第五話:『お試し』ダンジョン攻略


 S級ギルド『ソレイユ・フレア』の本部。


 その一室。


 たぶん、ここはVIP専用の応接室、そんな感じの部屋なんだろう。

 俺が住んでる六畳一間のワンルームが、余裕で三つは入りそうな空間。床はふかふかの絨毯で、足音が全部吸い込まれていく。

 俺とひかりさんは、革張りなのか何なのか、格調が高くて、まったく俺には慣れない感じのソファに並んで座らされていた。

 目の前には、これまた高そうなテーブル。その向こう側には、いかにも『幹部』といった感じの、パリッとしたスーツを着た中年男性が二人、こちらを値踏みするように座っている。


 空気が重い。

 ブラック企業の陰湿な空気にそっくりだ。


 キリキリキリ……。


 俺の胃が、抗議の声を上げている。

 ロビーでの一件以来、俺は『ひかりさんの付属品』、あるいは『虎の威を借るFランク』として、腫れ物みたいに扱われている。

 その視線が、痛い。ひたすらに、痛い。


「――さて。相田ショウ君、だったかな」


 沈黙を破ったのは、真ん中に座る、銀縁眼鏡の男だった。

 声は穏やかだが、目が笑っていない。典型的な人を数字でしか見ないタイプ。


「君のライセンス記録は、拝見させてもらったよ。ランクF。保有魔力、ゼロ。スキル、【ギフト】……。ふむ」


 男は、手元のタブレット端末から視線を上げ、俺をジロリと見た。


「正直に言おう。これだけの情報で、我らがS級探索者、朝比奈ひかり君の『専属パートナー』というのは、にわかには信じがたい」

「失礼です!」


 俺が何か言うより早く、隣に座るひかりさんが、バンッ! とテーブルを叩きそうになって、寸前で思いとどまった。危ない、この高そうなテーブルに傷がついたらどうするんだ。


「昨夜、私が提出した報告書を、お読みになっていないのですか!? 新宿に出現したA級モンスターの討伐。その最大の功労者は、このお兄さんです!」

「もちろん、読んださ。ひかり君」


 男は、彼女の剣幕にもまったく動じない。

 まるで、癇癪を起こす子供をあやすような口調だ。


「だが、残念ながら、昨夜の新宿エリアは、A級個体の出現による高濃度魔力汚染で、ギルドの観測システムが広範囲にわたってダウンしていた。君の【シューティング・バスター】が炸裂した事実は確認されているが、その後の戦闘――君が主張する『相田ショウ君からの魔力供給による、MPの即時全回復』については、客観的なデータが存在しない。すべては、君の『自己申告』だけだ」


 うわあ。

 俺は内心、頭を抱えた。

 やっぱり、そうなってるのか。


 考えてみれば当然だ。

 会社ってのは、そういう場所だ。


 『報告』より『証拠』。

 『結果』より『データ』。


 どれだけ「やりました」と言っても、それを裏付ける客観的な証拠がなければ、全部「お前の感想だろ?」で切り捨てられる。

 彼らが見たいのは、彼らが理解できる『数字』だけなのだ。


「そんな……! 私は、嘘なんかついていません!」

「わかっているよ、ひかり君。君が嘘をつく人間ではないことは、ギルドの誰もが知っている。だが、我々組織としては、その『100倍』というのが、本当にスキルによるものなのか、あるいは、昨夜の特殊な環境下で起きた、一度きりの偶然なのか……それを、正式に確かめる義務がある」


 男は、そこで言葉を切り、俺に視線を戻した。

 ああ、嫌な予感しかしない。


「そこで、だ。相田ショウ君。君には、我々の監視下で、改めてそのスキルの有用性を『証明』してもらう」

「証明……ですか」


 ゴクリ、と唾をのむ。


「そうだ。いわば、『お試し』だよ」


 男は、初めて、ニコリと貼り付けたような笑みを見せた。


「君たち二人には、これより、低ランクダンジョンの掃討任務にあたってもらう。もちろん、ギルドの観測班を同行させて、ね。そこで、君のスキルが本物であると確認でき次第、君を『ソレイユ・フレア』所属、ひかり君専属のサポート担当として、正式に契約しよう。……もちろん、待遇はS級に準ずるものを用意する」


