第2話
「じゃあ、ちょっと
チケットを拝見させてもらえますか?」
僕はそう言って
自分のチケットと
相手のチケットを見比べた。
確かに両方のチケットに
同じ席が印字されている。
しかも、開演時間も
1回目の6時30分となっている。
こりゃあ劇団のミスだな。
間違って同じチケットを印刷したんだ。
文句言ってやらねば。
そう思った瞬間
相手の父親が
「すみませんけど、
あなたのチケット、
昨日の日付になってますよ」
すぐに自分のチケットの日付を見てみた。
そこには「12月27日」ではなく
確かに「12月26日」と印字されていた。
その瞬間、僕の脳天に雷が落ちた。
あたりは一瞬、静寂に包まれた。
すべてを悟った。
息子を振り向くと
息子もまた事態を飲み込んだ様子で
ポカ~ンとしていた。
何も言うべきことはなかったし
誰の顔を見る気にもならなかった。
僕が一日まちがえていたのだ。
「帰ろう」
僕は息子の手をとって
急いでその場を離れた。
恥ずかしいとか
先方の親子に迷惑をかけたとか
なんてことは、まったく考えなかった。
ただただ、その場を離れたかった。
息子の手を引っ張って
出口を出ようとした時に
開演のベルがなった。
エレベータまで長い通路を歩いた。
僕の脳ミソは、がらんどうだった。
ふだん絶対にミスを犯さない僕が。
部下がミスを犯すことを
厳に戒めているこの僕が
こんな初歩的な間違いをするなんて……。
いや、それよりも
息子に対して申し訳ない気持ちで
いっぱいだった。
僕の胸の中を
ザアザアと大雨が降っていた。
息子は
僕の後をぺたぺたとくっついてきた。
二人とも無言だった。
いつもなら、
見たいよう。
と駄々をこねる息子が
何も言わずに僕の後ろを歩いていた。
と、
息子の靴音が聞こえなくなったので
後ろを振り返った。
何メートルか後ろのほうで
息子は窓の外を見ていた。
そのとき初めて気がついたのだが
廊下の周囲は全面ガラス張りで
都心の夜景が一望できた。
そうだった。
ここはできたばかりの最新鋭ビルで
東京でも一、二を争う高さだったのだ。
息子は、
魂を抜かれたように
ぼんやりと立っていた。
息子が見ている方向を僕も見た。
湾岸方面だった。
暗闇のなか
光の帯が一列に浮き上がっていて
まるで宝石箱をひっくり返したように
きらめいている。
光の帯の中心は
おそらく
銀座、六本木、渋谷、新宿
といったあたりだろう。
その右手には
代々木公園と思われるブラックホールが
確認できた。
その美しさに
二人とも時間を忘れて見入った。
「ラーメンでも食うか?」
と声をかけると
息子は僕のほうを振り向いて
「やったあ」
とうれしそうな声で叫んだ。
この近所の路地裏に
行きつけのうまいラーメン屋ある。
博多ラーメンでは
おそらく東京でも三本の指に入るだろう。
いや、本場の博多ラーメンよりも
おいしいかもしれない。
転勤で十年以上も博多にいた
自称ラーメン通の僕が断言するのだから
間違いはない。
店が混んでなければいいんだが。
そんな心配をしながら
がらがらと扉を開けると
運よく四人がけの席が一つだけ空いていた。
大好物のラーメンふたつと
小さなおわんを頼むと
程なく湯気を立てて
注文のものが運ばれてきた。
息子の小さなおわんに
三分の一くらい
麺と具とおつゆを入れてあげた。
息子は
フォークで麺をかき込むようにして
食べた。
僕は麺をすすりながら
「今日はごめんな。
おとうさん、大失敗しちゃった」
というと
息子はおわんを立ててスープを飲んでいたが
「いいよ、べつに」
と言って顔を上げた。
にっこりと微笑むつもりだったのだろうが
口元がへの字になると同時に
みるみるうちに笑顔は崩れていった。
両目にはうっすらと涙を浮かべている。
失望と悔しさを
はっきりと読みとることができた。
それなのに僕を喜ばせようとしている。
父親の受けたダメージは
相当なものだったんだろう。
そんなふうに
子供なりに
僕を気遣ってくれているんだろうか?
麺を食べ終わった僕は
息子のようにおわんを立てて
スープを飲む振りをした。
涙がとめどもなく溢れてきて
スープのなかに落ちていった。
僕たち親子が食べた
今日の博多ラーメンは
本場のよりもちょっぴり薄味になった。
観劇 ―痛恨のミス、そして父子の絆― Kay.Valentine @Kay_Valentine
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。観劇 ―痛恨のミス、そして父子の絆―の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます