春の1日 ルームメイト


 星の学び舎〈ステラ・スコラ〉の食堂は、本棟である星の塔〈ステラ・トゥーリス〉の最上階である十二階にある。ドーム型の最上階は壁から天井にかけて一面ガラス張りになっており、高さに目が眩む者は壁際に近付けずに及び腰で中央の席に集まっていた。

 まるで天空のレストランだった。

 昼食では太陽の眩しさに目を眇め、夕食では星空と魔力の粒が食事を照らした。きっと朝食では澄んだ青空を見上げ、雨の日にはガラスに当たる雨粒の合唱を聞くのだろう。


 ポポキッカは高いところも、空を見上げるのも、食べることも大好きだった。ありがたいことに食堂は、起床の鐘が鳴る朝四刻から夜二刻の消灯まで、好きな時に好きなだけ食べられる。食堂の中央にあるキッチンは楕円形に囲われており、いつでも出来立ての料理がカウンターに並んでいた。生徒も教師も列を成して好きな料理を取り、好きな席で食べる。

 ポポキッカがこの食堂で食べるのは二度目だったが、既に好きな料理を見つけていた。白いプリンだ。滑らかだけれど濃く、味わう間もなく口の中でとろける感覚。


 ポポキッカは窓際の席で、今し方空にしたプリンの容器を遠くへ追いやる。昼間はあんなに美味しいと打ち震えていたというのに、今は味に舌鼓を打つ余裕もなく、追加でプリンを取りに行く時間もなかった。

 反省文である。

 食堂のテーブルに広げた紙の束は、まだ半分ほどしか埋まっておらず、もう半分の白紙がポポキッカの頭を悩ませていた。

(反省は十分してるのに、文字が足らない……これ以上何を書けばいいんだろう)

 止まった手は空中を彷徨い星を描く。


 あの授業の後は校舎案内だった。星の塔〈ステラ・トゥーリス〉の外にもスラーンの敷地は広がっている。東に歩いて五分ほどのところに、本棟の三分の一ほどの大きさの別棟がある。そこから北には森が広がり、東の森には研究塔が、西の森には大きな泉が水を湛えている。東と西の森の中間には訓練用の無人町〈ディスペリウム〉があり、入り口に立ち寄っただけでも授業が待ち遠しくなった。

 星の塔〈ステラ・トゥーリス〉の八階は一年生の寮で、ポポキッカの部屋は120号室だった。三人部屋の部屋は冷たくて古い木の匂いがした。他クラスの子が同室らしい。寮の鍵は使い込まれて金色に光っていた。


 説明の道中、ポポキッカは忸怩じくじたる思いでキットに謝罪をした。キットは仮死していたこともあって、星二つの元に戻す魔術に感心していた。自身がドラゴンの固有魔術に仮死させられ、また万能薬で息を吹き返したことなど、すっぽりと頭から抜けているらしかった。ドラゴンの顛末を話して聞かせてもいまいちピンときておらず、自分も言い過ぎたと謝ってくれた。

 ポポキッカはテーブルに額をくっつけて、食堂から部屋へ戻っていく生徒たちを眺める。

(やっぱりプリン、もう一回取りに行こうかな……)

 消灯まであと一刻。今日中には書き上げて提出したかった。


「その様子だと、噂は本当みたいだね」

 頭上に降った声。ポポキッカが振り返るより先に、隣に座ったスカイラは、頬杖をついて白紙の反省文に目を落とした。

「同じクラスなら守れたのに。イグニスで何があったの?」

「……契約魔一覧を嘘だって、家族も師匠も馬鹿にするから…………ドラゴンの毒炎で仮死させた」

「…………気持ちは……分か、るけど」

「無理しなくていいよ」

 ポポキッカは唇を尖らせた。姉弟子の面目が丸潰れだ。スカイラは慌てて手を振る。

「確かに、師匠の実験には万能薬が必須だったよな。ポポキッカもそれで少し間違えただけだろう? みんな分かってくれるよ」


「……私が悪いの、どんな理由があっても、合意もなしに仮死させるなんて……もう二度としないし、反省文だって半分は書いたもん」

「うん、頑張れ。そうだ何か食べたいものはある? 持ってくるよ」

「白いプリンと紅茶をお願い。蜂蜜は入れないでね」

「甘い紅茶は苦手なんだろう? 覚えているよ」

 スカイラは得意気に言ってカウンターに向かう。その姿を見送りながら、ポポキッカは耳をそばだてて周囲の声を聞いた。話が広まっているのか、食堂に来た時よりもイグニスのドラゴンと囁く声が目立つ。スカイラの強烈な光をも打ち消すほどの毒炎。


(入学初日にこんなに目立っちゃうなんて)

 ポポキッカは大袈裟にため息を吐く。音を遮断したくて耳をぐりぐりと押した。

 スカイラはトレーに自身の夕飯と白いプリンを乗せて戻ってきた。ポポキッカはお礼を言ってから、紅茶を一気に飲み干す。

「はーあああ。友達できなかったらどうしよう」

 アルヴァスはなんだかんだいい人そうだったが、友達……と言ったら嫌な顔をされそうだ。それに彼も王子だから、結局は四年間の期限付きの友人。卒業後は会うことができなくなる。ポポキッカは気軽にお茶を飲める、一生涯の友人が欲しかった。


