第八話「学友」
入学式の翌朝。
帝都の空は、昨日より少しだけ明るく見えた。
石畳の通学路には、まだ新しい制服に袖を通した生徒たちがぽつぽつと歩いている。
マキ・オルガンは、手に教科書の入った鞄を抱えながら、その列の少し後ろを歩いていた。
「マキ〜! おはよう!」
背中から飛んできた声に振り向くと、金髪を揺らしてアナスタシア・ミューレが駆け寄ってくる。
「おはようございます、アナスタシアさん」
「アナでいいよ、“さん”もいらないってば〜」
「‥‥じゃあ、アナスタシア」
アナスタシアは「違うでしょ」と言いたげな顔で不満そうにしている。
「‥‥アナ‥‥」
そう呼んだ瞬間、アナスタシアの顔がぱっと明るくなる。
「今日は“オリエンテーション”なんだってね。なんか長い説明が書いてあったよね」
「昨日の今日で、全然覚えてないや‥‥」
「しょうがないよ、昨日すごかったもん……」
二人で笑い合う。
「本格的な授業や訓練は、一週間後から、ってプリントに書いてあったね」
「その前に、校内説明と規則の確認と、寮の案内かぁ。覚えること多そう……」
それでも、アナスタシアの足取りは軽い。
マキ自身も、胸の奥の不安と同じくらい、期待が膨らんでいるのを感じていた。
「整備科の教室、こっちですよね」
軍学校の本館に入り、長い廊下を渡っていく。
壁には歴代の優秀卒業生の肖像画や、古いリーゼの設計図が飾られていた。
「うわぁ……全部覚えられるかな、これ」
「ボクも自信はないですけど……図面だけなら、少しは」
そんな他愛ない会話を交わしながら、ふたりは整備科一年の教室の前にたどり着いた。
教室の扉を開けると、既に何人かの生徒が席についていた。
その中に、見慣れた顔が混じっている。
「あ、オルガンさん!」
小柄な少女が手を振った。
整備実技試験で隣のチームだった、アナスタシアとは別人の――
「ミューレじゃないほうのアナスタシアです! ってわけじゃなくて……えっと、覚えてます? アナスタシア・ベックマンです!」
「忘れませんよ。整備試験のとき一緒だったじゃないですか」
「よかったぁ……!」
その隣では、眼鏡の少年・ヴァルターが静かに教科書をめくっていた。
「おはようございます、ヴァルターさん」
「……おはよう。昨日のエキシビジョン、見ていたよ」
彼は紙から視線を上げ、マキをじっと見る。
「まさか本当に、レンチ一本で貴族と渡り合うとは思わなかった」
「銃は……ちょっと苦手で」
「見ればわかる。君の義手の動きは、工具向きだ」
褒めているのかどうか分からない言い方だが、声音はいつもより柔らかい気がした。
「おーい、主役登場じゃねえか」
後ろの席から、少しがさつな声が飛んできた。
試験のとき、フレームをゴリゴリ扱っていた少年――オットーだ。
「エキシビジョン、見たぞ。あのレンチ捌き、なかなかだったじゃねえか。あの貴族のツラ、最高だったな」
「見てたんですね……」
「そりゃ見るだろ。整備科からただ一人の出場なんだからよ」
アナスタシアが、横から口を挟む。
「私、あの時ほんとヒヤヒヤしてたんだからね! 腕も剣もバキバキ折っちゃうし!」
「え、あれはちゃんと直せる範囲で――」
「そういう問題じゃないよ!」
教室に、自然と笑い声が広がる。
(……あ)
マキは、ふと気づく。
こうして同年代の子たちと、冗談を言い合ったり笑い合ったりするのは、いつ以来だろうか。
街の修理屋として、仕事の会話ならいくらでもしてきた。
でも「友達」と呼べる存在は、ほとんどいなかった。
胸の奥が、少しくすぐったくなる。
やがて、教室の前方で鐘の音が鳴った。