 S級に準ずる待遇。

 その言葉に、一瞬、心が揺らぐ。

 今の貧窮が解決する、それどころか、金の問題について、すべてチャラになる。

 だが、それよりも。


「……わかりました」


 俺は、キリキリと痛む胃を押さえながら、頷いた。


「お兄さん!?」


 ひかりさんが、驚いたように俺を見る。


「そんな、ギルドの『お試し』なんて、受ける必要ありません! 私が、お兄さんの価値を保証します!」

「いいえ、ひかりさん」


 俺は、彼女に向かって、弱々しく首を振った。


「やらせてください。……俺が信用されてないのは、当然のことですから。Fランクで、MPゼロ。実績も何もない。そんな俺が、いきなり『パートナーです』なんて言っても、誰も信じませんよ」

「でも……!」

「それに」


 俺は、自分の手のひらを見つめた。

 昨日、あの安いポーションを掴んだ手。

 あの、激流みたいな魔力が体を突き抜けていった感覚。


「俺自身、まだ、あの力が夢だったんじゃないかって、思ってるんです。だから……俺のためにも、もう一度、確かめさせてください」


 俺がそう言うと、ひかりさんは、何か言いたそうに唇を噛んだけど、やがて、小さく頷いた。


「……わかりました。お兄さんがそう言うなら。……でも、絶対ですからね! お兄さんのスキルは、本物です! 私が、このギルドの人たち全員に、それを認めさせてみせます!」


 彼女は、ギュッと拳を握りしめ、燃えるような碧眼で、正面の幹部たちを睨みつけた。

 その気迫に、さしもの幹部たちも、一瞬だけ、たじろいだように見えた。



 ギルドの黒塗りの専用車で移動させられ、俺たちが連れてこられたのは、新宿から少し離れた、郊外にあるダンジョンだった。

 その見た目は、ただの古い雑居ビルの地下駐車場入り口だ。

 だが、その入り口には『関係者以外立ち入り禁止』のテープが張られ、ギルドの職員が数人、常駐している。


 『D級指定ダンジョン:ゴブリンの巣穴』


 入り口に掲げられたプレートには、そう書かれていた。


「では、朝比奈様、相田様。お願いします」


 俺たちの後ろから、地味な作業着を着たギルド職員が声をかけてきた。彼らは観測班ではなく、ダンジョン管理の担当者らしい。


「観測ドローンは、既に内部で待機しております。こちらのインカムとモニターで、本部モニタリングルームとの通信、およびドローンからの簡易映像、魔力フローが確認可能です」


 そう言って、俺とひかりさんに、耳にかけるタイプのインカムと、腕時計型の小さなモニター端末が手渡された。

 俺が、おそるおそる、その黒い端末を手首にはめると、画面に『SYSTEM ONLINE』の文字が浮かび上がった。

 うわ、ハイテクだ。


「観測班は、本部のモニタリングルームにて、ドローンが送信する高精細映像と、ダンジョン内の魔力変動をリアルタイムで解析します。……相田様は、くれぐれも、朝比奈様の護衛を最優先に」

