天神様の嫌いなお祭りその4

明石さんと共に訪ねていくと、天神様の御社は通常の人間の目から見るのとは違う霊的な姿で我々を出迎えてくれた。


それは我々のような、平屋の事務所とは違う、こぎれいなビルの姿――。俺はその建物を見上げ、思わず感嘆の声を上げる。


「すごいですねぇ。ウチとは大違いじゃないですか。」


「ま、ここは学問の神として昔から信仰厚いお社やからなぁ。集まる賽銭も信仰心もウチとは桁が違うわ。まぁ今の日本、出世したかったらまずは学歴やから、無理もないっちゅうこっちゃな。」


「……なるほど。」


 いささかそういうコースから外れて学校も試験も関係ないところで働いている現在の俺にとって、微塵も実感のない話だが、まぁ確かにそういう人たちにとってはすがりたくなる神であることには間違いがない。


さしずめ、こっちは下町の中小企業、向こうは大手優良企業ってとこか。


どうやら、エライとこに乗り込んできたらしい。


俺はそんなことを考えながら、明石さんの後に続き、ビルの中に足を踏み入れた。


一歩中に入ると、出迎えたのはきっちりした身なりのお稲荷さん受付嬢。


彼女が姿勢正しく、淡々と天神様に取り次ぐ姿に俺は再び面食らってしまった。


「……あの神様も、明石さんと同じ稲荷明神ですよね?」


「そら、この辺はビジネス街やからな。問屋や市から発達した町を守護してるうちらとはノリが違うわ。」


 なんともはや、同じ神にも所変われば色々あるようである。


 もしかすると、これも御社の主の影響なのだろうか?


俺は綺麗に掃除された事務所の中を彼女に案内されながら、そんな事を考えていた。


「……ええ?わかってるとは思うけど、天神様の前では「すべる」「おちる」「ころぶ」は禁句やで。」


「……え?それはまたどうして?」


「いまさらなに言うてんの!相手は名うての学問、受験の神やないの。この手の言霊は嫌がらせ以外の何者でもないんやで?」


 前方のお稲荷さんに聞こえないようひそひそと助言する明石さんの言葉に、俺はああ、なるほど、と小さく頷いた。


 この仕事を始めて初めて知ったが、我々が話す言葉には少なからず霊的な力がこめられており、特に「想い」の力を重視する神々は、汚らしい言葉や縁起の悪い言葉を「穢れた言霊」として非常に嫌い、言葉の暴力に関しては非常に敏感である。


 よく、「馬鹿っていう奴が馬鹿なんだぞ!」という理屈があるが、霊的にはそれはまったく正しく、他人を罵る人間は実は自ら穢れを生んでしまっているのだという。


 縁結びの神様が「わかれる」「きれる」という言霊を嫌うのは知っていたが、なるほど、その理屈でいけば学問の神である天神様が「すべる」「おちる」「ころぶ」という言霊を嫌うのは納得がいくというものだ。


 これから話し合いに行くというのに相手を怒らせては元も子もない。


俺は明石さんの言葉に背筋を伸ばし、気合を入れ……。


――そして、前方の受付お稲荷様の背中に激突した。


「キャッ!」


 どうも、明石さんの話を頭の中で確認するうちに、すでに天神様の執務室についていたらしい。一瞬、自分のうかつさを恥じ、受け付けお稲荷様に詫びようとした俺だったが、それは激突した衝撃で彼女が書類を床に落としてしまったためそれどころではなくなってしまった。


 そして、彼女と俺が書類を拾おうと身をかがめようとしたその瞬間、それに気づいていない明石さんが書類を踏み……。


 すてーん!


 我々が声をかけるまもなく、明石さんは執務室の入り口でひっくり返ってしまった。


 一瞬の出来事に俺はあわてて明石さんに駆け寄る。


「大丈夫ですか?」


「あたた……。何でこんなところに紙が落ちとるん?おかげで滑ってしもたやないの。」


「すみません。僕がぶつかったせいで、彼女が書類を落としてしまったんです。」


「……ほんまにもぅ、ボーっとしてたらアカンよ?入り口で滑って転んでまうなんて、みっともないにもほどがあるわ。不注意で滑るウチもウチやけど、ぶつかって書類落としてしまうあんたらもあんたらやで?一言「落ちてるで!」って言うてくれたらウチかって転ばんで済んだんやから……。」


「すみません、一瞬のことだったもので……。そちらも大丈夫です?」


「……はい、あのぅ……でも……。」


 明石さんに言われ、受け付けお稲荷様に声をかける俺。


 幸い彼女は別段大丈夫そうであったが、彼女は実に気まずそうな顔で部屋のある一点を指差していた。


「はい?」


 俺と明石さんが二人同時に彼女のしぐさに首をかしげた。そして、どれと同時に彼女の指差したほうで乾いた音がする。


 ばきぃ!


……それが、執務室に座る天神様が手にしたボールペンをへし折った音だと気づいたのはそれからたっぷり2秒後のことだった。


背広を着た上品な顔つきの男が、大きな椅子に腰掛け、不機嫌そうな顔でこちらを見据えている。


彼こそ誰あろう、天神様こと菅原道真、その神であるらしい。


その姿は、やはりどこからどう見ても、大企業のやり手社長のそれであり、雑草根性丸出しの我々とは明らかにノリが違うのが肌で感じられるほどだった。


「……あんたら、あてにケンカ売りに着たんでっか?」


 ……あ。


 そしてさらに2秒後、沈黙を破って彼の口から発せられた言葉に俺たちは自分たちがつい先ほど禁句を口にしていたことに気がついた。


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