断頭台の悪役令嬢は二度目の人生で復讐聖女を演じます~私を陥れた偽ヒロイン?最高の聖女に育て上げて、化けの皮を剥いで差し上げますわ~

☆ほしい

第1話

ひんやりとした石の感触が、首筋に伝わってくる。

民衆の罵声が、まるで遠くで鳴る耳鳴りのように聞こえた。憎悪、侮蔑、嘲笑。あらゆる負の感情が、濁流となって私に浴びせかけられる。

「偽りの聖女、イザベラ・フォン・ヴァルディオス!その罪、万死に値する!」

玉座から響く声は、かつて私の婚約者だった男のもの。アルフォンス殿下。彼の隣には、か弱そうに寄り添う一人の少女がいた。マリー。平民上がりの、偽物の聖女。

わたくしを陥れた張本人。

彼女の聖魔法だけが、この国を救うと信じ込まされている愚かな人々。その瞳に浮かぶ憐れみの色が、私を苛立たせた。

違う。違うのです。わたくしは偽物などではない。

本当の偽物は、あそこにいるマリーの方。

心の叫びは、しかし声にはならなかった。喉が渇ききって、唇が震えるだけ。

ああ、これが結末なのね。公爵令嬢として生まれ、王太子妃となるべく育てられ、国の為に尽くしてきた人生の、これが。

馬鹿馬鹿しい。実に、くだらない。

憎い。マリーが憎い。アルフォンス殿下が憎い。わたくしの言葉を誰一人信じなかった、この世界の全てが憎い。

もし、もしもやり直せるのなら。

今度こそ、間違えたりしない。こんな結末、絶対に迎えてなどやらない。

振り下ろされる刃の冷たい輝きが、視界の全てを覆い尽くした。


次に目を開けた時、そこは見慣れた自室の天蓋付きベッドの上だった。

柔らかなシーツの感触。窓から差し込む朝の光。小鳥のさえずり。全てが懐かしい、私の日常そのもの。

「……夢?」

掠れた声で呟く。しかし、首筋に残る感触はあまりにも生々しい。断頭台の、あの冷たさ。

混乱する頭で、ゆっくりと体を起こした。鏡台の前に立ち、そこに映る自分の姿を見て息を呑む。

幼い。

処刑された時の私は十八歳だったはず。けれど鏡の中の私は、どう見ても十二歳かそこらにしか見えない。腰まであった長い髪は、肩のあたりで切りそろえられている。

「お嬢様、お目覚めですか?」

扉の向こうから、侍女のアンナの声がした。

「ええ、今起きるところよ」

努めて冷静に返事をしながら、鏡の中の自分を見つめる。間違いなく、これは過去の自分。

アンナが部屋に入ってきた。彼女は私より少し年上で、幼い頃からずっと仕えてくれている侍女だ。

「おはようございます、お嬢様。本日は、マリー様が王宮へいらっしゃる日ですよ。旦那様も奥様も、準備をしてお待ちです」

「……マリー?」

その名を聞いた瞬間、全身の血が逆流するような感覚に襲われた。

そうだ。思い出した。

わたくしが十二歳の年。男爵家の養女となったマリーが、聖なる力を持つ「聖女」として王宮に迎え入れられた。それが、全ての始まりだったのだ。

「お嬢様?顔色が優れませんが、どこかお具合でも?」

心配そうに覗き込んでくるアンナに、私は首を横に振った。

「いいえ、大丈夫よ。少し、悪い夢を見ていただけ」

「そうでございますか。では、お着替えの準備をいたしますね」

アンナが手際よくクローゼットからドレスを選び始める。その背中を眺めながら、私は固く拳を握りしめた。

戻ってきたのだ。

あの屈辱的な最期から、六年も前の過去に。

これは神が与えてくださった機会。復讐のための、二度目の人生。

一度目の人生で、わたくしはマリーの存在を疎ましく思った。平民上がりの娘が、聖女というだけで殿下の隣にいることが許せなかった。だから、厳しく接した。それが間違いだった。

