第14話 わたしと彼女は軽トラックで恋をする

二か月前、尾形おがた沙妃さきは父親を、がんで亡くした。


六十八歳は、高齢と言われれば、確かにそうだけれど、


せめてあと五年くらいは、長生きしてほしかった。


病気がわかる前、父は「近頃なんだか疲れ易い」と言って、


念のため受けた検査で、がんが見つかり、


二年間闘病した後、あっけなくってしまった。


母はすでに鬼籍きせきに入っていたから、


沙妃は、一人ぼっちになってしまった。


「結婚していれば、違ったかもしれない」と思う。


でも、まだ二十五歳だ。


今からでも、遅くはない、と世間では言うかもしれない。


そう、世間では。


成人式の日、父は娘の振り袖姿に目を細めつつ、


『次は、花嫁姿を見られたらいいな。泣くかもしれないけれど』


と言ったのを思い出した。


「ごめんね、お父さん。それができれば、なによりだったけど……」


     ◇     ◇


沙妃は地元の信用金庫に勤めている。


働きぶりは至って真面目で、人柄も素直なのに加え、器量も良かったから、


二十二歳と二十三歳の時に、一度ずつ良い縁談があった。


どちらも相手が沙妃を気に入って、


家柄、収入、容姿と、条件も申し分なかったが、


沙妃は首を縦に振らなかった。


縁談の件は父が前々から、知人や親類に頼んでいたのだと、後で知った。


娘に早く幸せになって欲しかったのだろう。


「お父さんったら、勝手なことをして」と呆れはしたが、


なにしろ沙妃は、父親が四十三歳の時にできた子で、


しかも一人娘だったし、母も早くに亡くしていたし、


将来を心配して、結婚をせかす気持ちも、わからないではなかった。


けれども沙妃は、父の期待に応えられそうになかった。


なぜなら恋愛の対象が、同性の女の子だったから。


「お父さん、ごめんなさい。わたし、男の人はちょっと……」


なんてとても言えなかった。


父は最後までなにも知ることなく、天国へ旅立った。


「正直に打ち明けるべきだったのだろうか。でも……」


別に親だからと言って、すべてを知らせる必要はないと思った。


ただ、はっきりしているのは、父を安心させてあげられなかったということだ。


「わたし、このままで、幸せになれるのかな」


父を失った悲しみと、一人になった寂しさと、将来への不安、


葬儀が済んだ後の空虚な気持ちが、ぜんぶ一緒くたになって、


気分が鬱々うつうつとする日が続いた。


     ◇     ◇


さて、四十九日の法要を終えてから、沙妃は父の遺品整理に取り掛かった。


使えるものは残し、不要なものをほぼ処分し終えて、


最後に軽トラが残った。


父は、沙妃が高校に上がる頃、自分の乗用車を売ってしまった。


それ以降、乗るのは専ら軽トラだった。


家には田畑と山林があったため、以前から軽トラを所有していたが、


それを日常の足として使うことにしたわけだ。


高校生の沙妃にとって、


雨の日とかに、軽トラで送り迎えされるのは、さすがに恥ずかしかった。


「もうっ、お父さん、年頃の娘の気持ちなんて、全然わかってないんだから」


反抗期だったこともあり、一時は父と距離ができた。


そんなふうに、当時は反発の原因だった軽トラも、


今では父の大切な思い出が詰まっていて、手放すのは忍びなかった。


けれど保有しようにも、保険料やら税金やらが、どうしても負担になってしまう。


すでに沙妃は、軽自動車と250㏄のオフロードバイクを持っていた。


その上さらに軽トラもなんて、無理だった。


悩んだ末、なじみのディーラーに、買い取ってもらうことにした。


数日後、沙妃の預金口座に、二十五万円が振り込まれた。


車庫は空になった。


いつも当たり前のようにあったものが、なくなると、


心にまでぽっかり穴があいたようになった。


     ◇     ◇


だれでも、そんな心のスキマを埋めるものがある。


沙妃の場合は、バイクだった。


乗り始めたきっかけは、以前、片思いしていた女の子が、


「女性のライダーって、カッコイイよね」


と言うのを耳にしたからだった。


その子には、ついに声を掛けられなかったけれど、


免許を取って、バイクを購入し、乗り始めると、


車にはないダイレクトな操作性と、


爽快に風を切って走る感覚に、すっかりはまった。


だから気分が滅入った時、沙妃はバイクに乗る。


オフロードバイクでダート(未舗装の荒れた路面)の林道を走ると、


実に気分がすっきりするのだ。


愛車は、ヤマハ SEROW 250


「コレに乗っている時は、嫌なことを、すべて忘れられるの」


気分の落ち込みが深かったせいか、


その日、沙妃はいつもは行かない山奥まで、バイクを走らせた。


そしてふと考え事をして、急カーブでタイヤが滑って転倒した。


幸いプロテクターを装着していたおかげで、


