約束 ー風が泣いた桜の樹ー

枯枝 葉

第一節 はじまりの約束

 放課後の校庭は、夕陽に照らされて長い影がのびていた。鉄棒のあたりにはまだ数人の子どもが残っていたけれど、運動場の隅はもう静まりかえっている。


「なぁ、蓮。あそこ、なんかいい感じじゃね?」


 隼人が指さしたのは、校庭の端に立つ一本の大きな桜の樹だった。まだ冬芽のままだけれど、枝ぶりは堂々としていて、根元には誰も近づいた形跡がない。

 

 いきなり走り出した隼人……追いかける蓮。

「ははは……蓮、おせーなあ〜」

「はぁ……はぁ……隼人が速すぎるんだよ」

「俺は、クラスで一番、早いからな……」

「だよね……とても、追いつかないよ」

「……見てみろ、蓮。ここ、いいと思わね?」

「ほんとだ……なんか、秘密基地みたい」

「だろ? ここ、俺たちの秘密の場所にしようぜ」


 隼人はニカッと笑い、ランドセルをおろすと根元に腰を下ろした。蓮も隣に座る。二人の目の前には、土のにおいがむっと漂っている。


「なぁ、もっと秘密っぽくしないか?」

「どうやって?」

「……宝物、埋めるんだよ。タイムカプセルみたいにさ」


 隼人はランドセルを探り、給食の牛乳キャップ遊びに使っていた空き缶を取り出した。遊びすぎて傷だらけのブリキ缶だ。


「これにさ、なんか入れようぜ。俺たちだけのやつ」

「でも何入れるの?」

「……じゃあ――手紙。俺たち、今、四年じゃん。大人になったときの俺たちに言いたいこととか、まだ誰にも言ってないこととか……いろいろ」


 蓮は目を丸くしたが、やがて小さく笑った。

「いいね。……じゃあ、誰にも見せちゃだめだね」

「当たり前だろ。俺と蓮だけの秘密だ」


 二人はノートの切れ端を取り出し、鉛筆でぎこちなく書き始めた。


 隼人は「サッカー選手になる!」と力強く書き、蓮はしばらく迷った末に、小さな文字で隼人に見られないように書いた。

「蓮はなんて書いたんだ?」

「僕はね……今は、まだ内緒」

「え〜、しょうがねえな。いつかこれを掘り起こす時には、見せろよな」

「うん! わかった! 約束!」


 紙を折りたたんで缶に押し込み、隼人が近くから持ってきた小枝で土を掘り返す。まだ小さな手はすぐに泥で真っ黒になった。


「よし、ここに入れて……」

「埋めたら、もう絶対に忘れないようにしようね」

「忘れないよ。――だって、これは俺たちの宝物だろ」


 二人は並んで土をかけ、最後に手のひらで固めた。夕陽が赤くその手を照らしている。


「蓮、絶対に誰にも言うなよ」

「うん。……隼人もだよ」

 風が吹き抜け、枝先で小さな冬芽が揺れた。


 土に埋めた缶の上で、まだ湿った手をこすり合わせながら、二人は桜の幹にもたれかかった。空は少しずつオレンジから群青へと変わっていく。


「なぁ、蓮」

「ん?」

「大人になったらさ、蓮は何になりたい?」


 隼人は前のめりに訊いた。声が少し弾んでいる。


「えー……」

 蓮は、枝の間からのぞく空を見上げた。

「まだわかんないよ。隼人は?」


「俺? 決まってるだろ! サッカー選手!」

 胸を張って言い切る隼人に、蓮は笑顔で返した。


「……やっぱり」

「なんだよ、その――やっぱりって」

「だって、いつもボール蹴ってるじゃん。授業中でも足でコツコツして、先生に怒られてるし」

「それ関係ねえし!」


 二人は顔を見合わせ、くすっと笑った。


「で? 蓮はほんとは何になりたいんだよ」

「……うーん……」


 蓮は言葉を探すように、膝の上で手を組んだ。少し間をおいてから、ぽつりと口にした。


「写真を撮る人になりたい」


「しゃしん?」

 隼人が首をかしげる。


「うん。……なんかさ、笑ってる顔をいっぱい残したいんだ」


 蓮の声は小さく、夕風に溶けていきそうだった。隼人は一瞬だけ黙り込んで、すぐに大きな声を上げた。


「おー、いいじゃん! じゃあ俺がサッカー選手になったら、蓮が写真撮れよ!」

「……え?」

「試合のときとかさ。俺、ゴール決めるから。ドヤ顔で撮ってくれ!」


 蓮はふっと笑った。

「ドヤ顔は撮らない」

「なんでだよ!」

「笑ってる顔だけだから」


 隼人はしばらくむくれていたが、やがて――

「じゃあ笑いながら、ゴール決めてやる!」

 そう叫ぶと、二人の大きな笑い声が枝の間に消えていった。


「なぁ、蓮。この桜、でっけぇ枝がいっぱいあるだろ」

「うん」

「なんか……ここに合図みたいなのがあったら、かっこよくね?」

「合図?」

「そうそう。俺たちだけの。……あ、そうだ!」


 隼人はランドセルをごそごそ探り、小さな銀色の鈴を取り出した。駄菓子屋で買ったキーホルダーを外したものだ。


「これ、使おうぜ! 風が吹いたら鳴るんだ」

「いいね。……でも高すぎて、届かないよ」


 蓮が見上げる枝は、ちょうど二人の頭の上にあった。


「任せろ! 俺が持ち上げてやる」

「え、ほんとに?」

「ほら、乗れ!」


 隼人はしゃがみ込み、ぐっと肩を差し出した。蓮はためらいながらも乗り、隼人がぐいっと立ち上がる。


「わっ、わっ、落ちそう!」

「暴れるなって! 俺だって重いんだから!」

「ごめんっ……でも高い、高い!」


 笑い声が夕空に響く。蓮は枝をつかみ、必死に背伸びをして、持っていた鈴を細い紐で結びつけた。


 その瞬間、風がひと吹き。

 

 ――ちりん。

 

 澄んだ音が辺りに響いた。


 二人は顔を見合わせ、思わず声をそろえる。


「鳴った!」


 蓮が肩の上でにっこり笑う。

「これで、離れてても俺たちが友だちってわかるな」

「うん。風が鳴らしたら、俺らの合図だね」

 

 ちりん――。

 

 鈴の音は、枝葉のざわめきに混じって消えていった。それは、ふたりだけの小さな秘密のしるしになった。

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