第二章:専用バッテリー、覚醒
第四話:S級ギルドの洗礼
ピコピコピコ、と安っぽい電子音が部屋に鳴り響いていた。
ほとんど眠れなかった頭に、スマホのアラームの音が突き刺さる。手を伸ばし、スマホの画面を乱暴にタップして音を止めた。
薄暗い天井を見つめる。
六畳一間、ユニットバス付き。壁の薄い、ありふれたワンルームのアパート。ここが俺の城であり、今の俺の全てだ。
「……夢、か」
昨日食べたコンビニ弁当の空き容器が、床に転がっている。いつも通りの救いのない現実だ。
昨日の夜のこと。
公園、次元の断層、ロードウルフ。あの、ビルみたいにでかいバケモノ。
そして、S級探索者、朝比奈ひかり。
『あなたは、私にとって、絶対に必要な人です』
『今日から、私の『お兄さん』になってください!』
……。
全部、都合のいい夢だったんだろう。
Fランクの探索者もどきの荷物持ちが、現実に絶望してみた夢なのだ。
そうに決まってる。
S級探索者が、こんなゴミ溜めみたいな部屋に住んでる、MPゼロの男に「必要だ」なんて言うわけがない。
俺は、あの公園で、あのEランクの連中に見捨てられたところで、本当はもう……。
ピンポーン。
不意に、部屋のチャイムが鳴った。
ビクッと、全身が跳ねる。
なんだ?
こんな朝早くに、誰だ。
某国営放送局の受信料支払い催促か?
それとも、家賃の催促……いや、それはまだ早いはずだ。
俺は、昨日から着たままのヨレヨレのシャツを見下ろし、ため息をついた。
居留守を使うか。どうせ、俺にろくな用事があるはずもない。
ピンポーン。ピンポーン。
しつこい。
無視だ、無視。俺は布団を頭までかぶった。
すると。
「あ、あのー! お兄さーん!いらっしゃいますかー? 朝比奈ひかりです! お迎えに来ましたー!」
……は?
アパートの薄いドアを突き抜けて、よく通る、聞き覚えのある声が聞こえた。
あさひな、ひかり?
幻聴か?
いよいよ、俺の頭もイカれたらしい。
日本の最強戦力が、なんで俺のアパートのドアを叩いてるんだ。
「お兄さーん!聞こえてますかー?『専属契約』したんですから、わかりますよー! そこにいますよねー?」
ガタッ!
俺はベッドから転げ落ちた。
夢じゃ、なかった。
夢じゃなかったのか!?
慌てて、床に転がっていたコンビニの袋や空き缶を、部屋の隅に転がっていた、適当なゴミ袋に突っ込む。まあ、我ながら無駄な抵抗だと思った。ゴミ屋敷が、ちょっとマシなゴミ屋敷になっただけ。
それでも、まあ、やらないよりはマシか?
「は、はい! い、今、行きます!」
裏返った声で叫び、慌てて玄関に向かう。
ドアスコープを覗く勇気もない。
鍵を開けつつ、チェーンロックをしたままの状態で玄関のドアを半開きに開いた。
「おはようございます、お兄さん!」
そこに立っていたのは、紛れもなく、昨日の少女だった。
輝くような銀色の長い髪。夏の空みたいな、鮮烈な碧眼。
目の前にいる彼女は、俺の記憶にある、白と青の学校の制服のように見える魔法少女のような戦闘服ではなく、清楚な白いワンピース姿だ。
場違いだ。
この錆びついた鉄骨階段と薄汚いアパートの廊下に、彼女の存在はあまりにも場違いだった。
「あ……お、おはよう、ございます……」
「ふふっ。やっぱり、ここに住んでたんですね!」
「え、あ、はい。そうですけど……なんで、場所が……?」
「昨日、私と専属の『契約』を結びましたよね? だから、パートナーの位置は、なんとなくわかるんです!」
彼女は、にぱっと、太陽みたいに笑った。
いや、それ、普通に怖くないか?
