春の2日 基礎魔術史
起床の鐘が鳴っている。ガァァン、ガァァン、と胸の底から震える音色が、廊下から響いてくる。
ポポキッカはハッと目を覚ました。
(そうだ、ここはスラーンだ)
昨日の夜は居心地の悪かったベッドも、一晩経てばすっかり体に馴染んでいる。温もりにしがみつきたくなる前に、ポポキッカは思いっきり布団を剥がしてスリッパを履く。アズーラとコアラはまだ寝ていた。
起床の鐘は朝四刻に鳴り、一刻の準備時間の後、一限の授業は昼一刻から始まる。二人を起こさないようにそっと顔を洗って着替え、便箋を持って廊下へ出た。寮はまだ眠りから醒め切っておらず、静寂に満ちている。起床の鐘と共に起きる生徒はあまりいないようだ。螺旋階段を上り、食堂へとやってきたポポキッカは、朝食の匂いに食欲を刺激されてトレーを手に取った。
蜂蜜をたっぷりかけたヨーグルト。
朝一番の食堂には五、六人しかいない。窓の外は未だ闇に溶けており、テーブルの上の蝋燭に火を灯せば、ガラスに反射して二本になった。朝日が昇るまであとどれくらいだろう。黒パンに甘滴果のジャムを塗って齧りながら、ポポキッカは便箋に『大魔術師ルーギュス様』と筆を走らせる。
(花祭りに来てってお願いしよう。昨日のドラゴンのことも伝えておかないと……)
パンを食べ終えヨーグルトの最後のひと匙を口に入れた。牛乳を飲み干してパウンドケーキを手に取る。伝えたいことはたくさんあった。便箋はあっという間に埋まってしまい、裏面にまで文字を詰め込む。たった一日の出来事とは思えないほど目まぐるしい。
「ねえ貴女」
ポポキッカが顔を上げると、見覚えのない女子生徒がいた。ローブの色は白、カエルムの生徒だ。すっかりスラーンに馴染んでいる姿は一年生ではないだろう。ふわふわな、白桃色の髪が肩の辺りで切り揃えられている。白銀の瞳は大きくて、妖精のように可憐なのに表情は険しい。剣呑な雰囲気に萎縮する。
「貴女、ステラ教会のアッシェン枢機卿の娘のポポキッカでしょう。違う?」
「そ、うです、けど……」
カエルムの女子生徒の視線は手紙を検めているようだった。ポポキッカは慌てて便箋を折りたたむ。それを鼻白んだ女子生徒はテーブルに手を突く。
「ドラゴンの固有魔術でクラスメイトを殺したらしいじゃない」
「殺してないです! あれは仮死で、すぐに生き返らせて」
「ぐずぐず言ってないで殺したならそうって言いなさいよ」
ポポキッカは言葉を詰まらせる。女子生徒はそれを肯定と捉えて更に不機嫌になる。
「もっと慎ましやかに過ごしてもらえないかしら。貴女の勝手な振る舞いで、信用や経歴に傷がつく人がいるの」
「──……ごめんなさい」
身に覚えがあり過ぎる。唐突に怒られているのに申し訳なさが上回って、ポポキッカは誰だかも分からない女子生徒に頭を下げて
「おいイシュカ、何を……あー! 昨日あんだけ言い聞かせたろーが」
ポポキッカはそっと頭を上げる。浅黒い肌に黒髪を束ねた男子生徒が、二人分のトレーを持って早歩きでやってくる。イシュカと呼ばれた女子生徒は決まりの悪そうな顔で腕を組んだ。
「……煩いわね、一言でも言ってやらなきゃ気が済まないのよ」
「すまんな、怖かったろ。俺はローワン・エンドワイズ・ノア。カエルム三年でこの──イシュカとは幼馴染なんだ。こいつはイシュカ・モンドリアン・フィオナ。同じカエルム三年で、君の兄のファンでさ」
「そんな軽い言葉で片付けないでくれる? 私はアッシェン……ヴェルキスさんを尊敬してるの」
義兄を名前で呼び直したイシュカは、赤面を誤魔化すように早口で言う。
「努力ではどうにもならない才能を求められる中で、真っ直ぐ生きる芯の強さは真似できるものじゃないんだから」
ポポキッカは思わず頬を緩ませる。家族を褒められたら嬉しいに決まっている。イシュカはポポキッカを忌々しげに睨んで「それなのに」と吐き捨てた。
「ヴェルキスさんがドラゴン女の荷まで背負うっていうの? 冗談じゃないわ」
「口が悪いぞイシュカ。ほら折角のメシが冷める。もう行くぞ」