「あ、はい。わかりました」


 俺が護衛、ねえ。

 HP85の俺が、HP3500の彼女を、どうやって。

 まあ、建前だろう。要するに「邪魔するな」という意味だ。


「お兄さん! 行きましょう!」


 俺のそんな卑屈な思考とは裏腹に、ひかりさんは、やる気満々だった。

 いつの間にか、あの清楚なワンピースから、白と青を基調にした、魔法少女みたいな戦闘服に着替えている。

 輝く銀髪は、動きやすいようにツインテールに結わえられていた。


「あ、はい」


 俺たちは、職員たちの「なんでS級の朝比奈ひかりがD級に?」「隣のFラン、誰だよ」という視線を背中に浴びながら、薄暗い地下ダンジョンへと、一歩、足を踏み入れた。


 ヒヤリ、と空気が変わった。

 外の生ぬるい空気とは違う。カビ臭くて、少し湿った、独特の匂い。

 壁はコンクリートが剥き出しで、ところどころ、緑色のよくわからない苔みたいなものが光っている。


「うわ……」


 荷物持ちとして、安全領域のダンジョンの入り口までは何度も来たことがある。

 だが、モンスターが出現する可能性のある、この『攻略領域』に足を踏み入れたのは、人生で初めてだった。

 心臓が、ドクドクと嫌な音を立てる。


「お兄さん、大丈夫ですか? 顔色、さっきより青いですよ?」


 ひかりさんが、心配そうに俺の顔を覗き込む。

 彼女は、こんな薄暗い場所でも、キラキラと輝いて見えた。


「だ、大丈夫です。ちょっと、緊張してるだけで……。ひかりさんこそ、足元、気をつけて」

「はい! お兄さんも、絶対に私の後ろから離れないでくださいね」


 彼女は、俺の前に立ち、まるで騎士みたいに、俺を守るようにして、ゆっくりと通路を進み始めた。

 S級探索者に守られる、元社畜のFランクフリーター。

 なんだ、この構図。情けなさで、また胃が痛くなってきた。


 ブゥゥン……。


 不意に、小さな羽音のような音が聞こえた。

 見上げると、俺たちの頭上、数メートルの位置を、銀色の球体がふわりと飛んでいる。

 大きさは、バスケットボールくらい。青いレンズが一つ、こちらを向いている。


 あれが、『観測ドローン』か。


 手首のモニターを見ると、そのドローンから送られてきているらしい、俺たちを上から映した映像が表示されていた。

 そして、画面の端には、俺とひかりさんの名前、そして『MP』と書かれたゲージが表示されている。

 俺のゲージは『0/0』で、ひかりさんのは『8000/8000』で満タンだ。

 これが、本部の連中に丸見えなのか。


 しばらく、コンクリートの通路を進む。

 ポタン、ポタン、と天井から水滴が落ちる音だけが、やけに大きく聞こえる。

 俺は、自分の心臓の音が、インカムのマイクに拾われてしまうんじゃないかと、それだけが心配だった。


 やがて、通路が終わり、少し開けた空間に出た。

 元は、本当に地下駐車場だったんだろう。

 太い柱が何本も立ち並び、その向こう側に、何かがうごめいている。


「ギギ……」

「ギャッ!」


 緑色の、小さなバケモノ。

 身長は、子供くらい。だが、その顔は、人間のそれとはかけ離れている。

 醜く歪んだ顔に、尖った耳。

 手には、錆びついた棍棒や刃こぼれしたナイフを持っている。


 『ゴブリン』だ。

 D級ダンジョンでは、おなじみの雑魚モンスター。

 だが、その数は……ざっと見て、十匹は超えている。


「発見しました!」


 ひかりさんの声が、弾んだ。

 まるで、宝物でも見つけたみたいだ。


「お兄さん! あれがD級モンスター、ゴブリンです!」

「は、はい。知ってますけど……」


 ってか、なんでそんなに嬉そうなんだ、この人。

 ゴブリンたちは、まだこちらに気づいていない。何かの残骸を漁るのに夢中になっている。


「よし。お兄さん、観測班の人たちにも、私の実力、見せてあげましょう!」


 ひかりさんが、キリッとした表情で、ゴブリンの群れに向かって、杖を向けた。

 彼女の持つ、金属製の杖の周辺へ青白い魔力の光が集まり始めた。

 その姿は、まるで、魔法の杖『カーディナル』を持っていなくても、彼女自身が強力な魔力を帯びているかのように見えた。


「行きます! 【ブレイズキャノン】、チャージ開始!」


【ブレイズキャノン】


 ひかりさんが使う、中級の砲撃魔法。

 威力は、戦車砲クラス。B級とかの中級モンスターを一撃で葬る、切り札の一つ。


 ……D級のゴブリンが十匹相手に、それか?


 俺の頭の中で、それを使ったら、素材とかドロップアイテムとか、全部消し飛ぶんじゃ……? このダンジョン、崩壊しないか?という、俺ながらの貧乏性と、コスト意識と、純粋な恐怖が渦を巻いた。

 俺なんかいなくても、いいように感じる。

 けれど、彼女は「絶対に必要だ」と言ってくれた。俺は、その信頼にこたえなければ。


「ギギッ!? ギャアア!?」


 さすがのゴブリンたちも、D級ダンジョンには不釣り合いすぎる、その圧倒的な魔力のプレッシャーに気づいたらしい。

 慌てて、こちらに武器を向けたり、逃げ出そうとしたりしている。

 だが、もう遅い。


「【ブレイズキャノン】――ファイア!」


 ひかりさんの、凛とした声が響き渡る。

 彼女の両手から――いや、彼女が構えた空間そのものから、眩いばかりの光の奔流が、圧縮されたレーザーのように、真正面に向かって射出された。


 ゴオオオオオオオオオッ!


