第54話 エピローグ

 その後、来栖は一命は取り留めたものの、今もまだ意識は戻っていない。


 収縮した舌により呼吸がままならず、脳に酸素が充分にいきわたらなかったためだという。


 いわば植物人間状態であり、このまま回復しないことも充分に有り得るということだった。



 その後しばらくして俺たちは、来栖の実家にもう一度行ってみた。


 一応人目につかないように、月が煌々と照る夜中にだ。


 俺たちはちょっと強引に建物内に侵入し、二階へ上がってみた。


 そこには、つい最近まで何者かが暮らしていたような形跡があった。


 電気もガスも水道も、なにもかもが問題なく使えるのだ。これは、誰かが料金を支払っていたってことか。いや、もしかしたら自動で払うシステムか何かがあり、それがそのまま生きていたのかもしれない。


 ここに住んでいたのは、レベッカだろうか。


 なら、レベッカは来栖と同居していた者なのだろうか?それとも――


「おい、どうした?」


 俺は建物の外にいるソルスに二階の窓から問いかけた。何やら庭の片隅をじっと見つめていたからだ。


「そういえばお前、最初に来たときも、そこら辺を睨んでなかったか?」


 ソルスは他人事のように言う。


「そうだっけ?」


「ああ、そうだ。思い出したぞ。確かにお前はあの日もそこを見ていた。間違いない。お前のその視線の先には何がいる?」


 俺はそう言いつつ、二階の窓から飛び降りた。


 そして着地するなり、ソルスを睨みつけた。


 ソルスはとぼけた顔をしながらも答える。


「ふたりの男女がそこにいる。たぶん十年前に死んだという来栖の両親だな」


「何だと!?」


 俺は驚き、ソルスの視線の先を見る。だが何も見えはしなかった。


「おい、そこにいるんだな?」


「いるね」


「冥界の扉を開けろ」


「いいよ」


 ソルスは言うなりくるっと回転した。


 瞬く間にソルスが死神の姿に戻った。


「ずいぶんと早変わりじゃねえか」


「慣れた」


 ちっ、なんとなくムカつくが、まあいい。


「さっさと空間を切り裂いて呼び出せ」


「わかった」


 ソルスが庭の片隅に向かって滑るように移動する。途中右手を高々と挙げた。途端にその手に大鎌が現出した。


 ソルスは庭の片隅にたどり着くと、その大鎌を振った。途端に空間に裂けめが出来た。


 続けて裂けめと交差するようにもう一度振るう。裂けめがピラッと捲れた。


 俺は捲れた暗黒の空間に向かって呼びかける。


「来栖京介の両親か?」


 闇の中に、四つの光が浮かび上がった。


 しばらくして、男の声で応答があった。


「そうです……」


 次いで女の声がする。


「はい。そうです……」


 どちらも消え入りそうな声だ。


「何故こんなところにいる?十年前に死んだと聞いたが、何か恨みをのんで死んだのか?」


 俺の問いに、来栖の父親が答える。


「はい。殺されましたもので……」


「殺された?誰に?」


 来栖京介――俺はそう思ったものの、念のため尋ねた。だがその答えは驚くべきものだった。


「女の子に……」


 女の子だと?


 と、母親も言った。


「わたしも、女の子に……」


 そいつは、まさか――


「その女の子の名前は?」


 四つの光は明滅している。


 と、父親が答えた。


「わかりません……」


 次いで母親も「わかりません……」と同じ答えをした。


「その女の子の年齢は?」


「十歳くらいでしょうか……」


 十年前に十歳。なら今は二十歳くらいか。それなら合致する。レベッカだ。間違いない。それ以外に誰がいる。だが――


「その女の子は何故あんたたちを殺したんだ?」


 父親が答える。


「さあ……あの女の子は、いつの間にか京介の部屋に居ついていました。そしてあるとき、階段の上にいたわたしの背中をドンと押して……」


「わたしはそのとき、お父さんのすぐ隣に居ました。驚いて振り向くとそこにあの女の子がいて、笑いながらわたしのことも突き落としました……」


 俺は思わずごくりとつばを飲み込んだ。


「あんたら突き落とされて殺されたのか。警察は調べなかったのか?あんたらちゃんと死亡届が出ているようだし、それなら警察は来たってことだろう。だったらあんたらも死んだとはいえ、霊となってずっとここにいるんだ。警察の捜査を見ていたはずだ」


