第8話 冷めてるわたしは雪女に恋をする(後編)

輝夜雪姫かぐや ゆきの元気で明るい性格と、前向きな姿勢に引っ張られてか、その後はクラスが勢いづいて、どんどん準備が整っていった。

配役で拒否を決め込んだ男子も、大道具作りでは、器用さを発揮。家から持ち出した大工道具で、材料を切って、削って、くぎを打ち、巧みにセットを組み立てると、美術部の部員や、絵心のある子たちは、それを塗装したり、美しい背景を描いていく。

「衣装はどういうのがいいかな」と服飾に興味のある子が動き始める一方で、「音響関係なら、任せてよ」と、場面にマッチする音や音楽を用意、編集する子も出てくる。


あれれ?

気づけば、バラバラのクラスが、自然にまとまってるじゃん。

信じらんないけど、教室にやる気と熱気が、渦巻いてる。

もう、やだ、やだ。

なんで、みんな、そんなに熱くなってんの?

適当でいいでしょ。

高校なんて。

入りたくて入ったわけじゃない。

勉強だって、部活だって、学校行事だって、あんまし興味ない。

一応、卒業しておかないと、と思って、通ってるだけ。

わたしって、すごく冷めてて、つまんない生徒。

やる気なしのクラスだから、そんな自分でも、目立たなくて、都合が良かったけれど。

演劇の成功に向けて、クラスが一丸となって、バリバリ動き出したせいで、


気づけば、わたしだけ、ぽつんと取り残されてる?


なんか居心地悪いな……

どうしようと、キョロキョロしてると、こっちを向いている雪姫と、目が合った。

だいたい、この子が原因だ。

雪姫が来てから、クラスが変わった。

みんな、雪姫の魔法にかかったみたいになって。

わたしは、だまされないからね。あなたなんかに。

ふんっ、と知らんぷりを決め込むつもりだったけど、どうしてか、雪姫の視線から目が逸らせない。

えっ、なんで? もしかして、これが俳優の目力ってやつなの?

わたしをじっと見つめる雪姫の、整った容貌が、ニコッと笑顔に変わったかと思ったら、

「あなたに、決めた!」

と叫んで、こっちに向かって、ビシッとまっすぐに、指を突き付けてきた。

「え? え? わたし?」

「そう、あなたに雪女の相手役をやってもらいたいな。ヒマそうにしてるし」

「そんな……」

何事も、目立たないで、遠巻きに、ひっそりとやり過ごすのが、モットーなのに。

裏目に出た。

しかも、よりによって、こんな大役⋯⋯


雪姫がダッと教壇から飛び下りて、目の前にやってきた。

「えっ、なに? いきなり」

戸惑うわたしの手を、ぐいっと両手で握り込む雪姫。

「名前、上田霞実うえだ かすみさん、でよかったよね? 一緒にがんばろっ!」

笑顔のアップがまぶし過ぎて、

心臓がドクンと脈打つ。

「う、うん。よろしく」

やっとそれだけ言ったけど⋯⋯

(ヤダ、わたし。顔がすっかり火照ほてってる)


クラスのみんなが、作業の手を止めて、一斉にこちらを見た。

「相手役、決まったの? だれ? 上田さん?」

「いいなあ」

「羨ましい」

「まあ、ユッキーが決めたんなら、頑張ってもらわないとね」

「こうなると、劇がうまくいくかどうかは、上田さんにかかってるよね」

「上田さん、お願い。ユッキーとのキスシーンだけ、私と代わってー」

と言うだれかの声に、みんなが笑う。

その笑いが、ねたそねみを含んでいるのが、なんとなくわかる。

キスシーンって、風紀委員の佐藤さんがくぎ差してるし、たぶん、フリだけなのに。

でも、雪姫の足を引っ張って、舞台を台無しにしちゃいけないのは確かだ。

プレッシャーがふつふつと湧いてくる。

逃げられるものなら、逃げ出したい心境だ。


配役も決まって、脚本の読み合わせから、場面ごとの練習と、立ち位置、動きを確認、調整して、裏方の大道具小道具、衣装、音響効果、照明も、ほぼ準備が整った。

そして、いよいよステージ上での通し練習となった。

二年C組としては、出来過ぎなほどに、順調に進んでいる。

女優のユッキーが転入したクラスってことで、当然、校内の注目が集まってる。

「今年の文化祭、二年C組はすごいみたい」って噂で、ほかのクラスの子たちが、何人も練習をのぞきにくる。

文化祭の主役は、わたしたちC組かもしれない。

みんなお互いに、協力し合ってて。

うちのクラスも、やるときゃやるんだな。

いかにも青春してるって、感じがする。

わたしは、と言えば、雪姫のせいで、否応なく、この潮流に巻き込まれて。

長いセリフを覚えなきゃなんないし、練習のたびに、細かいチェックが入るしで、ストレスも最高潮だ。

準主役というか、ほとんどこっちが、主役じゃない?

こんな役、押しつけられて、ほんっと、腹立たしい。

でも、わたし、案外やれてる。

下手だけど、少しずつ、前に進んでるって、悪くない。

昨日できなかったことが、今日は少しできて。

明日はもっとできるようになる。

ちょっとだけ、ワクワクしてきた。

この感じ、久しぶりかも。

陸上をやめて以来、絶えてなかった緊張と、心の高揚を感じる。

自分じゃない役を演じるのって、意外に楽しい。

役になり切って、物語の間だけ、本気で恋をする。

雪女のユッキーと。

役に入り込めば、入り込むほど、相手を心から好きになる。

練習が終われば、いつもの自分に戻らなきゃ、だけど……

女優のユッキーとちがって、素人のわたしは、しばらく役から抜けられない。

終わった後も、体が熱くて、ユッキーの顔を見ると、胸が高鳴ってしまう。

役柄の感情が、自分にうつってるみたい。

自分が自分でなくなっていくような。

これって、ヤバくない?