ローワンは目を眇めて謝る素振りをする。とんでもない、と顔と手を振るポポキッカを見て、イシュカはぷいっとそっぽを向いた。
イシュカがローワンに連れて行かれると、ポポキッカは折りたたんでいた便箋を伸ばして続きを書き終えた。父と義兄にはとても伝えられる内容ではないので、今回の手紙は大魔術師ルーギュス宛だけだ。それに二人なら花祭りに来てくれないかと打診をするまでもない。さあ魔術で送ってしまおう、と最後の段階で、肝心の魔術が使えないのだと思い出す。
昼一刻。イグニス一年生の一限は基礎魔術史だ。ポポキッカはライガーに手紙を渡した足で教室へ向かった。イグニスの生徒は基本的にはイグニス階で授業を受けるため、他クラスの生徒とは食堂や寮以外で会うことはあまりない。
ポポキッカは教室の最前列の席を確保し、クラスメイトが続々と集まるのを眺めていた。ルームメイトとは仲良くなれたものの、クラス内に友達はまだいない。肝心の第一印象はドラゴンの毒炎で失敗した。一人で座っているとやがて、ガァァン、ガァァン、と鐘の音が鳴る。
(誰も隣に座らない──)
ポポキッカは額を机に押し付けて不貞腐れる。待つのではなく話しかけに行けばよかった。昨日と同じ後悔をしていると、見兼ねたアルヴァスが席を移動して隣に座る。
「最前列でそのデカい帽子。邪魔だから脱げや」
「なんてやさしい……」
「後ろの席だと見えねんだよ」
ポポキッカは素直に帽子を膝の上に置く。帽子に隠れていた左耳の耳環が露わになり、アルヴァスが憐憫の眼差しを向けた。
教室に入ってきたのはエイデン──一年アクワの担任だ。入学式で見かけたエイデンは、既に生徒たちに人気があって、
「イグニスのみんなおはよう! 俺はアクワ一年の担任で、基礎魔術史担当のエイデンだ。昨日はよく眠れたか?」
アルヴァスは王族だから一人部屋だ。隣で余裕な顔をしているが、後ろを振り返れば、眠たそうに目を擦るクラスメイトが何人かいる。エイデンは腕を組み、そうだよなあと頷く。
「初めての寮生活に戸惑う子もいるよな、うん。俺もスラーンに入学した時は興奮して眠れなかったのを覚えてるよ。それで次の日の初授業で居眠りして怒られて……みんなは寝るなよ! さ、記念すべき初授業だ。準備はいいかい?」
ポポキッカは背筋を伸ばす。エイデンはグリモワを開き、黒い壁にヴィムで白い文字を書く。
「この世界では魔力を持たない生物はいない。人間も動物も、鳥も魚も昆虫も、遍く全ての生物が魔力を有している。だが、全ての種が一律に同量の魔力を持つわけじゃない。生物の中でも、特に魔物と呼ばれる魔力量の多い種は、何を以てして魔物と呼ばれるか、その定義は? えーと、じゃあパスバール」
指名されたのは黒髪に赤い目をした女子生徒だ。肩を少し過ぎた辺りで切り揃えられた髪は外側へカールし、すっきりと両耳にかけている。自己紹介の時に騎士と共に育ったと言っていた彼女は、元気に返事をすると立ち上がった。
「固有魔術の有無です」
「正解。固有魔術を持つ生物を魔物と呼ぶ。その種ごとに固有魔術が異なるのは、そのどれもが種の存続に必要不可欠な魔術だからだ。例えば──君たちの契約している魔物の名前を言ってごらん?」
「クロコディオ!」
キットがすかさず手を挙げる。ふむ、とエイデンはクロコディオの動く絵を描く。
「クロコディオは元々南の河川に棲息していたんだ。だが、山から流れる綺麗な水は人々の生活排水や畜産排水によって汚染されてしまった」
クロコディオは汚れた川に困った顔をする。
「汚染された川ではクロコディオの主食となる淡水魚が生きられない。クロコディオは生きていくために『何でも食べられるものに変える』固有魔術を顕現させた、と言われている」
クロコディオは汚染された川に流れてくるゴミを、自身の固有魔術によって食料に変える。ぱくりとゴミを一口で飲み込み、瞳がにっこりと弧を描く。
エイデンはクロコディオの絵を消すと向き直った。