S級探索者の力なのか、それとも【ギフト】の契約の影響なのか知らないが、それって要するに、俺の居場所は彼女に筒抜けってことだろ。
これがもし男女逆だったら、一発で通報されてるレベルのストーカー発言なのでは……。
俺のそんな内心の動揺を知ってか知らずか、彼女は続ける。
「なんでって、決まってるじゃないですか! 今日から、よろしくお願いしますね、私のパートナーのお兄さん!」
「よ、よろしくお願いします……?」
「はい! それで、早速なんですけど、私のギルドに挨拶に行きましょう!」
「ギルド?」
「はい! 私が所属してる、『ソレイユ・フレア』です! お兄さんの情報登録とか、申請とか、やることいっぱいですよ!」
ソレイユ・フレア。
その名前は、俺みたいなFランクでも知っている。
日本最大手のS級ギルド。
テレビCMもやってるし、トップ探索者たちが何人も所属している、まさに『選ばれた人間』たちの巣窟だ。
そんなところに、俺が? 挨拶?
「あ、あの、ひかりさん」
「『ひかり』でいいですよ、お兄さん」
「い、いや、そういうわけには……。あの、朝比奈さん。俺、Fランクですよ? MPゼロの荷物持ちです。そんな俺が、S級ギルドなんかに……」
「もう、まだそんなこと言ってるんですか?」
ひかりさんは、むーっと頬を膨らませた。
「お兄さんは、Fランクじゃないです」
「え?」
「私の『専属契約』を結んだパートナーなんです。私にとって、世界で一番価値のあるスキルを持ってるんですよ?……昨日のこと、もう忘れちゃったんですか?」
「いや、忘れては、ないですけど……」
あの、ポーション一本で、彼女のMP8000が一瞬で全回復した、あの異常な現象。
【ギフト】Lv.1:倍率100倍。
あれが現実だったとして、だ。
「でも、俺、本当に何もできないですよ。ポーション飲むこと以外に」
「それが、一番すごいことなんですよ!」
彼女は、俺に向かってほほ笑んでいた。
昨日と同じ。
彼女の温かくて、嘘偽りのない真っ直ぐな姿勢を示している、その表情。
「とにかく、行かないと始まりません! ほら、準備してください! あ、でも、あんまり時間かけると、私、待ちきれなくて。このドア、壊しちゃうかもしれませんよ? 【マジックショット】で」
「そ、それは勘弁してください!」
この人、S級のくせに、物騒なこと笑顔で言うな!
俺は、ひかりさんという最強の脅迫者に急かされるまま、部屋に駆け戻り、顔を洗い、昨日とは別の、しかし同じくらいヨレたシャツに着替えた。
安物のプロテクターは……いらないか。
いや、でも、一応。
俺は、お守り代わりに、一番マシな胸当てだけを身につけた。
「お待たせしました……」
俺は玄関ドアを開け放つ。
「はい! 行きましょう、お兄さん!」
ひかりさんは、満面の笑みで俺の腕を掴むと、グイグイと引っ張っていく。
待って、腕組まれてる!?
嘘だろ。
S級探索者『魔砲の守護者』と、Fランクの元社畜が、腕を組んでアパートの階段を下りている。
誰かが見たら、どう思うんだ。
いや、それ以前に、心臓が持たない。俺のHP85じゃ、このドキドキには耐えられないかもしれない。
俺は、ブラック企業で上司に詰められている時とは、まったく別の種類の冷や汗をダラダラと流しながら、彼女に引きずられるまま、外の世界へと踏み出した。
◇
向かった先は、昨日俺が雑務を請け負った、あの新宿支部のギルドビルではなかった。
都心の一等地。
周囲の高層ビル群の中でも、ひときわ目立つ、ガラス張りの超高層タワー。
それが、S級ギルド『ソレイユ・フレア』の本部だった。
「……でかすぎだろ」
見上げると、首が痛くなる。
これまでの俺なら、このビルの前を通りかかっても、「自分とは関係のない世界だ」と、目を伏せて通り過ぎていたはずだ。
自動ドアが開くと、そこは、昨日俺がいたギルド支部とは、空気の密度からして違った。
高級ホテルのロビーみたいだ。いや、それ以上か。
床は大理石っぽい何かでピカピカだし、天井は馬鹿みたいに高い。
行き交う探索者たちも、俺が昨日見たDランクくらいの連中とは、装備の輝きからして違う。
いかにも『エリート』『強者』というオーラが、そこら中から漂ってくる。
