第十四話「決着と天望」
中央通り。
ミレーネは、建物の陰に身を寄せながら、前へ出るべきか退くべきか、ほんの一瞬だけ迷っていた。
(ここで下がれば、後衛は生き残れる。でも――それじゃ、前衛を見捨てることになる)
路地の向こうで、マキとフリッツの機体が、それぞれロルフとカールに押さえ込まれている。
無理に下げれば、二人の背中は丸裸だ。
(……信じよう。マキとフリッツを)
ミレーネは息を吸い込み、決意と共に前を見据えた。
「後衛、聞こえる? エリーゼ、積極的に撃って。アナは牽制――敵の足を止めるように撃って!」
『了解。高所に移動、射撃位置につく』
エリーゼの冷静な声が返ってくる。
『わ、分かりました! 弾幕張ります!』
アナの慌ただしい声も、それでもしっかりとした意思を感じさせた。
次の瞬間、屋上から乾いた銃声が響いた。
エリーゼのスコープ越しの視線が選んだ標的は、隊長機ではなく、その一歩後ろ――エーリヒのガンナー機。
『ちっ、狙撃だと!?』
エーリヒが身をひねり、砲塔を上向きにして牽制射撃を返す。
だが、その射角を制限するように、別方向からアナのフロッグⅡが飛び出した。
『行きます!』
アナのキャノン砲が、ガンナー機の足元と周囲の壁を叩く。
決定打にはなりづらいが、「ここに出ると危ない」と思わせるには十分な弾幕だ。
『エーリヒ、前に出るな! そこは――』
レオンハルトの声が飛ぶより早く、再びエリーゼの銃声。
一瞬止まった脚部関節を正確に撃ち抜いた。
『ぐっ……! 脚部サーボ、応答低下……!』
ガンナー機の足が止まる。砲塔はまだ生きているが、前線に出る機動力は奪われた。
「ガンナー、足止めした……!」
ミレーネは、操縦桿を握り直し、アサルトライフルを構え直す。
「ありがとう、二人とも! ここからは、わたしが押さえる!」
建物の陰から飛び出し、ミレーネ機は中央通りに躍り出た。
右手にアサルトライフル、左腕に中型シールド。突撃の構えだ。
『来たな、フォーゲル!』
レオンハルトの機体が、正面から立ちふさがる。
こちらも右手にアサルトライフル、左腕にショートシールド。方にはよく鍛えられた長剣。
(銃なら――負けない)
ミレーネは一歩踏み込み、射線を開くために横へスライドする。
ホイールが石畳を擦り、細かな粉塵が舞った。
トリガーを引く。
連射速度を抑えたバーストで、相手のシールドの縁と足元を狙う。
『甘い』
レオンハルトのシールドが、教本どおりの角度で弾丸を受け流す。
同時に、自身のアサルトライフルから返すように三回バースト。
「っ!」
ミレーネはシールドをわずかに傾け、装甲の厚い部分に弾を誘導した。
弾丸が鉄を叩く鈍い音。
視界の隅に、小さく警告が灯るが、致命傷には程遠い。
(うまい……!)
思わず舌を巻く。
レオンハルトは、完全に教本どおりの動き――それも、“完成された動き”だ。
ムダな姿勢変化が一切ない。
ミレーネも負けじと動く。
建物を利用して身を隠し、わずかな隙間から覗かせるように機体を傾け、銃口だけを突き出す。
狙いずらい頭部ではなく、肩、肘、腰。
「当たれば面倒な場所」だけを狙った射撃が続く。
『……厄介だな』
レオンハルトの声色が、わずかに真面目になる。
すぐさま位置を変え、横合いから撃とうとした瞬間――
『……そこッ!!』
エリーゼの狙撃が、建物の角ギリギリを掠めるように飛ぶ。
レオンハルトは反射的に前に飛び出し、その弾道をシールドで受けた。
『くっ……!』
「今!」
ミレーネは、その一瞬の隙を逃さなかった。
アサルトライフルのセレクターをフルオートに切り替え、シールドの下端と脚部の隙間を狙って弾幕を叩き込む。
レオンハルトは後退しながらも、ぎりぎりのところで射線を切る。
建物の角を利用し、ダメージを最小限に抑えた。
『……見事だ、フォーゲル。平民のくせに、いい射撃だ』
「そっちこそ、貴族のくせにしぶといわね!」
互いに軽口を叩きながらも、銃口が途切れることはない。
(ここで押し切れれば――勝てる)
だが、じわじわと差は現れ始めていた。
ミレーネの機体は、踏み込みや回避の際に、わずかな“噛み合わなさ”を見せる。
(今は右に出たいのに――機体が一瞬躊躇する)
