戦後の勇者
翌朝、医師にもう大丈夫だろうと診断されると、私はマリアに連れられて彼女の家に帰る事となった。
「さ。行きますよ、リオン君」
そう言うとマリアは私の手を握って、手を繋いだまま行こうとしだした。
「ちょ、な、何を!」
「何って。ちゃんと手を繋いでおかないとリオン君は、またどこかに行っちゃうでしょ」
どれだけ信用が無いんだよ、リオン少年は。
マリアが真顔で言うのを見る限り、どうやら外出時はいつも手を繋いでいるらしい。
下手に怪しまれても面倒だし、仕方がない。
私は大人しく左手を差し出してマリアの手を取る。
そして二人で手を繋いだまま街へ出た。
マリアの手を握るのは、あの最後の夜以来か……。
柔らかくて暖かい、この感触を忘れるはずもない。こんなにも優しい手で、彼女はあのゴツい聖剣を振るい、たった一人で世界を背負っていたのだな。
マズい。心臓がバクバク言って収まらない。きっと今の私の顔は林檎のように真っ赤に違いない。何としてもマリアには悟られないようにしなくては。
ん~。でも、これはこれで良いかも。
それにしても……ここは、あまりに慎ましい暮らしだな。彼女が望んでいたのは、確かに静かで穏やかな生活だった。
服装は質素な庶民のもので、移動も馬車とかじゃなくて歩き。しかもお供の一人すらいない。
だが、魔王を討った救国の英雄が、今もなおこれほど質素な、いや、下手をすれば貧しいとさえ言える生活を送っているとは。人界の王たちは、彼女に何の報奨も与えなかったというのか?
服装は質素な庶民のもので、移動も馬車とかじゃなくて歩き。しかもお供の一人すらいない。
マリアの話によると、ここはピュセルという名の街らしい。
街の周囲はそれほど高くはない城壁に囲まれて、街の様子もそこそこの規模はある。だが、前世で征服した人界の街を基準に考えると、ここは辺境の地方都市といったところだろう。
勇者の隠居所としては何とも貧相なところだ。
魔王軍四天王だって隠居すれば帝都に豪華な邸を構えてるってのに。
しばらく歩いていると、都市の外れにある住宅街の一角でマリアが足を止める。
「さ、着きましたよ、リオン君」
そう言って彼女の前に建つ家は、そこらにある一般庶民の家と何の変哲もない民家だった。
う、嘘だろ。魔王陛下を倒した勇者がこんなショボい家に住んでるのか?
◆◇◆◇◆
私はマリアに導かれるまま彼女の家へと入る。
当然の事だが、マリアの家に行くのはこれが初めて。いや、そもそも女性の家に上がること自体が初めてだ。
ま、マズい。何だか緊張してきたぞ。
「お父様、今帰りました! 見て下さい、リオン君、すっかり元気になりましたよ」
マリアの親父さん。王国軍の軍人、それも指揮官クラスだったか。
戦争中に何度か見た事がある程度だけど。たしか名前はヨーゼフ・エルミタージュ。
と、その時だった。
家の奥の方から、ガッシャーン、という何かが崩れ落ちるような大きな音がした。
そして次の瞬間、奥から四十代半ばくらいの男性が大慌てで現れる。
やや癖のある短めの髪は、マリアと同じ金色に輝いている。
庶民らしい貧相な身なりをしているが、それがかえって彼の鍛え上げられた大柄の肉体を強調して、歴戦の戦士である事を証明しているようだった。
「この馬鹿ガキ!」
そんな男は、私の前に立つと、その大きな拳を私の頭に叩き込んだ。
「いってえ~! な、何をするんだよ!」
「それは俺の台詞だ! 人様にどれだけ迷惑を掛ければ気が済むんだ! そして何より自分の命を粗末にするな! 今回は運が良かったものの、死んでてもおかしくなんだぞ!」