帝国式の重いチャイムが、鈍く廊下を震わせる。
前方の扉が開き、一人の青年が教壇へ上がってきた。
短く整えられた髪、まだ若さの残る顔立ち。
だが制服の袖には、現役部隊のものらしい徽章が縫い付けられている。
「よーし、全員いるな?」
青年は出席簿を持たずに教室を見渡し、にっと笑った。
「今日から一年整備科を担当する、クラウス・ホフマン軍曹だ。肩書きは教官だけど、現役でリーゼ整備もやってる。分からないことがあったら、仕事だと思って遠慮なく聞け」
声は明るく、親しみやすい。
厳格な上官というより、頼れる年上の兄、といった印象だ。
「まずは軍学校の規律からいく。寝るなよ、ここ重要だからな」
そう言いつつ、ホフマンはチョークを取ると、黒板に大きく三つの言葉を書いた。
「“規律”、“連帯”、“責任”」
「帝国軍学校は、将来の士官と技術者を育てる場所だ。君たちはまだ候補生だが、学内にいる間も“軍人”として扱われる」
教室の空気が、少しだけ引き締まる。
「授業に遅刻すれば、整備時間を削られる。命令違反をすれば、整備場への入場権を失う。……まあ、そこまでやらかすなよ、って話だが」
ホフマンは肩をすくめて笑った。
「次に、全寮制についてだ」
教室の何人かが、ざわ……と小さく動く。
「帝国軍学校は原則全寮制。今週中に寮の部屋割りを決める。明日は寮の案内だ。消灯時間、門限、持ち込み禁止物品――その辺の細かい規則は、まとめてそこで説明する」
「寮って、やっぱり上下関係とか厳しいんですか?」
前のほうの席から、誰かが質問した。
「ほどほどにな。軍隊だから、上下関係ゼロってことはありえない。けどまあ、殴る蹴るの“伝統”だのなんだのは、この学校じゃ許可されてない」
ホフマンは、あえて軽い調子で言う。
「その代わり、成績や実技で差をつけろ。拳で殴り合うより、腕前で殴り返したほうが、よっぽど気持ちいいぞ?」
教室から小さな笑いが起こる。
「本格的な授業と訓練は、一週間後から始まる。それまでは、校内案内と基礎講義、あと……」
ホフマンは生徒たちを一人一人見るように、視線を巡らせた。
「互いの顔と名前を覚えろ。整備科はチームで動くことが多い。工具を貸し借りできるくらいの仲にはなっておけ。工具を借りパクするやつは、俺が個人的に許さん」
アナスタシアが、そこでぴくっと反応した。
「……ドキッ」
「何かやましいことでもあるんですか、アナ」
「な、ないよ!? まだここ来たばっかりだよ!?」
そんなやりとりをしながら、午前中はあっという間に過ぎていった。
午後。
“オリエンテーション”と校内説明がひとしきり終わったところで、ホフマンが教室の出入り口に立った。
「よし、今日はここまで。各自、自分の寮の案内書類を忘れるなよ。――オルガン、ちょっと残れ」
「……はい?」
名前を呼ばれ、マキは少し驚く。
アナスタシアたちが心配そうに振り返る。
「マキ、大丈夫?」
「ただの呼び出しですよ、多分……多分です」
「その“多分”が怖いんだけど!」
そんな会話を交わしたあと、教室の中にはマキとホフマンだけが残された。
「オルガン」
ホフマンは、先ほどより少し真面目な顔つきで口を開いた。
「お前には、別件の用事がある。技術棟に“開発室”があるのは知ってるな?」
「パンフレットに……名前だけは」
「そこに行け。――特別顧問がお前を呼んでいる」
「特別……顧問?」
ホフマンは、にやりと笑った。
「お前の“おじいちゃん”だよ」
マキは一瞬、返す言葉を失った。
つづく
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