MMASの中には、訓練で覚えさせた動きがいくつも刻まれている。
だが、それはまだ“途中”だ。
迷いながら積み上げたログが、ところどころでパターンを取り違える。
一方、レオンハルト機の動きには、一切の迷いがない。
前進、後退、ストッピング。
全てが、何百回、何千回も繰り返した“完成された手順”として流れている。
『……そろそろ決める』
レオンハルトのライフルが、ふいに黙った。
マガジン交換――ではない。
トリガーから指が離れ、そのまま背面のマウントにライフルを収めた。
「来る……!」
ミレーネの背筋に冷たいものが走る。
『ここからは剣で行かせてもらう!』
レオンハルトは、肩の長剣を抜き放った。
ショートシールドを少し前に突き出し、重心を低く構える。
近接戦闘に切り替えるつもりだ。
「まだ距離は――」
ミレーネは即座に判断する。
こちらも銃だけで押し切れないなら、距離を取って撃ち続けるしかない。
だが――
(また迷った)
下がるべきか、横に流れるべきか。
「後退と斜め移動」を同時に指示しているのに、MMASが「どのパターンを呼び出すか」でほんの一瞬迷う。
その“僅かな止まり”を、レオンハルトは見逃さない。
『今だ』
レオンハルト機が、一気に距離を詰めてきた。
ホイールの回転数が一段跳ね上がり、踏み込み動作が滑らかに繋がる。
ミレーネも銃から手を離し、シールド内臓のショートソードを抜き放った。
左腕のシールドを前に出し、即席の近接構えに移行する。
(このまま終わらせない――ここで踏ん張る!)
剣と剣が打ち合う。
レオンハルトの長剣が上段から振り下ろされ、ミレーネのショートソードがそれを斜めに受ける。
火花。衝撃。
機体の関節が悲鳴を上げる。
(重い……!)
次の一手。
ミレーネは、シールドで長剣を押し上げながら、ショートソードで懐を狙う。
だが、そこでもMMASがわずかに“古い動き”を優先した。
本来なら左足を一歩踏み込むべきところで、半歩で止まってしまう。
『そこだ』
レオンハルトの長剣が、ミレーネの剣を押し込みながら、わずかに回転した。
剣と剣が軋み、そのテコの力を利用してショートソードを外側へ弾き飛ばす。
「っ……!」
武器を弾かれた瞬間、ミレーネはシールドを前に突き出そうとした。
しかし、そこにもコンマ数秒の遅れ。
(シールドコントロール、まだ“途中”――!)
レオンハルトの剣先が、シールドの縁を滑り上がり、そのまま胸部装甲へ突き刺さる。
『隊長機、規定以上のダメージ判定。戦闘不能』
無機質なアナウンスが、ヘッドセットを震わせた。
「あ……」
視界の端で、警告灯が一斉に赤く点滅する。
『フォーゲル!』
『ミレーネさん!』
仲間たちの声が、遠くで反響するように聞こえる。
『隊長機撃破確認。演習終了。勝者――チームA』
レオンハルトは剣を引き、構えを崩さないまま一歩下がった。
その動きにも、一切の無駄がない。
(負けた……銃でも、剣でも。まだ、“途中”なんだ、わたしも、機体も)
悔しさと同時に、胸の奥で別の感情が燃え始める。
(だったら――完成させるしかないでしょ)
ミレーネは、握りしめた拳に力をこめた。
やがて観覧席の一角から貴族生徒たちの歓声が上がる。
「さすがヴァルクス家!」
「見たか、あの決め方!」
レオンハルトは息を整えながら剣を下ろした。
胸の奥に、“やっと勝てた”という実感が、少しだけ灯る。
(今度は――“隊長”として勝った)
ロルフの青い機体は、静かに剣を収める。
『ふう……』
彼の小さなため息は、誰の耳にも届かなかった。
演習後。
パイロット科と整備科、技術科の一部は、大講義室に集められていた。
前方には、並んで立つ二人の教官。
整備科のクラウス・ホフマン軍曹と、パイロット科のヴィルヘルム・ラーデル大尉。
背後のスクリーンには、簡易映写機によって先ほどの戦闘ログが投影されている。
その横には、紙に印刷されたグラフが何枚も貼られていた。
「全員、座ってるな」
ホフマンが口火を切る。
「じゃあまず、整備科の立場から話す。パイロット目線の“戦い方”は、このあとラーデルがやるから、そっちで聞け」
「勝手に決めるな」
「いいだろ、役割分担ってやつだ」
軽口を交わしたあと、ホフマンは棒を手に取り、紙のグラフをコンコンと叩いた。