怪我は打撲と擦り傷だけで済んで、バイクも無事だったが、


体もあちこち痛いし、すぐ運転するのは難しかった。


携帯の電波は圏外で、ロードサービスも呼べない。


「困ったな」


沙妃が道端に座り込んでいると、遠くから車のエンジン音が聞こえ、


やがて一台の軽トラが近づいてきた。


その軽トラを見た途端、沙妃は一瞬「お父さん?」と思った。


父が乗っていたのと全く同じ車種、ホンダのアクティだったからだ。


もっとも軽トラは、基本どれも似たような形なのだが、


いよいよ目の前に近づいて来た時、


なんてことだろう、ナンバーまで全く同じとわかって、驚いた。


あたかも父親が、自分を助けに来てくれたように思った。


ただ当然、乗っているのは父ではなかった。


キャップ帽から長髪がはみ出た、


たぶん二十歳そこそこの、若い男の子のようだった。


軽トラが沙妃の前で止まり、


運転席の窓が開いて、その若者が声を掛けてきた。


「どうしました?」


「あの、バイクで転んじゃって。携帯も圏外だし」


「怪我は大丈夫?」


「ええ、たぶん大したことないと思うんですけど、バイク乗るには、まだちょっと痛くて」


「バイク、ニーハン(250㏄)だよね。ラダーレール積んでるし、たぶん載せられるよ」


若者は軽トラから降りると、荷台にラダーレールを掛けて、


沙妃のバイクをいとも簡単に載せ上げて、ロープで固定した。


ほっそりした体つきなのに、重いバイクの積載を、ものの五分で終えてしまった。


ずいぶん扱いに慣れている様子だ。


作業が済むと「さあ、乗って」と言って、沙妃に軽トラの助手席を勧めた。


沙妃は礼を言って、乗り込んだ。


     ◇     ◇


若者はチアキと名乗った。


山へ山菜を取りに来て、帰る途中だったとのこと。


「タラの芽とコンテツが、たくさん採れたよ」


と甲高い声で、明るく楽しげに話した。


沙妃は、気になる軽トラについて、聞いてみた。


「ああ、この車? 前のが故障しちゃってね。これ、中古で安く出てたんで、つい先日、買ったばかりなんだ。え? まさか? お父さんが前に乗っていた軽トラなの?」


と言って、思ってもみなかった偶然に、チアキも驚いた。


「カラダ、痛む?」


とチアキが心配して聞いてきた。


「ええ、少し。でも、だいぶ治まったかな。バイク乗れるかも」


「あの、もしよかったら、近くに温泉があるけど、寄ってかない?」


「え、温泉?」


「そう。たぶん、地元のごく一部の人しか知らない秘湯。打ち身や切り傷によく効くんだ」


普通の温泉を想像していた沙妃は、到着して唖然とした。


細い谷川の岸辺を、石で囲っただけの、子供のビニールプールほどの大きさだ。


当然、衝立ついたてもなにもなかった。


「ここ?」


なるほど湯気は立っているし、独特の硫黄いおうのにおいはするし、間違いなく温泉だ。


(でも、この小さな溜まりに、さっき知り合ったばかりの男の子と裸で入るの?)


(まじで!)


(タオルは貸してくれたけど、バスタオルじゃないし……)


沙妃がためらっていると、若者はさっさと服を脱ぎ始めた。


「あれ? どうしたの? 脱がないの?」


立ったままの沙妃を見て、不思議そうな顔をする。


「でも、だって……」


「恥ずかしがらなくていいって。女の子同士なのに」


「え、女の子って?」


沙妃が聞き返すと同時に、若者は「ほら」と言って、


さっとキャップ帽を取り、服をバサッと一気に脱いだ。


長い髪がこぼれて、小ぶりで形の良い乳房が露わになった。


色白で艶やかな裸体に、沙妃は赤面して、目のやり場に困ってしまった。


(信じられない。ここへ来て、いきなり女の子だったなんて。でもちょっと、わたし、なにドキドキしてんのよ!)


戸惑いを悟られるわけにはいかない。自然に振舞わないと、と思った。


しかし、チアキが服を着ていた時と、脱いだ時のあまりのギャップに、心臓の鼓動は、なかなか治まらなかった。


     ◇     ◇


温泉は実に良い湯だった。


沙妃はチアキと肩を寄せ合い、一時間くらい湯に浸かった。


いろいろと話すうちに、やはりチアキも、オフロードバイクが趣味だとわかった。


裸の付き合いほど、親密さを増すものはなく、


すっかり打ち解け合った。


その日以来、二人は互いに連絡を取り合い、一緒にツーリングに出かけたりして、交遊を深めた。


やがて、どちらが先に告白したわけでもなく、


親密さは既に友達の一線を越えて、


会えばいつも、甘いひとときを過ごす関係になっていた。


沙妃は父が軽トラで、自分とチアキを引き合わせてくれたように、思えてならなかった。


そして、


「ありがとう、お父さん。わたし、とっても幸せだよ」


と言って、仏壇の父親の遺影に手を合わせた。

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