「息を吸ったり瞬きをしたり、飯を食べたり眠ったり。そういう誰に教わるでもない、生まれつき備わった生物としての習性と同列のもの、それが固有魔術だ。そして人間は魔物と契約することにより、その魔物由来の固有魔術を扱えるようになる」
エイデンがヴィムを掲げて呪文を唱えると、ポポキッカたちの持っているグリモワがあるページを開く。
「魔物との契約方法はグリモワの三ページ目に載ってる。みんなも一度はやったことがあるだろうけど、この手順は基本中の基本だから、忘れることのないように!」
ポポキッカはグリモワの該当部分を指でなぞる。
──魔物と目を合わせ、その名を呼び、契約の魔術を唱える。契約が成功すると、魔物は契約主に首を垂れる──
「魔物との契約は魔物学の時に詳しくやるから今は飛ばすぞ。次に、人間が扱う魔術についてだ。君たちが自由に使っている魔術は、固有魔術じゃないよな。四要素を素にした魔術だ。それぞれイグニス、アクワ、テラ、ヴェントス。そして全要素を持つのがカエルム。クラス名にもなってるな。この部分に関してはグリモワ五ページ」
グリモワが勝手にぺらりとめくれる。そこには要素と精霊名、象徴色などがずらりと一覧で書かれていた。
カエルム──空要素。象徴色『白色』。星霊名ルクサヴィス。
イグニス──火要素。象徴色『赤色』。精霊名サラマンダー。
アクワ──水要素。象徴色『緑色』。精霊名ウンディーネ。
テラ──地要素。象徴色『黄色』。精霊名ノーム。
ヴェントス──風要素。象徴色『青色』。精霊名シルフ。
「カエルムの要素は空って書いてあるけど、四要素を全て併せ持つ全要素を空という。だから実際には五つの自然霊に対して要素は四つな。それから口に出して言うと発音は同じだけど、ルクサヴィスだけ精霊じゃなくて星霊になってるだろ、これは自然霊の中でも位があって、ルクサヴィスは最高位の自然霊だから星霊と呼ぶんだ」
エイデンは最前列の生徒のグリモワを覗き込みながら補足する。
「君たちは叙任式の時にサラマンダーの加護を得てイグニスの生徒になった。加護を得なくても魔術の使用は可能だが、加護を得ると『サラマンダーに愛された魔術』を行使できるようになる。さあ、次の問題。加護とは何か──加護を得る事で扱えるようになる魔術は何があるか? 分かる人は?」
リリアンとアルヴァスが手を挙げている。
「ダラール」
「はい。ありません」
「正解。実は、加護を得ていなければ扱えない魔術というものはないんだ。では何が違うのか、カルルナー?」
「えーと、上手くできなかった炎のコントロールがやり易くなったり、前まで契約できなかった魔物との契約に成功したり、とか」
「そう! 加護の影響は、実力に上乗せされる技術と箔なんだ。君たちがスラーンの卒業試験で魔術師という資格を取るのと似てるかな。実際には加護による技術の向上は、加護を得るためにしてきた君たち自身の努力の結果でしかない。だけど箔というのは結構な効果があってね。魔物との契約で大いに役立つから、君たちはルクサヴィスの加護を得ることを目標にするといい」
貴族然としたサーロが手を挙げる。
「加護を得るための試験はいつあるんですか」
「進級前の冬に一度。試験資格を与えるかは担任に一任されてて、適正ありとされた生徒には個別に……大体五日以内に試験をするかな。最速だと次の冬に三要素の加護を得て、二年次にカエルムクラスに移動することも可能だよ。前例はまだないけど」
サーロが首肯すると、エイデンはグリモワに目を落とす。
「次のページ。人間の固有魔術についてだな。アルカナムの星女や
エイデンが空中に絵を描く。
「とある夫婦に赤ん坊が生まれる。最初はもの凄い魔力量ってだけの普通の赤ん坊だ。ある日、夫婦が少し目を離した隙に、めちゃくちゃでかい大鳥が赤ん坊を攫ってしまう」
無茶苦茶だー、と声を上げるキットにつられて教室全体にくすくすと笑いが広がる。エイデンは「例えばだから!」と可笑しそうに言った。