「ひかり様! お早いお戻りで!」
「昨夜のA級個体出現の件、見事なご対応でした!」
「お怪我はございませんでしたか?」
俺の隣にいるひかりさんを見つけるやいなや、屈強なガードマンや、パリッとしたスーツを着たギルド職員たちが、一斉に駆け寄ってくる。
すげえ。
これがS級探索者の日常か。
「皆さん、おはようございます。私は大丈夫です。それより、こちらの方を」
ひかりさんは、そう言うと、俺の腕を引いて、一歩前に押し出した。
「え、ちょ、俺!?」
やめろ。
やめてくれ。
そんな、エリートたちの視線を、一斉に俺に向けるのはやめてくれ。
「……?」
「……誰だ、あの男は」
職員たちの顔から、さっきまでの歓迎の笑みが、スッと消えた。
代わりに浮かんだのは、あからさまな『困惑』と『不審』だ。
そりゃそうだ。
S級探索者・朝比奈ひかりの隣に、ヨレたシャツの上に安物のプロテクターをつけた、見るからに貧相な男。
目の下には、昨日までの無職生活で培われたクマが、しっかり刻まれている。
「ひかり様、そちらの方は……? 一般の方を、許可なくロビーに入れることは……」
「一般の方ではありません」
ひかりさんは、キッパリと言った。
そして、職員たち全員に聞こえるように、高らかに宣言した。
「この方は、相田ショウさん。私の『契約』パートナーです。昨日、正式に専属契約しました」
……。
……。
シン、と。
あれだけざわついていた、巨大なロビーが、一瞬で静まり返った。
まるで、時間が止まったみたいだ。
数十人の職員、そして、ロビーにいた他の探索者たちの視線が、全部、俺一点に集中する。
痛い。
痛い痛い痛い。
視線が、針みたいに全身に突き刺さる。
「……せんぞく、けいやく?」
「ひかり様が? あの、朝比奈ひかり様が?」
「Fランクの……!?」
誰かが、俺の登録情報にアクセスしたらしい。
Fランクという単語が、さっきまでの沈黙を破る、起爆剤になった。
「嘘だろ」
「なんで、あんなFランクと、ひかり様が……」
「おいおい、寄生か?」
「S級に寄生するヒモかよ。最低だな」
「どんな汚い手を使ったんだ……」
遠くから、コソコソとした、だが、俺にはハッキリと聞こえる悪意の囁き。
それは、あっという間に、ロビー全体の『共通認識』になっていく。
『S級にたかる、ゴミFランク』
『朝比奈ひかりの弱みに付け込んだ、汚い男』
「う……」
胃が、キリキリと痛み出した。
熱い、酸っぱいものが、喉の奥から込み上げてくる。
ダメだ。
わかってたじゃないか。
こうなることくらい、わかってたはずだ。
『使えないゴミ』
『価値のない』
『いるだけで邪魔な存在』
そうだ。俺はゴミだ。
あの会社では、数字すら満たせないゴミ。
昨日のギルドでは、荷物を運ぶことすら満足にできないゴミ。
そして、ここでは――S級探索者様の隣に、不釣り合いに立っている、汚点。
「……あ、あの、ひかりさ……」
俺は、もう限界だった。
逃げ出したかった。
こんな、きらびやかな場所は、俺のいるべき場所じゃない。
俺は、あの薄暗い六畳一間に帰るべきなんだ。
俺が、そう言って、彼女の腕を振り払おうとした、その時。
「皆さん」
凛とした、だが、氷のように冷たい声が、ロビーに響いた。
ひかりさんの声だ。
さっきまでの、太陽みたいな笑顔は、どこにもなかった。
彼女は、俺を侮蔑していた職員たちを、一人一人、ゆっくりと見回す。
その碧眼は、燃えるような、静かな怒りの色をしていた。
「今、私のパートナーに対して、失礼なことを言ったのは、どなたですか?」
ヒッと、誰かが息をのむ音がした。
ロビーの空気が、凍り付く。
さっきまで俺を値踏みしていた職員たちが、一斉に青ざめて、目を伏せた。
「……ひ、ひかり様、い、いえ、我々は、ただ、その……」
「確認しただけ、ですか?」
「は、はい! Fランクの方と伺いましたので、何かの間違いかと……」
一人の、リーダー格らしいスーツの男が、必死に弁明する。
ひかりさんは、その男を、じっと見つめたまま、はっきりと言った。
「彼は、Fランクではありません」
「……え?」
「えっと、確かにお兄さんのランクはFです。ですが、そのことは私にはまったく問題ではありません」