いきなり殴るなんて、と思ったが、この人は本気で俺の事を心配してくれたらしい。
マリアの親父さんなだけあって、やっぱ根は優しい人なんだな。
「まあまあ、お父様。リオン君はまだ病み上がりなんですから、今日のところはそのくらいで」
「うるせえ! だいたいマリアはこいつにいつも甘過ぎなんだよ!」
「リオン君、お腹空いてませんか? そろそろお昼ですし、何か作りますけど食べたいものはありますか?」
マリアはヨーゼフから強引に私を引き離すと、私の頭を撫でながらそう言った。
「って話を聞け!」
ヨーゼフはまだ叫んでいるが、言われてみると私の胃袋は空腹を覚えている。
ここはマリアの言葉に甘えて昼食といこう。
◆◇◆◇◆
マリアはしばらくキッチンに籠もると、すごい手際で三人分の昼食を用意した。
出来上がった料理をリビングのテーブルに並べて、三人で一緒に食事を取る。
どうやらこの家に住んでいるのは私とマリア、そしてヨーゼフの三人だけらしい。
「リオン君、三日ぶりの食事はどうですか?」
「う、うん。とっても美味しいよ」
マリアの手料理か。まさか、こんな形で食べられる日が来るとはな。
それにしても、驚くほど美味しい。戦いの合間の僅かな時間しか知らなかったが、彼女がこうして誰かのために温かい食事を作る、そんな当たり前の日常を夢見ていたことを思い出す。
「ん? リオン、顔が妙に赤いぞ。大丈夫か?」
「え? い、いや、私は、」
「私?」
ヨーゼフが首を傾げた。
どうやらリオンは自身の事を“私”とは言わなかったらしい。じゃあ、何と言っているんだ? 仕方がない。探りを入れてみるか。
「僕……」
「僕?」
「俺……」
ヨーゼフは無言のまま首を縦に振る。どうやら“俺”が正解のようだ。
マリア達に正体を勘ぐられるのは面倒だし、何よりマリアに余計な心配を掛けたくはない。早くこのリオン少年になりきらないとな。
それにしても、このおっさんはどうしてこんな真っ昼間に家にいるんだ? 軍の仕事はどうしたんだ?
まさか魔王軍との戦争が終わって退役でもしたのか?
「ところでお父様、今日はギルドのお仕事はもう良いのですか?」
「ん? あぁ、近頃は魔物の出が芳しくなくてな。ギルドの仕事もからっきしさ」
ギルドって事は、ヨーゼフは軍を退役して冒険者にでもなったのだろうか?
まあ、戦争が終われば兵士なんてのは必要無くなるものだから、ありえない話でもないか。
「まあ、戦争が終わって二年も経てば魔物の数も減るってもんだろ。それだけ世の中が平和になったって事だな」
それは魔王軍が尖兵として利用していた魔界に棲息する獣の総称だ。
人界よりも過酷な環境下で生きていた魔物は、人界の動物に比べると戦闘向きの姿に進化していて、兵器利用するのは当然の発想だった。
元々は戦闘の補助的な役回りが多かった魔物だが、それを魔王軍四天王の一人にして、魔導師団団長のフラウロス公爵が大量生産体制を整備し、魔物の有効的な戦術を確立した事で、魔王軍の主要戦力にまでなった。
どうやら戦後になっても、魔王軍が人界に持ち込んだ魔物は各地で勝手に繁殖して、人界に悪影響を与えているようだ。
たしかにフラウロス公爵が挙げた利用法の一つに、人界の畑や家畜を食い荒らさせて人界軍の補給線にダメージを与えるなんてものがあったしな。
「世の中が平和になっても、うちの家計が火の車なんですよ! 食べ盛りのリオン君だっているんですから、ちゃんと働いて下さい!」
「分かってるよ。明日またギルドに行くよ」
居候という立場のせいか、妙に胸が痛い。
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