私のプライドの高さが、アルフォンス殿下の心をもマリーへと向かわせてしまったのだ。

今度は違う。

マリーを排除したりしない。むしろ、歓迎して差し上げましょう。

そして、彼女を「本物の聖女」に育て上げるのだ。

誰からも尊敬され、敬われる、完璧な聖女に。

その上で、見せてあげる。付け焼刃の知識と、浅はかな善意だけで聖女を名乗る愚かな娘の、その化けの皮が剥がれていく様を。

貴族社会の複雑な礼儀作法。各国の歴史と政治情勢。高度な魔法理論。その全てを、あの勉強嫌いのマリーに叩き込む。

彼女が失敗するたびに、わたくしは完璧に彼女を庇い、慰め、励ます。

「マリー様は素晴らしいお方ですわ。ただ、少しお疲れなだけですのよ」

「わたくしの教え方が至らないばかりに、申し訳ありません」

そう言って微笑むのだ。

周囲の人間は、私の完璧な振る舞いを称賛するだろう。そして同時に、思うはずだ。

なぜ、聖女であるマリー様は、これほどまでに物覚えが悪いのか、と。

なぜ、あれほどイザベラ様に迷惑をかけておきながら、平然としていられるのか、と。

疑惑の種は、ゆっくりと、しかし確実に育っていく。

やがて人々は気づくだろう。マリーという少女の底の浅さと、その性根の悪さに。

アルフォンス殿下も、きっと目を覚ますはずだ。自分がどれほど愚かな選択をしたのかを。

これ以上の復讐があるかしら?

殺してやりたいほどの憎しみ。でも、ただ殺すだけでは足りない。

彼女が手に入れた全てを、彼女自身の手で失わせるのだ。絶望の淵で、自分の愚かさを後悔しながら、ゆっくりと破滅していく姿を、わたくしは特等席で眺めて差し上げる。

「ふふっ……あはははは!」

思わず、笑い声が漏れた。

「お嬢様?何か面白いことでも?」

振り返ったアンナが、不思議そうな顔をしている。

「いいえ、なんでもないわ。ただ、今日という日が、とても楽しみになっただけ」

鏡に映る十二歳の私は、天使のように無垢な笑顔を浮かべていた。

その瞳の奥に、どれほど黒く、冷たい炎が燃えているかなど、誰にも分かりはしない。

さあ、始めましょう。わたくしの、二度目の人生を。

最高の笑顔で、最悪の復讐劇の幕を開けるのだ。

「アンナ、今日は一番良いドレスを用意してちょうだい。大切な新しいお友達を、最高の形でお迎えしないと」

「まあ、お嬢様がそのようなことをおっしゃるなんて。分かりましたわ、一番素敵なドレスをご用意しますね!」

嬉しそうに微笑むアンナ。

そうよ、わたくしは今日から生まれ変わるの。

誰からも愛される、慈愛に満ちた公爵令嬢、イザベラ・フォン・ヴァルディオスを演じきってみせる。

全ては、あの女を地獄に突き落とすために。

クローゼットから出された純白のドレスは、まるでこれからの私の純粋さを象徴しているかのようだった。もちろん、それは見せかけに過ぎない。

この純白の下に、どす黒い復讐心を隠して。

一度目の人生で私を断罪した者たち全てに、後悔という罰を与えてあげる。

まずは手始めに、偽りの聖女様を心から歓迎して差し上げましょうか。

どんな顔をするのかしら。私が笑顔で手を差し伸べたら。

きっと、警戒しながらも利用価値があると思って、その手を取るに違いない。

単純で、愚かな娘。あなたのその浅はかさが、命取りになるということも知らずに。

「準備ができましたわ、アンナ。お父様とお母様のところへ参りましょう」

「はい、お嬢様。本日は一段とお美しゅうございます」

アンナの言葉に、私は完璧な淑女の笑みで応えた。

心の中では、これから始まる復讐のシナリオを思い描き、冷たく笑っていた。

待っていなさい、マリー。アルフォンス殿下。

あなたたちが絶望に染まるその日まで、わたくしは完璧な聖女の仮面を被り続けてあげる。

長い長い、復讐劇の始まりだ。

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