「……と、仰いますと……?」
職員の額から、脂汗がタラリと流れる。
俺も、ゴクリと唾をのんだ。
ひかりさんは、俺の腕を、もう一度、今度は誇示するように強く握りしめた。
「お兄さんは、私のパートナーです。私の魔法を支えてくれる人です」
「……はあ」
「昨日、新宿に出現したA級モンスター。私が一撃で仕留めたと報告が上がっていますよね?」
「は、はい! 確認しております! まさに神業と……!」
「あれを、もし、もう一発撃てと言われたら?」
「え?」
職員は、ポカン、とした顔をした。
「……ひかり様の【シューティング・バスター】は、全魔力を消費する切り札。何もしなければ、連発は不可能です」
「そうですね。今までの私なら、不可能でした」
ひかりさんは、そこで、俺の顔を見て、ニッと笑った。
さっきまでの、怒りの表情じゃない。
イタズラが成功した子供みたいな、自信に満ちた笑顔だ。
「でも、今はお兄さんがいます」
「……それは、どういう意味ですか?」
「この方がいれば、私は、あのA級モンスターを消し去った一撃を、何度でも撃てます」
何度でも。
その言葉の重みが、ようやく、職員たちにも伝わったらしい。
スーツの男の顔が、青から白へと変わっていく。
「な……!? そ、そんな馬鹿な! その男が、どうやってひかり様の魔力を……!?」
「それは、企業秘密です」
ひかりさんは、あっさりと言い放った。
「ですが、事実は事実です。お兄さんは、私にとって、他のどんなS級探索者よりも、ギルドのどんな支援よりも、絶対に必要な人なんです」
――絶対に必要な人。
昨日、公園で聞いた言葉が、今度は、このS級ギルドのど真ん中で、再び、俺の胸に突き刺さった。
「……わかっていただけましたか?」
ひかりさんは、呆然と立ち尽くす職員たちを、もう一度見回した。
「彼は、お荷物でも、ヒモでもありません。たった一人だけの、私の最高のパートナーです」
「……!」
「次に、彼に対して、侮辱的な視線を向けたり、言葉を投げかけたりした場合は……ギルドマスターに、私自身の進退を含めて、正式に抗議します」
進退。
それは、つまり、ギルドを辞める、という意味だ。
S級探索者・朝比奈ひかりが、この『ソレイユ・フレア』から抜ける。
それが、どれほどの損失か。
職員たちの顔が、今度こそ、土気色になった。
「も、申し訳ございませんでした!」
「ひかり様、相田様! 大変、失礼をいたしました!」
「こ、こちらへどうぞ! すぐに、応接室へご案内いたします!」
さっきまでの、冷たい空気は、どこへやら。
職員たちは、一斉に、俺に向かっても深々と頭を下げ、慌てて道を開けた。
手のひらを返す、とは、まさにこのことだ。
ブラック企業で、上司の機嫌一つで態度がコロコロ変わる連中を、嫌というほど見てきた。
だが、これは、その比じゃない。
「……あ、あの、ひかりさん……」
「どうしました、お兄さん?」
俺の隣で、彼女は、また太陽みたいに笑っている。
俺は、その顔を見上げることができなかった。
胃の痛みは、まだ、治まらない。
さっきまでの、『侮蔑』とは違う。
『恐怖』だ。
俺は、とんでもない人間の、とんでもない『虎の威』を借りてしまっている。
『絶対に必要な人』
『最高のパートナー』
ひかりさんが、そう言って、俺を守ってくれている。
その言葉が、嘘ではないことも、わかってる。俺のスキルが、彼女にとってそれだけの価値があるということも。
だが。
俺自身は?
相田ショウ(二十三歳)は、MPゼロの探索者、元社畜のフリーターで、ゴミ屋敷の住人……。
その事実は、何も変わっていない。
彼女の隣に立つには、俺は、あまりにも不釣り合いすぎる。
「お兄さん? 顔色が、真っ青ですよ? もしかして、胃、痛みますか?」
ひかりさんが、心配そうに俺の顔を覗き込む。
「……だ、大丈夫です。ちょっと、寝不足なだけ、ですから……」
俺は、そう言って、乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。
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