「でかい鳥は赤ん坊を断崖絶壁にある巣に持ち帰る。そこで赤ん坊を食べようとするんだ。その瞬間、覚醒するんだよ。鳥に食べられないための固有魔術をね」
生存本能を刺激する危機を赤子が感じれば。
「周りは断崖絶壁、助けを求められる人もいない。目の前には大鳥、奇跡を待つ時間はない。変われるのは自分だけ──さあ、どんな固有魔術が顕現するだろう?」
逃げるための空を飛ぶ固有魔術、大鳥を退治するための特殊な攻撃の魔術。教室内には様々な意見が溢れた。エイデンはたくさんの可能性がある、と言い置きして次の話に移る。
「さらに、二次顕現の固有魔術、その中でも特にレアケースがある。産まれた直後の赤子は自他の境界が曖昧なんだ。そんな時に周囲にいる人間に危機が迫っていて、その人間が赤子を抱きしめるとする。手の震え、発汗、恐怖に歪む顔、叫び声や涙なんかもあるかもしれない。それらを感じ取った赤子は、自分に迫った危機だと思い込んでしまう。本能が勘違いを起こして二次顕現の固有魔術を発現させるんだ」
エイデンが壁に文字を書く。
「二次顕現の固有魔術が発現する鍵──それは命の危機だ。約五十年前、この特性を利用してある事件が多発した。魔力量が多い赤子の
どうしてそこまで、と暗澹たる声が後ろの席から聞こえる。
「二次顕現の固有魔術を有する人間は貴重なんだ。ライラン皇国が分裂した時代には、二次顕現の固有魔術を持つ人間が新しい国の長──新王様に選出された。今でも固有魔術を持っている人間は、王族に迎えられたり、結婚相手に選ばれたりしている。でもこれは裏を返せば、二次顕現の固有魔術を発現させれば王族の一員になれるってことなんだよ」
貧しい家に生まれた赤子が強い魔力を持っていたら。自分の子供が立派な城に住めるかもと知ってしまったら。期待と夢は膨らんで、愛をねじ曲げ、非情な決断に力を与えてしまう。
「今は、魔力量の強い赤子は出生と同時に監視の対象となって安全が確保される。君たちの中にも体験したことある子がいるかもな。二次顕現の固有魔術を有する人たちも無理やり政治の駒にはされない。そして現在、生きている人間の中で二次顕現の固有魔術を発現させているのは何人いると思う? また、誰か知ってる人?」
ポポキッカは堪らず手を挙げた。エイデンも承知で、悪戯な笑みを浮かべて頷いて見せる。
「はい、九人です。私の師匠──大魔術師ルーギュスは二次顕現の固有魔術を持っています」
「うんうん、すごいよなー。稀代の天才に師事してるなんて羨ましいよ」
大魔術師ルーギュスが天才であることは周知の事実だが、目の前で褒められると自分のことのように嬉しかった。ポポキッカが帽子のつばを握りしめると、それを見ていたアルヴァスはつまらなさそうに頬杖をつく。
教室の後ろの方で「先生、」と声が上がる。キットの隣に座っていたロピアが、教室中の視線が集まったことにさっと頬を染めながら言った。
「あ、あの……命の危険がなくなったなら、今は固有魔術を開花させた人はいないはずでは?」
「お、いい質問だな」
ヴィムを向けられたロピアは嬉しそうにはにかむ。
「出生時に魔力量が一定の基準を満たした赤子は、国の研究機関であらゆる手段を試すことができるんだ。もちろん親には拒否権もあるけど、ドラゴンと契約してる──万能薬持ちの魔術師が立ち会うから万が一はない」
エイデンは言葉を切ると、ポポキッカと目を合わせた。
「このクラスにはドラゴンと契約してる子がいるんだってな」
そこまで言ってエイデンは堪えきれずにフッと笑う。服の裾で口元を隠すが、声が漏れている。
「フフ……あー、ごめん。あのライガーのクラスで初日から騒動が起きたと思うと可笑しくって……アハハ」
笑いを隠すのを早々に諦め、腹を抱えるエイデン。被害者のキットが「そんな面白いすか」と間延びした声で言う。
「いやー、ライガーとは同期なんだよね。前職も一緒でさ。んで、クラス受け持った初日に騒動が起きたって、昨日すげーキレてて」
アルヴァスが興味深げに尋ねる。
「前職って何だったんすか? 王宮魔術師?」