 轟音。

 一瞬、視界が真っ白に染まり、直後に、凄まじい衝撃波と熱風が、俺の体を襲った。


「うわっ!?」


 俺は、咄嗟に、安物のプロテクターを気休め程度に顔を覆い、その場にうずくまる。

 D級ダンジョンが、まるで、巨大な竜巻に飲み込まれたみたいに、激しく揺れている。

 天井から、パラパラとコンクリート片が落ちてくる。


 おい、これ、生き埋めになるんじゃないだろうな……。


 数秒後。

 ようやく、轟音が収まり、俺は、おそるおそる顔を上げた。


 そこには。


「……」


 言葉を失った。


 さっきまで、ゴブリンが十匹いたはずの空間。


 そこには、何もなかった。

 いや、ゴブリンだけじゃない。


 彼らが漁っていた残骸も、彼らが立っていた床も、その向こう側にあったはずの壁も。

 全部、まとめて、綺麗さっぱり、えぐり取られるように、消滅していた。


 通路の奥は、熱で溶けて、ガラスみたいにテカテカ光っている。


 ……。

 ……。


 【ブレイズキャノン】。

 S級探索者の中級魔法なのか、これが。


「やりました!」


 俺が、あまりの破壊力に呆然としていると、隣で、ひかりさんが無邪気な声で、ポン、と手を叩いた。


「お兄さん、見ましたか!? 一掃できました!」


 彼女は、クルリとこちらを振り返り、満面の笑みで、Vサインまで作って見せた。

 その学生服を思わせる白を基調とした戦闘服には、塵一つ、ついていない。


 俺は、慌てて手首のモニターを確認する。

 彼女のMPゲージが、『1500/8000』くらいまで、ゴッソリ減っている。


 あの一発で、6500も消費したのか。

 そりゃ、連発できないわけだ。


「……あ、はい」


 俺は、乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。

 胃が、また、キリリと痛む。

 理由は、わかってる。


(見たけど……D級相手にこれかよ……)


 それに、この人はマジだ。

 この人は、本当に加減っていうものをまったく知らない。


「燃費が悪い」って、そういうレベルの話じゃなかった。

「常にフルスロットル」で、「リミッターがぶっ壊れてる」んだ。


 S級の脳筋火力。

 まさに、それだ。


「あ、お兄さん!魔力、お願いします!」

「ああ……ああ、分かった」


 なにか釈然としないものがあったけれど、そう答えるほかにない。


「次の群れに備えて、フルチャージしておかないと!」


 彼女は、俺に向かって、キリッとした顔で話かけてきた。

 頭上の観測ドローンが、そのやり取りを記録しようと、レンズを激しく俺たちに向けている。


 そうだ。これが、俺の仕事だ。

 俺は、覚悟を決め、腰のポーチから、今日ギルドから支給された一番安い『MPポーション』を一本、取り出した。

 俺は戦闘員じゃない。ひかりさんの『バッテリー』だ。


 俺は、人生で二度目となる、あのクソまずいMPポーションを、一気に喉の奥へと流し込んだ。


 ゴクリ。


 瞬間。


 カアアアアッ!


 腹の底から、昨日と同じ、あの燃え上がるような熱い感覚が湧き上がってきた。

 俺の体の中で、摂取した魔力100が、スキル【ギフト】によって、100倍の『10000』へと変換される!


「ぐっ……!」


 俺の体を、ただの『通り道』にして、膨大な魔力の激流が、契約を結んだひかりさんへと流れ込んでいく!


「……すごい! やっぱり、お兄さんは最高です!」


 ひかりさんの顔が、パアアッと輝いた。

 消耗していた魔力が、一瞬で満たされていく感覚が、彼女にはわかるのだろう。

 俺の手元のモニターでも、さっきまで『1500/8000』だった彼女のMPゲージが、一瞬で『8000/8000』へと全回復するのを、はっきりと確認できた。


「やった!これで、私、また【ブレイズキャノン】が撃てますね!」


 彼女は、満足そうに、自分の杖を握り直した。


 ……この人、また撃つ気だ。

 間違いなく、次の群れを見つけたら、また、ダンジョンごと吹き飛ばす気だ。


「次へ進みましょう、お兄さん!」


 俺の、そんな内心の絶望と胃痛を知ってか知らずか、ひかりさんは、元気いっぱいに俺の手を掴んだ。


「この先、まだ、反応があります! 早く倒しちゃいましょう!」


「あ、ちょ、ひかりさん! 大丈夫なんですか!?」


 俺の言葉に、彼女は、チラリと、こちらを振り返り、ニパッと笑った。

 まるで、最初からそれを待っていたかのように。


「大丈夫です! だって……お兄さんがいますから!」

「え?」

「さあ、早く行きましょう、お兄さん!」


 ひかりさんは、元気いっぱいに俺の腕を掴んだ。

 彼女は、俺をグイグイと引っ張って、自分自身がぶっ放した魔法で、さらに奥へと開通した、新しい(?)通路へと駆け出していく。


 俺は、彼女の規格外の行動原理と、底なしの魔力消費に、完全に流されるしかなかった。

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