「まず――オルガン」
「ひっ、はい!」
「これがお前の動きの記録だ」
ギザギザに荒れた線に、教室の何人かが「うわ」と小声を漏らす。
「前より“無茶な振り回し”は減ってる。制御も、ちゃんとブレーキをかけようとしてたのが分かる」
「でも押し負けました……」
「勝ち負けはパイロットの成績だ。俺たちの仕事は、“どこでどう迷って、どう躊躇って、どう壊れかけたか”を拾うことだ」
ホフマンは、線が大きく揺れている部分を指でなぞる。
「ここ。踏み込み直前、一回だけ大きく揺れてる。“踏み込む操作”と、“回避動作”が喧嘩してる波形だな」
「……そんなに喧嘩してました?」
「してた。だから制御装置(MMAS)は戸惑って、中途半端な動きになった。これは悪い意味じゃない。“材料”としては最高だ」
マキは、少しだけ目を丸くした。
「材料……」
「そう。整備科は、こういう“うまくいかなかったところ”を基にして、次の調整を考える。どの動きを活かして、どの動きを修正するか。よく考えておくことだ。」
別の紙に移り、フリッツとカールのログを指さす。
「ハーゲン。こっちは“盾の受け方が変わった瞬間”に大きな揺れが出てる。相手の成長に、ちゃんと体が反応してる証拠だ」
「……反応しただけで、押し切れませんでしたけど」
「それでいい。押し切るのはパイロット科での宿題だ。整備士は、“押し切れなかった理由”をこうやって掘り起こすものだ」
さらに、ミレーネとエリーゼ、アナのグラフに棒先を移す。
「フォーゲル。お前のログは、前衛と後衛を“信じて前に出る”って決めたそうだろ?迷って、それでも戦ってでた波形だ。悪くない」
「……でも、最後は負けました」
「負けたな。銃撃戦までは互角以上だった。だが、近接に切り替わったところで、動きが一気に荒れてる。“調整途中の動き”と“自分の癖”がぶつかった跡だ」
ホフマンは、数本の線がぶつかっている部分をトントンと叩いた。
「ここ。踏み込みと斜め移動が、どっちを優先するか迷ってる。制御の中に“古い型”と“新しい型”が混ざってるせいだな。……悪いのは、技量だけじゃなくて、調整の差でもある」
ミレーネは、悔しさと同時に、少しだけ救われたような顔をした。
「バルクホルン。お前のは分かりやすい。“撃つ”“撃たない”の迷いがはっきり出てる」
「……はい」
「ただ、ガンナーの足を止めた場面のログはいい。射撃の前に迷いの波形がほとんど出てない。“ここは撃つ”って決めてから引き金を引いてる。そういうのは、制御装置(MMAS)も素直に覚えてくれる」
「アナ、お前のは――」
棒先が、アナスタシアのグラフを示す。
「弾幕を張ると決めた瞬間から、波形がずっと同じリズムになってる。“怖いけど撃たなきゃ”ってラインを、ギリギリで保ってる感じだな。見ててヒヤヒヤしたが、悪くない」
「ひ、ヒヤヒヤって言いましたよね、今……」
「褒めてる。半分はな」
ホフマンは棒を肩に乗せ、全体を見渡した。
「まとめるとだな」
「今日の演習は、整備科として見れば“豊作”だ。ガタガタの線だらけだが、それこそが現場の宝だ。きれいな教本どおりなんて、実戦じゃ役に立たん」
マキは、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
「……豊作、なんですね、これで」
「当たり前だ。転ぶなら派手に転べ。そのほうが、どこを守ればいいかはっきりする」
「褒めてるんですか、けなしてるんですか」
「半分ずつだ」
教室に微かな笑いが広がる。
「じゃああとは、運用側の話だ。ラーデル、大尉殿、よろしく」
「最初からそのつもりだ」
ラーデルが前へ出る。自然と空気が引き締まった。
「パイロット科だけの話ではない。整備科も技術科も、“自分が関わる機体がどう戦っていたか”をよく見ておけ」
スクリーンには、俯瞰図の映像が映し出される。
「まず結論。勝者はチームA。隊長機をきっちり叩いた。――レオンハルト」
「はい!」
「前より隊の動かし方は良くなっている。隊列も形になっていた。命令も、極端に多すぎはしなかった」
「ありがとうございます」
