第15話 幼馴染の距離、今の位置

 人の気配が薄い、待機エリアの片隅。


 さっきまでざわついていた胸の鼓動が、いまは別の意味で落ち着かない。


 目の前には――金色の髪を揺らす幼馴染。


「……ほんとうに、ユウトだったのね」


 ミーナが改めて僕を見つめる。


 腰までまっすぐに伸びた金髪。

 深い群青色の瞳。

 すっと立つその姿勢は昔と同じで、それでいて大人びていた。


「久しぶり、だよな」


 やっと絞り出した言葉は、それだけだった。


 ミーナは、小さく笑う。


「そうね。何年ぶりか……数えるのはやめておく」


「やめるのかよ」


「だって、あなた、いま顔が少し引きつってたもの」


「……そうか?」


 自覚はない。けれど、ミーナの前だとどうにもぎこちなくなる。



「さっきは、ちゃんと挨拶できなかったから」


 ミーナは一歩、僕との距離を詰めた。


「魔力法務局・調査課所属。ミーナ・レーヴェ。……一応、肩書き持ちになったから名乗っておくわ」


「知ってたよ。ニュースで何度か名前を見たし」


「そう。なら、少しくらい見直してくれてもいいのだけど」


 冗談めかして言いながらも、その瞳はどこか照れくさそうだ。


「ユウトは……〈ライオネル・デバイス社〉の開発部、なんだよね?」


「ああ。ラムダシリーズの補助魔導具、《レゾナ》の調整をしてて」


「レゾナ。……あなたらしいわ」


「どこがだよ」


「地味で、裏側で、でもないと困るもの」


「褒めてるのか、それ」


「もちろん」


 即答。

 胸の奥が、ほんの少し軽くなる。



「……避難訓練のときね」


 ミーナがそっと視線を落とした。


「ちゃんと話したかったのに、あの場では難しかったでしょう? 久しぶりに会えたのに、気づいたら解散で」


「まあ……あれは、そういう場だったから」


「だから今日こうして話せて――正直、嬉しい」


 はっきりと“嬉しい”と言って、まっすぐ僕を見る。


 ミーナは、こんなふうに気持ちを表に出すタイプだっただろうか。

 ほんの少し、驚く。


「ユウトは? 迷惑なら言ってくれていいけど」


「迷惑なわけない。むしろ……落ち着くよ」


「落ち着く?」


「お前を見ると、“昔の俺”も一緒に立ち上がってくる感じがして」


 口にした瞬間、ちょっと照れが込み上げる。

 けれどミーナは瞬きをして、それから柔らかく微笑んだ。


「それは……悪くない評価ね」



「にしても、魔力法務局か」


 僕は改めてミーナの制服を見る。


 深い紺色のジャケット。

 胸に刻まれた法務局の紋章。

 そのまっすぐな雰囲気に、驚くほど似合っていた。


「この発表会、法務局としても重要なの。新しい婚活システムの一部は、法的な扱いがまだ曖昧だから」


「なるほど……だから来てるんだ」


「そう。でも本当は私情を挟むべきじゃないのよ」


 そこでミーナは少しだけ視線をそらし、


「……でも、ユウトがいるなら話は別」


「別なんだ」


「別よ。昔からそうじゃない、あなたは」


 そう言って、すっと手を伸ばしてくる。


 僕のジャケットの襟元を、指先で軽く整えた。


「……なに?」


「曲がってたの。発表前に直しておかないと」


「誰もそこまで見ないだろ」


「見るわよ。カメラも、観客も。なにより――」


 ミーナは近い距離で、まっすぐ僕を見た。


「あなたを見ている人は、必ずいる」


 不思議な説得力があった。



「緊張してる?」


 襟を整え終えると、今度は肩に軽く手を置いてくる。


 重くないのに、しっかりと温度が伝わる。


「……まあ、してる」


「そうね。顔が少し硬いもの」


「お前は昔から容赦ないよな」


「事実を言っているだけ」


 ミーナはくすっと笑う。


「でも、あなたの緊張した顔、嫌いじゃない」


「どんな好みだよ」


「真剣な証だから。昔、運動会のリレー前もそんな顔してた」


「ああ……あったな、そんなの」


「覚えてる? スタートラインの横で、私ずっと見てた」


「……それは知らなかった」


「言わなかったもの」


 さらっとした言い方が、逆に胸に響く。


 ミーナの肩越しに見えていた景色は、

 思っていたよりずっと前から僕の方を向いていたのかもしれない。



 しばらくの沈黙。

 けれど気まずさはなく、むしろ温度が満ちていく。


「ユウト」


 ミーナが改めて名前を呼ぶ。


「……無理はしないで」


「無理?」


「大きく見せなくていい。あなたは、あなたのままで話せばいいの」


 肩に置かれた手に、少しだけ力がこもる。


「ライオネルの技術者としてのあなたも、

 法務局が見る“開発者”としてのあなたも――」


 一拍置いて。


「幼馴染として私が知っているあなたも。

 全部、同じ“ユウト”なんだから」


 その言い方は、ずるいほどまっすぐだった。


 胸が強く刺さる。


「……なんか、フレイさんにもアイラにも、似たようなこと言われた気がする」


「そう。なら三票目ね」


「三票目?」


「“ユウトはちゃんとやれる”っていう賛成票」


 ミーナは柔らかく微笑む。


「三人も言うなら、信じてもいいと思う」


「……そうだな」


 本気で、そう思えた。



 そのとき、天井の魔導スピーカーからアナウンスが響く。


『まもなく新型魔導具発表会を開始します。

 登壇予定の方はステージ袖の待機エリアまで――』


 周囲の空気がぴん、と張り詰めた。


「……行かないと、だな」


「そうね」


 ミーナは肩から手を離し、姿勢を正す。

 けれど視線は、まっすぐこちらを離さなかった。


「行ってらっしゃい、ユウト」


 それは昔と同じ言い方だった。

 学校へ向かう朝。

 試験の日。

 小さな勝負の前。


 何度も聞いた言葉。


 でも今の“行ってらっしゃい”は、意味がまるで違う。


「……行ってきます」


 短く返して、ステージへ続く通路に歩き出す。


 背中に、ミーナの確かな視線を感じながら。


(……見ててくれるなら、大丈夫だ)


 鼓動はまだ速い。

 けれど、足取りはもう揺れていなかった。

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