オキナハ・チュウカク師弟物語 ―人魚博士と、迷い込んだ十五歳―

作務衣有戸満@さむえあるとまん

序節  青の門と師弟契約

 空が、青すぎた。


 那覇空港からレンタカーで南へ走り、親戚一同との会食を終えたあと、海原慎(はいばら しん)はひとりで坂を登っていた。 


 真夏の陽射し。セミと波音。

途中の売店のオジィに「水分ちゃんと摂れよ」と、さんぴん茶を押しつけられたのも、なんだか優しい。


 祖父母の眠る墓は、東京の霊園しか知らない慎には異世界にすら思えた。


 亀甲墓。   

 丸みを帯びたコンクリートの屋根のついた沖縄独自のお墓だ。 

 正面の広い拝所には、花、線香、泡盛、小さな琉球三線。 

 祖父母が生きていた時に「うちは沖縄と海の血筋だからよ」と笑っていた顔が、不意に思い浮かぶ。


「じいちゃん、ばあちゃん。受験勉強サボって、遊び半分で来たわけじゃないからね」


 嘘だ。 

 半分くらいは逃避だ。

 東京の学校では、進路だ、内申だ、と大人が騒ぎ、SNSでは誰かが誰かを叩き、ニュースは重たい。


 でも、この沖縄だけは、時間がゆっくりだ。


 線香を立て、手を合わせたとき、視界の端で何かが光った。


 墓の脇に、ひとつだけ古い石碑がある。 

 苔に覆われた石に、波模様と不思議な文字。

 よく見ると、小さく日本語も彫られていた。


『オキナハ・チュウカクの門 ここニ在リ』


「何かの史跡かな?」


 何気なく指でなぞる。 

その瞬間、指先がひやりと冷たくなった。


 足もとがひび割れる音。 

石畳が液体のようにほどけ、青い水へと変わっていく。


「え、は?」


 息を吸う間もなく、慎は海の色に呑み込まれた。


(やばい、死ぬ――)


 慌てて息を止める。だが胸は苦しくならない。 

代わりに、冷たさと一緒に、透明な空気のようなものが肺に入ってきた。


 恐る恐る目を開く。


 そこは、海だった。

だが普通の海ではない。


 サンゴ礁とクリスタルガラスで組まれた高層ビル群。 

 光るクラゲが信号機のように漂い、水中の道路チューブの中を、人魚や奇妙な生物たちが忙しく行き交う。 

 遠くではクジラ型の輸送船が、ホログラム広告を尾に引きながら、優雅に進んでいる。


 慎は、海中に浮かぶ都市をただ呆然と見つめた。


(どこの……ゲームだよこれ?)


「ajtjmhlanodmxjaktprgjtkxomtqja5xntpkmwoamw(ふむ。人間種。年齢推定十五歳。陸肺仕様。驚愕顔。かわいい)」


 澄んだ声が、頭上——いや、頭の横から降ってきた。


 振り向く。


 青緑色の長い髪がふわりと揺れ、美しい琥珀色の瞳が、こちらを覗き込む。 額にかけた薄いレンズ型端末が、微かに情報光を走らせている。 

 白衣の下に海色のボディスーツ。腰から下はすらりとした尾びれで、虹色の鱗が光を弾いた。


 教科書やアニメで見た「人魚」の、数段洗練された存在が、そこにいた。


「……に、人魚?」


その人魚は、慎に小さな貝殻のようなデバイスを渡した。


そして、耳に付けるよう促す、ジェシュチャで説明した。


慎は、試しに貝殻のデバイスを耳につけてみた。


「これは多言語インターフェース兼、環境制御キー。 私達マーレと同様に、水中の中でも普段の生活と同様に行動できる。地上語とマーレ語、自動翻訳機能もあり。 生活圏ナビ付き。困ったら“シエラ”って呼べば私にもつながる」


慎は急に、人魚の話が、明確にはっきりと聞こえてきてびっくりした。

おまけに水中で息もできる。


「この装置、まるでAIアシスタントみたいだ!」


「ちなみに、分類としては、私達は《海棲人(マーレ)》ね。人類の亜種とも兄弟とも言えるわね。私の名前はシエラ=ラグーン。 オキナハ・チュウカク中央研究庁・古海文明考古班主任研究員。肩書きが長いのが悩み」


「な、長い……」


「で、君の名前は?」


「海原慎(はいばら しん)です」


「海原慎君、いい名前ね。今日から、私の実験体一号兼、アシスタントね」


「決定早くないですか!!?」


 シエラは、じっと慎の顔を見つめた。距離が近い。 

 水滴が白衣の襟元から滑り落ち、十五歳の視線にダイレクトアタックしてくる。


「緊張反応、脈拍上昇。やっぱりかわいい」


「データ取得しながら“かわいい”って言うのやめてください! 状況を!」


 ぱん、と指を鳴らすと、二人の周りに光の泡が生まれた。 

 泡の中に空気が満ち、足元には透明な床が形成される。


「ここは君の住む地上世界とは別位相の海中都市、《オキナハ・チュウカク》。君は『祖先契約』に基づいて招かれた」


「『祖先契約』?」


「君の先祖が、うちの先祖と『困ったときは子孫貸し出しOKね〜』って約束したの」


「軽!!?」


「安心して。ちゃんと帰る方法も探すから。 その代わり、最近この都市で起きてるトラブルも一緒に解決してね。トラブルと言っても、君の住む人間世界に由来するものも多くてね、、、」


 シエラの瞳が、からかいと真剣さの間で揺れる。


 慎はごくりと唾を飲み込んだ。


「……ちゃんと元の世界に戻れるなら。協力します。俺も帰り方知りたい」


「いい子ね。じゃあ今日から君は、私の『弟子』ね」


「『弟子』はちょっと……」


「『響き』がいいから採用」


「選定理由が軽い!!」


 シエラが楽しそうに笑う。泡の外では、オキナハ・チュウカクの海底都市街がきらめいていた。


 こうして、天城慎とマーレ(人魚)のシエラ=ラグーン博士との「師弟物語」は始まった。

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