スラーンの教師は皆、ルクサヴィスからの加護を得ているのだと大魔術師ルーギュスが言っていた。エイデンも全要素を自在に操るカエルムの卒業生ならば、在学時には王宮魔術師を目指していてもおかしくない。
けれどエイデンは首を振った。
「南の、光を超える可能性〈タキオン〉帝国の魔術師団前哨隊にいたんだ。タキオンは領土が広い分、魔物の無法地帯になってる場所もあってな。魔物の被害が出ないように討伐する組織があるんだ。危険だけど給料がいいもんだからさ」
生徒の前でも一切包み隠さない。エイデンは「卒業と同時に就職して六年間、随分稼いだよ」と胸を張る。その頬に、左目の下に、皮膚の引きつれた傷跡があるのが分かる。
(タキオンの魔物の無法地帯……確か、三年前に魔術師団前哨隊を助けてくれって……)
ポポキッカは口を引き結ぶ。大魔術師ルーギュスの元に、万能薬を求める嘆願書が届いたのだ。
(あの場所にいたんだ)
何も知らないキットが「そんな稼げるのに、」と勿体なさそうに言う。
「何で辞めたんすか?」
ポポキッカと同じく、三年前の事件を知っているクラスメイトは何人かいた。エイデンは青ざめた顔を宥めようとを片手を挙げる。
「三年前、ゾー・ティック・バンの夜襲事件が起きてね。凶悪な魔物と契約していたゾーが前哨隊を襲ったんだ。前哨隊はほぼ壊滅、俺とライガーは運良く生き残ったけど、あの時に受けた傷は消えない」
エイデンが自身の目の下にある傷跡をなぞる。
「この傷のおかげで右目の視力が弱くなって、前線には立てなくなったんだ。ライガーも化粧で隠してるけど、同じところに傷がある」
ざわざわと恐怖が伝播する。ヤグニという小柄で気弱そうな女子生徒は今にも失神しそうだった。
「何せ相手が魔物だから、当時の前哨隊は索敵がメインだったんだ。攻撃力の高い契約魔を引き連れた人間の悪意をまんまと受けてしまった」
エイデンはヴィムを持つ腕を下げる。
「アッシェンはしこたまライガーに怒られただろうけど、ドラゴンの固有魔術はたくさんの命を救えるんだ。いざという時は毒炎でも迷わず使えよ」
ポポキッカは圧倒されて顎を引いた。エイデンの話は生々しく、過酷な魔術師の体験だ。
「ゾー・ティック・バンの夜襲は歴史に残る事件になった。魔術師になれば、俺みたいな職種を選ばなくても、危険を請け負うこともある。魔術師ってのは一般の人たちより強いから、みんなを護る盾にならなきゃいけない事件に直面することがあるかもしれない。でも心配しないで、君たちはこの四年間で、危機に対応する術を学ぶんだ」
授業が終わる鐘が鳴り、あんまり進まなかったな、とエイデンは肩を竦める。深刻な顔をした魔術師の卵たちに、朗らかに笑んで見せると「がんばれよ〜」と力の抜ける応援をして教室を出た。
ポポキッカは次の授業、とはたと思い留まる。
(二限って確か……実践基礎魔術学)
実際に四要素の魔術を扱う授業だ。ヴィムを取り上げられ、魔術禁止の罰を受けているポポキッカは、ただ指を咥えてクラスメイトを眺めていなければならないのだろうか。
考えていると、教室にやってきたライガーがポポキッカを呼ぶ。
「アッシェン来い。罰掃除の時間だ」
「えぇ……」
(一番楽しみにしてた授業だったのに……)
ポポキッカは肩を落とす。アルヴァスが「おつかれ」と意地悪く小突いた。
ライガーに連れて行かれたのは地下の備品室。廊下から既に埃っぽく、部屋の中はカビ臭い。
「春の間、実践基礎魔術学の授業中は掃除だ。掃除道具は後ろのロッカーに入ってる。なければどっかから調達してこい。終わったら別の部屋があるからサボんなよ」
「はい……」
ライガーの右目の下には確かに傷跡があった。エイデンと同じような傷だ。ライガーの目元の赤い化粧が上手く傷跡を目立たなくさせているが、近くで見るとよく分かる。ライガーは視線に気付くとあからさまに嫌な顔をして備品室を出て行った。
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