「だが、お前の隊は、“一人の判断”にまだ頼りすぎている。前衛は前衛なりに、勝手に暴れ始める素養がある連中だ。隊長として、“ここから先は勝手にやらせていい”という線をもっとはっきりさせろ」
「……はい」
ラーデルは映像を少し巻き戻し、中衛と後衛の動きを示した。
「次。フォーゲル」
「はい」
「布陣も、隊形も、悪くない。前衛2、中衛1、後衛2――よく考えられている。今回は“前衛を信じて下げず、後衛と連携して押し返す”選択をした。その判断自体は評価する」
ミレーネが、はっと顔を上げる。
「ガンナーの足を止めた手順も良い。狙撃と弾幕の組み合わせ。銃撃戦の運びは、お前の得意分野がよく出ていた」
「……ですが、最後は」
「そうだ。問題はそこからだ」
ラーデルは、レオンハルトとミレーネの一騎打ちの場面を映し出した。
「隊長機同士の近接戦闘になった時、“銃撃戦で作ったアドバンテージ”を持ち込めなかった。踏み込みと回避、距離の取り方が、相手より曖昧だった」
映像の中で、ミレーネ機が一瞬“止まる”瞬間にラーデルの指が触れる。
「今のは“下がるか、横に流れるか”を迷った動きだ。頭では正しい判断をしていても、機体と制御の側がまだその動きを完全には覚えていない。――それが、剣の間合いに入られた原因だ」
「……はい」
「失敗だ。だが、“なぜ失敗したか分かっている失敗”は、次に活きる。銃撃戦の組み立て自体は、十分通用していた」
ラーデルはエリーゼにも視線を向ける。
「バルクホルン」
「はい」
「お前は撃てる場面を、あえて撃たなかったな」
「……はい。撃てるには撃てましたが、外した時にこちらの位置が完全に露見すると思ったので」
「判断としては悪くない。ただ、その判断を“隊に伝える”方法を考えろ。ガンナーの足を止めた場面、お前が“ここは通る”と見抜いたおかげで、フォーゲルは攻勢に出られた」
「……伝え方、考えます」
「ミューレ」
「は、はいっ!」
「お前の弾幕も、隊を支えていた。命中率だけ見れば褒められたものではないが、“敵が通りたくない道”をきっちり作っていた。そういう撃ち方も必要だ」
「……ありがとうございます」
ひと通りの講評を終えると、ラーデルはふと後方を見やった。
「さて」
視線の先には、壁際に立つロルフの姿。
「アイゼンブルク」
「はい」
「貴様から見て、今日の両チームの動きはどうだ。何か一つだけ挙げるなら」
生徒たちの視線が一斉にロルフに向く。
ロルフはしばらく黙ってから、淡々と口を開いた。
「……どちらのチームも、“機体に任せていい部分”と、“自分で決めなきゃいけない部分”の線引きが、まだ曖昧だと思いました」
ホフマンが「ほぉ」と小さく声を漏らす。
「踏み込むところで、機体がブレーキを踏んでいる場面が何度かありました。逆に、下がるべき場面で、勢いだけで前に出ている時もあった。制御装置、MMASは、あくまで“道具”です。曖昧な命令には、曖昧な動きで返してきます」
マキは、さっき見た自分のギザギザの線を思い出した。
「では、どうすればいいと考える」
ラーデルが問う。
「隊長は、“機体に任せていい”という線をはっきりさせるべきです。基本的な前進、退却、回避。その境目を。個々のパイロットは、その線を越えた時発揮できる技量と機体調整を念密にするべきです」
ロルフは、それ以上多くは語らなかった。
「……生意気言うねえ。整備科の仕事がまた増えるじゃねえか」
ホフマンが苦笑交じりに言う。
「すみません」
「謝るな。増えたほうがやりがいある」
ラーデルは小さく笑い、全員を見渡した。
「聞いたな。MMASは便利だが、“代わりに戦ってくれる箱”ではない。戦うのはお前たち自身だ。整備科も、技術科も、それを忘れるな」
マキは、ぐっと拳を握る。
(ボクは――)
うまく噛み合わなかった動き。
迷って踏み込めなかった瞬間。
機体に任せてしまった場面。
(ボクは、自分の
オルゴール1号の、なじみのコックピットの感触が脳裏によみがえる。
あの場所で、自分はもっと自由に動けていたはずだ。
(負けっぱなしで終わるのは嫌だ)
少女の小さな決意は、演習場の鉄の匂いと、まだ残る敗北の悔しさの中で、静かに燃え始めていた。
つづく
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