ほんとに、わたし自身の気持ちなの?


思わぬハプニングが起きた。

文化祭を三日後に控えた日の、放課後のこと。

ステージ練習中に、突然、ユッキーが倒れて、保健室に運ばれたのだ。

連日の無理がたたって、疲れが溜まっていたようす。

ユッキーは、自身の雪女の役に加えて、みんなの演技指導から、舞台の演出までしてくれていた。

いつも元気いっぱいで、疲れた様子は、微塵みじんも見せなかったから、みんなユッキーに甘え過ぎていたかもしれない。

「大丈夫よ。少し休めば、すぐ良くなるから」

と言うユッキーの表情は、いつも通りだったけど、心配かけないよう、努めて明るく振舞おうとしてるのが、わたしにはわかった。

「今日の練習は中止だ。みんな、もう下校しろ。雪姫はしばらく保健室で休ませた後、我々が家に送るから」

と保健室の外に集まっている生徒たちに、担任が声をかける。

「悪いが上田は、少しの間、残って雪姫に付き添っててくれないか」

と言われて、わたしは「わかりました」と返事をした。


先生たちは、今回のことについて、別室で話し合っているようだ。

保健室にはわたしと、ユッキーの二人だけだった。

わたしは、ベッドで横になっているユッキーのそばで、彼女を見守っていた。

「あのね、霞実かすみちゃん。実はあたし、女優をやめようかと思ってたの」

とユッキーが静かに口を開いた。

「え、どうして?」

「いろいろと行き詰ってしまって。ある日の撮影で、声が出なくなっちゃって。ストレスが原因らしいんだけど、度々そういうことが起こるようになって、治んなくて」

「そうなんだ……」

「それで休養をとることにしたの。仕事じゃなくて、普通の高校生として、みんなで楽しくやれるなら、大丈夫と思ったけど、少し症状が出ちゃったみたい」

確かに、倒れる直前に、ユッキーは珍しくセリフが出てこなくて、何度かやり直す場面があった。

強引に声を出そうとして、心に過度の負荷がかかり、気を失ったのかもしれない。

「あたし、ほんとは、女優になるつもりなんてなかった。たまたま、友達がオーディションに勝手に応募したのが、受かっちゃったから。いろんな役をやって、初めは楽しかったけれど、だんだん、演じれば演じるほど、自分のことがわからなくなっちゃった」

ユッキーの目に涙が浮かんでいる。わたしは、そっとハンカチを差し出した。

「ありがとう」

と言って、ユッキーはわたしからハンカチを受け取り、目に当てた。

「あたしって、みんなが思ってるほど、元気で明るくて、強い子じゃないの。これも、たぶん演技かなって思うと、苦しくって、悲しくって。ごめんね、霞実ちゃん。こんな話をして」

「ううん、そんなことないよ。その気持ち、すごくわかる気がする」

「そう? ありがとね……」

「でも、わたしにとっては、元気いっぱいのユッキーも、こうして悩んでいるユッキーも、ぜんぶほんとのユッキーだよ」

「なんだか、うれしい」

やがて担任と保健の先生が、戻ってきて、わたしは保健室を後にした。


その後、輝夜雪姫は、二日間学校を休んだ。

「ユッキー、大丈夫かな」

クラスに動揺が広がった。

「明日の文化祭は、来られるって話だ。心配せずに、待っててやれ」

と担任が言う。

「そうだね。ユッキーだけに頼ってちゃだめ。今は自分たちのできることをきちんとやって、ユッキーを待とうよ」

とみんなで言い合った。

そしていよいよ文化祭当日。

ユッキーがやってきた。

「ユッキー、大丈夫? 待ってたよ」

「ありがとう、みんな。心配かけて、ごめんね。もう、大丈夫だから」

「よっしゃ、二年C組、いくぞー。一致団結。エイエイ、オー!」

朝の教室で、みんなで円陣を組んだ。

青春だなあ。

いかにもだけど、気持ちが晴れやかだ。


文化祭は大成功のうちに、幕を閉じた。

わたしたちの演劇『雪女』は、観客から、嵐のような拍手喝采はくしゅかっさいを浴びて、最優秀賞に選ばれた。

注目は、やっぱり雪女のキスシーン。

もちろん、フリだけで、実際にはシないことになっていた。

本当のところは、舞台の上の、両者にしかわからないけど。

それでも、寝ている桂川さんの唇と、雪女の唇が、触れるか触れないかの寸止めだって、はっきりわかったのは、桂川さん本人が、舞台を下りた後、ちょっと物足りなそうな顔をしていたから。

彼女、少しは期待してたかもしれない。

一方、わたしの時はというと……

スッと、なんのためらいもなく、お互いの唇と唇が、ぴったりと合わさった。

(シちゃった……)

わずか数秒の時間が、とっても長かった。

もう、わかってた。

あれは、きっとユッキーの本気キス。

そして、わたしのファーストキス。

これからもずっと、二人だけの秘密。

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