます」

「バーカ」


 蛇に半分乗っ取られた思考での発言とはいえ、美少女からのアプローチは悪い気はしない。ペチペチにちょっと心が躍っている自分が情けない。


 いつの間にかオレの事をレントと呼ぶようになっていたが、それよりも冗談を言い合っていても、時々すっと瞳が縦長になりかけるのが怖い。

 しかしかなりコントロールは効いているようで、力を掛けて抑え込んでいるような風は全く無い。


 寝ていて意識が無い時でもなにも問題なく抑えられているらしい。


「何言ってんですか先生、おねしょと同じですよ。寝ているからってそう簡単にあっちこっち緩みませんよ……うふ」

 成る程、かえっておねしょ扱いされた蛇にちょっと同情する。


「とにかく、そのまろやさんって人に遇わなければ、私はずっと正常でいられるんでしょ?」

「ああ、校長とキビトはそう言っていたな」

「しかもそのまろやさんは、強力に封印されているんでしょ、もう何も心配いらないですよね。私も杖術で強くなってますし」

「だといいな」


 やはりぷうの心配は蛇憑きの方が上らしい。

 自分の出自に関してはあまり気にしていないようだが、相手の出方の判っている物に関しては対処のしようもあるし、オレとオレの仲間が全力でなんとかする。それがたとえ強力な物ノ怪でも。しかし相手が何者なのか分からない物に関してはどうにも不安だ。


 オレなりにぷうの大叔父について調べてみたが、不明な部分が多い。ぷうの亡くなった祖父の名を継いで風間小太郎を名のり『風間興業』代表取締役に治まっている位の事は、今はインターネットで簡単に調べられるが、風間興業の実態が全く見えてこない。


『各種イベント補助』とか『建設用地調査』とか、『運輸一般』、『出版』なども会社概要には書かれているが、実績が見えない。求人も無い。

 何とも言えない不気味さがある。ぷうの言うようにヤクザ系の組織なのかも知れない。

 これから何年かの後、ぷうが結婚し、男の子を生んだとしたら……そしてその子が自分の出自をいつか知ったら。また、ぷうが風魔本家直系の男の子を生んだと現当主に知られたら……災いの種は尽きないはずだ。


 そしてそれがオレの子である可能性も……うわうわうわ! 無い無い! それは無い! 無いけど怖い。

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