 父親が答える。


「警察は来ましたが……十歳くらいの小さな女の子が、わたしらがもつれあうように転落するのを見たと泣きながら証言したので、警察も信じてしまったようです……」


 なるほどな。そりゃあそうだろう。まさかその女の子が殺人犯だなんて思うまい。


 それにしてもと俺は眉根を寄せる。


「さっき、いつの間にか居ついたと言ったが、そもそもそんな年齢の女の子が居ついているとわかった段階で、親元に帰そうとは思わなかったのか」


「はあ……すみません……わたしら京介には何も言えませんでしたので……」


 それにしても、十歳の女の子にそんなことが出来るだろうか。


「あんたら、殺されたときの年齢は?」


 父親は七十五と答え、母親は六十五と答えた。来栖が今三十五歳で、この両親が死んだのは十年前だから、母親が四十歳のときの高齢出産か。そして男が七十五で女が六十五なら、十歳の女の子でも突き落とすことは可能か。


「しかし、居ついていたのなら名前くらいは知ってそうなもんだが」


「すみません……京介とは会話も出来なかったもので……」


 典型的な引きこもりってやつか。しかしそれにしても――


「それって、あんたらの息子がその少女を拉致して、二階の部屋に監禁していたってことだよな?」


 光が激しく明滅する。


「さあ……」


 父親の返答に俺は苛立った。


「さあ、じゃねえよ!それ以外に考えられないだろうが!」


 だが父親は、弱弱しくも反論した。


「はあ、でも……京介はあの女の子に逆らえないようでしたし……」


 なんだと?来栖が逆らえなかった?


「それは本当か!?」


 俺の勢い込んだ問いに、母親が答えた。


「お父さんが言っていることは本当です。京介はあの子に逆らえませんでした……」


 確かに来栖京介は、レベッカに対して敬語を使っていた。なら合致はする。するが――


 なんかくらくらと眩暈がしてきた。


「その女の子が棲みついたのはいつだ?」


「わたしらが殺される数か月前くらいでしょうか……」


 どうも眩暈だけではなく、耳鳴りもしてきた。その証拠に父親の返答が遠くに聞こえる。


 なんだこれは?どういうことなんだ?わけがわからない。レベッカは何者だ?


「京介はどうなりましたか……」


 母親が問うてきた。


 俺は不機嫌に答える。


「警察に捕まったよ」


「そうですか……京介は何かしましたか……」


「何かしたって、あんたら来栖が何をしたのか知らないのか」


「はあ……ずっとここに縛られているもので……」


 なるほど、地縛霊ってやつか。ここにずっと引っ張られているために、来栖の犯した罪がなんであるのかわからないのだろう。


「来栖が犯したのは、殺人だよ」


「そうですか……」


「殺人と聞いても、特に驚かないんだな」


「はあ……」


 人殺しをしてもおかしくないと、思っていたってことか。


 と、父親が問いかけてきた。


「あの女の子はどうなりましたか……」


 俺は思わず肩をすくめた。


「さあな。この世の何処かにいるよ。まだ死んじゃいないのは確かだな」


「そうですか……」


「それじゃあんたら成仏できねえか」


「はあ……」


 なんかもううんざりした。


 俺はもう何も言わずに踵を返した。


 ソルスの横を通りすぎるとき、ちらと見た。


 ソルスは、さも愉快そうに笑っていた。


 俺の背中で空間が閉じる音がした気がする。


 どうでもいい。俺はもう、色々と疲れていた。


 ふと見上げると、雲間に月が煌々と照っている。


 眩しい。月明かりがこんなに眩しいなんて。俺は思わず目の前に手を翳す。月の光が遮られて、わずかに暗くなった気がする。


 そこに横から、ぬっとソルスの顔が飛び込んできた。


 といっても人間の姿となったソルスの顔である。


 だがそれでも俺は、驚いて仰け反った。そして舌打ちをする。


「てめえなにしやがんだ!」


「どんな顔をしているのかと思って覗き込んでみた」


 ちっ、とまた俺は舌打ちをする。そういえばこっちの世界に来てから舌打ちばっかしてるな。いや、そんなことないか。あっちの世界でもしていたわ。それもかなり頻繁に。これは癖だな。俺の悪い癖だ。


 次いで俺は大きなため息を吐いた。これも多いな。俺は何かといえば舌打ちをしてため息を吐く。


 直そう。せっかく世界が変わったんだ。俺自身も変わろう。新生活のはじまりに、俺は今そうすることに決めた。


 とにかく俺は、再びこの世界で生きていくんだ。新生活を築いていくんだ。


 ふと見上げてじっと月を眺める。


 なにやらあの日と同じように、月が俺をわらっているような気がした。

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