4話 優しいし慈悲深いから大丈夫だよ
洗い物を手伝いあっという間に終わらせると、テーブルの椅子に向き合って座り、話し合っていた。
まずは互いについて色々と気になることが多すぎるので、どちらが先に質問を仕掛けるかのジャンケンを行う。
結果は俺の勝ちだ。相手が何となくチョキを好んでいそうな顔に見えたからグーを出した。
「えっとスラヴァさん、だったけ」
「間違っていない、その通りだ。あと『さん』は別にいらない」
「あ、そう、じゃあスラヴァで……一番俺が欲してる情報はここがどこなのかだ」
「……随分と妙なことを聞く坊やだな。まあいい、教えてあげよう。ここはロシアと朝鮮半島の隣に位置する日本だ」
「やっぱりか。何となく分かってはいたけどさ。それで日本のどこ?」
「札幌だ」
なるほど、北海道に転送されてしまったのか。チェチェンとは遠すぎて、いまいち実感が湧かないな。
雪国だとはやや予想外だったが、肌寒いし、そういうことだったみたいだ。
だが、ほんのりと暑さもある。
「あのスラヴァ、場所はいいんだけど、西暦は何年だ?」
「……そんなことも知らないのか。現在は2048年だ」
そんなにラグが生まれるものなのだろうか。俺が転移したのはウクライナ侵攻の最中の2022年であり、あそこでは二年を過ごしたから、本来は2024年になっているはず。
不可解だ……スラヴァも嘘はついていなさそうだし、困った。
何十年も経っていたら温暖化で北海道の寒冷も失われるか。当たり前の理論だが、どうも腑に落ちない。
「では、次は私から質問するぞ――――」
「お好きにどうぞ」
スラヴァにまたもや用意してもらったコップを唇に押し付け、冷えた水で喉を潤す。
「まずずっと気になっていたが、何故そんな武器を?」
彼女は壁に立て掛けてある俺の銃を指さす。
「チェチェンでロシア軍と戦ってたからだよ。あの銃はM4で横流しのやつさ。ハンドガードを交換したりして上手いこと使ってる」
姿勢を崩し、両手を枕のようにして頭を添えながら素っ気なく返す。
「ちぇ、チェチェンで? そう言えば日系チェチェン人だと言っていたな。詳しく聞かせてくれないか?」
「詳しくって言われてもシケてるけどな……」
とは答えつつも相手の要望を退けることはできず、経歴を事細かに語っていった。
ロシア軍の侵攻から命と故郷を守るためにスンニ派の民兵組織に入隊したことや砲撃で死亡して異世界に召喚され、全ての役目を終えて帰って来た件など――――時間なんか眼中に入れず、ただひたすらに自分の記憶に刷り込まれた出来事を暴露した。
「それは壮絶な……ん、ちょっと待った」
「どうした?」
「私は、とんでもないことをしたかもしれない……」
スラヴァは絶望と後悔が混合した表情を浮かべて椅子を立ち上がり、まるで何かに操られているのか完璧な姿勢で正座し、そのまま頭を下げて額を床に擦り付けた。
「誠に、申し訳ない……」
「ちょ、ちょっとどうしたんだよ!」
すぐさま駆け寄り、その頭を無理やり正しい位置に戻す。
「や、やめろ! こんな謝罪では決して……」
「えっ、謝罪って?」
思わぬ言葉が口から飛び出し、混乱をきたす。
このお姉さんに嫌がらせなんて受けたことあるかな……初対面だからまずありえない。
「だ、だって、ロシア軍がチェチェンを、あなたの故郷を荒らして……」
「そういやサンクトペテルブルクの出身って言ってたな」
「それに私は人ではないとはいえ兵隊に所属していたから……」
「おかしなこと言うお姉さんだなぁ。とりあえず座ろうよ。べっぴんな顔が台無しになってるじゃん」
涙が一滴頬を伝っていたからティッシュで拭き取ってやり、半ば強制的に椅子に座らせた。
少し時間を空けたのがよかったらしく落ち着きを取り戻し、会話を再び始めた。あんな弱々しい姿より冷静沈着な方がかっこいい。
「チェチェンの紛争は何年から何年まであった?」
「確か……2020年から2025年までだったはず。結果としてはロシアがそちらを鎮圧して……」
げっ、結局反乱は失敗したのかよ。ということは親露政権がまた確率されて恐怖の独裁が実施されているだろうから、ある意味祖国に召喚されなくて幸運だったかも。
「へえ、長いことやってたんだな。で、そっちが生まれたのはいつ?」
残り僅かな水を味わいながらゆっくり口内へ流していく。
「私は22歳だから西暦で言えば2026年になるが……」
「じゃあチェチェンのとは無関係だな。お前の国籍がロシアでも俺は恨まんよ」
「ほ、本当か……? 私はまさにそこから逃げて来たが、人間ではないこともあってかよく差別されるから……」
「嘘じゃないよ、怒らないよ。例えば日本は平頂山事件とか重慶爆撃とか起こしたけど、現代の日本人に当時の罪を背負わせるのは違うだろ?」
「そ、そうだな……しかし、実際こうして被害者が前にいるとなると――――」
登場した時は勇敢だったのにすっかりネガティブな思考になってしまったと、席を立って彼女の肩を優しく叩く。
「い、いきなり何だ?」
唐突な接触に驚くが、お構いなしに発言を切り出す。
「もしスラヴァがチェチェンのムジャヒディンを残酷に殺してきたとしても――――反省しているなら、厳しくも慈悲深いアッラーとムハンマドは許してくれると思うよ。あなたが人なのかどうかはさておき、イスラームだと皆平等なんだから、そんな堅苦しいこと言うなよ」
布教のつもりはないが、イスラム教の宣伝がてらに救済の言葉を投げ掛けたところ、スラヴァの目元から涙が溢れ、次第に大粒の雫が頬を滴って机上へと染み込んでいった。
「さ、差別してこなかったのはラムザン君が二人目だ……私はここで生活に馴染もうとしているのに、ずっと迫害されてきて……」
泣かれているのをあまり見られたくないのか俯きながら俺の胴体にしがみつく。
嗚咽が響き、ほぼ初対面だがこの人の苦悩がはっきりと伝わって来た。
俺も自国に澄んでいるのに他所の連中から不当に虐げられた。
「大丈夫大丈夫……嫌になってもアッラーとムハンマドがきっと救ってくださるし、俺も食事を提供してくれたから、できることは何でもやってやるよ」
この方も被害者だ。その心には寄り添える。
啜り泣きが終わるまで、相手の切り裂かれた感情を受け止めてやろうと、抱き締め返した。
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