観劇 ―痛恨のミス、そして父子の絆―

Kay.Valentine

第1話


このタイトルは「観劇」としたが


観劇といっても


そうたいそうなものではない。


「あーら奥様。


先日、明治座で


今話題の「坂の上の雲」を


ご覧になったというじゃござんせんこと?


有名な俳優が総出演で


さぞかし素敵な観劇だったんざましょ?」


「あーら。奥様こそ。


先日、歌舞伎座で


尾上タメ五郎主演の


豪華なお芝居をごらんになったとか。 


オウラヤマシイこと」


な~んていう、いっぱしの観劇ではない。


保育園児が見るような


普通の子供劇を見に行くという意味だ。


うちは父子家庭なので


子供を保育園に預けている。


このたぐいの子供劇は


皮肉なことに年末に多く


31日ぎりぎりまで


仕事が片付かない僕にとっては


年末に子供と劇を見に行く


なんて余裕はなかったので


今までは無視していた。


特に、タイトルの下に


あの「文部省推薦)」


と付け加えてあるのが気に食わない。


本当に良い劇なら


そんなくだらないお墨付きは


必要ないはずではないか。


つまり、ごてごてと


そんなつまらない文字を


付け加えなければならないほど


内容がないということなのだ。


しかし今年は違った。


年長組なので今年が最後


ということもあったが


何よりも


保育園の壁に貼ってあるパンフレットを見て


なにか自分でも


ワクワクするような感じがしたからだ。


男の子ならなおさら見たいと思うだろう。


12月下旬のスケジュールが載っていたが


今日はまだ11月下旬なので


充分チケットはあるはずだ。


僕は事務室に行き


最前列の真ん中の一番良い席はあるか


と聞いたところ


劇団に問い合わせてくれた。


まだ宣伝し始めたばかりなので


思い通りの最高の席が取れた。


少々、高かったが満足だった。


今まで子供に


この類の演劇に


連れて行ってやったことがなかったので


やっと罪滅ぼしができる。


しかも最高の席で


見せてあげられると思い


内心、鼻高々だった。


その日が来た。


僕は遅れてはいけないと思い


仕事をはやばやと切り上げて


息子と劇場に出かけた。


劇場は山手線のターミナル駅に近い


超高層ビルの最上階にあった。


1時間以上も早く着いたので


入場時のチケットチェックもなかったし


観客もまだ誰も来ていなかった。


僕は息子と最前列のど真ん中に陣取って


じっと開演の時間が来るのを待った。


次第に観客は増え始め


後ろを見渡すと


開演十分前頃には


八割がたの席が埋まっていた。


ちょっと引っかかったのは


僕の右隣、つまり息子と反対側の席が


ひとつだけぽつんと空いていたことだった。


小さな子供がひとりで来るわけはないので


大人が一人で見に来るのだろうか? 


もしそうだとしたら


子供劇の専門家が研究のために来るのか


あるいは児童劇の大好きな


酔狂な大人が来るのだろうか。


いよいよ開演3分前。


その時、


ハアハアと息を切らせて


親子3人連れが僕たちの目の前にやってきて


チケットを確かめながら


ここだここだ、といった。


ここだなんて


僕と息子の席を指さされても困る。


ここは俺たち親子のものだ。


僕はムッとして


「ここは私たちの席なんですけど」


といってやった。


まったく、ふざけた輩だ。


ここは、


はやばやと高いお金を払って取った


われわれ親子ご用達の席なのである。


と、そう叫びたかった。


先方の父親はチケットをもう一度確認して


「やっぱりこの席だがなあ」


とつぶやいた。

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