第二節 病室に届く放課後の声

 春休みが終わり、5年生の始業日。

 教室に入った隼人は、いつもと違うざわめきに首をかしげた。


「なあ、どうしたんだよ。なんか変じゃね?」

 前の席の圭太が振り返る。


「隼人、聞いてないのか? 蓮、入院したってよ」

「え! なんで?」

「……白血病っていう病気らしい。長くかかるってさ」

 隼人は机の上の鉛筆を強く握りしめたまま、言葉を失った。

 

 ――「白血病」。

 

 その言葉が、胸の奥で何度も反響した。


◇◇◇


 病院の廊下は白くて長い。足音が響くたび、心臓の鼓動も重なる。

 看護師さんに案内され、白いカーテンを開けた。

 

「隼人!」

 

 ベッドの上の蓮が笑った。少しやせていたけれど、笑顔はいつものままだ。


「なっ、なんだよ〜。元気そうじゃん! 心配して損した……」

「ふふ、心配してくれたんだ?」

「べ、別に! ただ……クラスのみんながさ、さみしがってるだけ」


 隼人はランドセルを下ろし、ごそごそとノートやプリントを取り出した。

「ほら! 宿題ノート。あと、給食の献立表な。今日のメニューはカレーだったぞ」

「うわぁ、いいなぁ」

「心配するな。お前の分、俺がおかわりしてやったからさ」

「それ、ただ食べたかっただけじゃん!」

 二人は声を上げて笑った。白い病室の空気が、少しだけ放課後の匂いになった。


「なぁ蓮。俺さ、毎日ここ来るから。クラスであったこと、ぜーんぶ届けてやる」

「ほんとに?」

「当たり前だろ。だって俺たち――秘密の桜友じゃん」

「ははは……なんだか、戦隊ヒーローみたいだね」


 笑いながらも、蓮の瞳がほんの少し揺れた。


 ◇◇◇


 その日から、隼人はチャイムが鳴ると同時に、病院へ向かうのが日課になった。


「よう、蓮! 今日の放課後便でーす!」

「おー、待ってた!」

 給食の話、体育のドジ話、先生の失敗。

 ベッドの上の蓮は、何度も笑った。

 

 けれど、ときどき沈黙が落ちる。

「……いいな、隼人は。外、走れるもんな」

 その声に、隼人は急いで言葉を重ねた。

「だから俺が外に行くんだよ。お前の分まで、見て、聞いて、話してやる」

 「……ほんとっ、変なやつ」

 二人の笑いが、また部屋に戻ってきた。


◇◇◇


 退院の日。

 母は担当医と話があるとのことで、蓮は隼人と先に病院を出た。歩く足取りは、少しぎこちなかった。ベンチの前で立ち止まる蓮に、隼人が声をかける。


「大丈夫か? 無理すんな。今日はここまでだ」

「……ごめん」

「何謝ってんだよ――気にすんな」

「うん……外の空気、やっぱ気持ちいいね」


 隼人も隣に腰を下ろした。

 二人の視線の先、枝先の蕾が膨らみ始めていた。風が吹くたび、枝の擦れ合う音が、どこかで鈴を鳴らしているようにも聞こえる。


「なぁ、蓮。卒業したらさ……桜の下で一緒に写真撮ろうぜ」

「うん。絶対、撮ろう」

「約束だからな」

「……隼人が覚えててくれるなら、大丈夫」


 その声は、そっと吹き抜けていく春風に溶けていった。


◇◇◇


 ――消毒の匂い。白い壁。病室。

 五年生の修了を二日後に控えた日、蓮はまた同じ場所に戻っていた。


「しょうがないよ。ぼくの体、サボり魔だから……」

 白いベッドの上で、蓮は苦笑した。隼人は笑いながらも、胸の奥がずしんと重くなる。

「なぁ蓮。次の春も、桜見れるよな? また俺と――ちゃんと」

「……うん、当たり前だろ。絶対」


 蓮はそう言って、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。その仕草に気づいた隼人は、胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。

 

――このまま、ずっと病室のままなんじゃないか。

 

 隼人は慌てて気持ちを押し込み、代わりに精いっぱいの笑顔を浮かべた。

「じゃあ、決まりだ。来年の春、卒業のあと、桜の下でこんな風にダブルピースな」

「ははっ、なんだそれ」

「俺らのヒーローポーズだ。ちゃんと練習しとけよ」


 病室に、放課後みたいな笑い声が響いた。

 

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