(隣で紅茶を飲むスカイラが、王子じゃなければよかったのに)

 ぼんやりと考えて、ああ駄目だと頭を振る。スカイラの努力を否定するような感情は持ちたくない。ポポキッカは反省文に向き直り『ドラゴンの毒炎はもう二度と使いません‪‪──‬』と、何度目か分からない文言を書き綴った。

 スカイラが隣で夕食を食べている間、ポポキッカはプリンを食べながら文字を走らせ、白紙の数を数える。スカイラは夕食を食べ終えた後も、隣で反省文を読んでいる。そうして夜一刻半を過ぎた。


「お、終わったー! 間に合った……!」

 ポポキッカは反省文の束を抱きしめる。

「お疲れさま。ポポキッカの寮の部屋は120号室だよな」

「なんで知ってるの……?」

「先生に聞いたんだ。僕の部屋は121号室だから、北階段を挟んで隣同士なんだよ」

 スカイラはなんでもない風に言う。

 寮は学年ごとに階が違っていて、それぞれ四十室ある。男子寮と女子寮は明確に区分されておらず、北階段と南階段を境界線としているだけだ。初めて聞いた時は顔を顰めたが、実際に寮に行くとすんなり理解した。外側の部屋を生徒が、内側には教師の部屋が割り当てられていた。ポポキッカの部屋の正面はリルベリーという先生だった。そして北階段を挟んで隣がライガーの部屋、その正面がスカイラの部屋だという。


 ポポキッカとスカイラは食堂を出て螺旋階段を下る。階段の幅は広く、赤い絨毯が敷いてある。つややかな木の手すりはポポキッカの肩まで伸びている。食堂の下は四年生の寮だ。階段の内側の壁には『就職斡旋の案内』や『卒業試験に向けての模擬演習の予定日』などが貼られ、一つ下って三年生の階には『夏期休暇中の契約魔探しの遠征申請期限のお知らせ』、二年生は『放課後の部活動推奨ポスター』。一年生の寮まで戻ると『塔内新聞』や『課題提出場所の一覧』、迷子にならないための『現在地を示す地図』などが無造作に貼り付けられている。その中に新しい告知が混じっているのを見つけて立ち止まった。



『星の学び舎〈ステラ・スコラ〉の花祭り』


 来たる春の30日、毎年恒例スラーンの花祭りが開催される。花売りの行商が星の学び舎〈ステラ・スコラ〉に集い、世界各地の花が一堂に会する。今年はステラ教会のアルカナムの星女御一行も訪れる‪──‬。



「花祭り?」

 後ろからポスターを覗いていたスカイラは、言ってすぐ「あぁ、」と思い出す。

「父上もいらっしゃるって言っていたな」

「王様がくるの?」

「花祭りは参観の意味も兼ねているらしいよ。毎年賑わっているんだって」

「参観……? ヴェル兄さま教えてくれなかった」

 義兄のヴェルキスも昨年までスラーンで過ごしていた。花祭りにポポキッカも参加できると知っていたら、迷わず来たというのに。

 不満げなポポキッカの顔を見てスカイラが「だからじゃないかな」と推測する。

「ほら、師匠の固有魔術〈不可侵〉で守られている範囲から出ることになるしさ」


「そんなの師匠もくれば……」

 言いかけて、さすがにそれはないとポポキッカは押し黙る。義兄は大魔術師ルーギュスをライバル視している節がある。スラーンで会うのを良しとはしないだろう。大魔術師と魔術師の卵では比べようもない。

 螺旋階段から一年寮の廊下へ出る。北階段のすぐ隣がスカイラの部屋で、一人部屋らしい。いいことを聞いた。

 スカイラは向かいの部屋から、おやすみと手を振って扉を閉めた。ポポキッカはライガーの部屋の前で、金文字のプレートを見つめる。段々と眉間に皺が寄っていくのに気付き、深く考える前に扉をノックした。

(追加の罰が酷いものじゃありませんように‪──‬)


 しばらくして扉が開く。毛皮のコートを脱いでいたライガーは、ペイズリー柄のシャツを腕まくりしていた。部屋の中の暖かい空気が肌を撫でる。甘い麝香の空気だ。

「あの、先生、反省文……書き終わりました」

「…………提出物を部屋まで持ってくる奴があるか。課題提出場所は壁に書いてあっただろ」

「あ……そういえばさっき見た……ごめんなさい」

「ちょっと待ってろ」

 ライガーは一度部屋に引っ込む。閉められた扉の前で、ポポキッカはライガー宛ての課題の提出先を思い出していた。


(確か……イグニス階の教員室だったっけ)

 イグニス階は一年寮の二階下の六階だ。ほどなくしてライガーが毛皮のコートを着て出てくる。「着いてこい」と言って螺旋階段を下った。

 消灯間際のイグニス階はひっそりとしていて、廊下を歩く二人分の足音だけが響く。ライガーは誰もいない教員室へポポキッカを招いた。教員室は壁が赤紫色で、四隅には木彫りのサラマンダーの彫刻が飾られている。ライガーが魔術で暖炉に火を灯す。暖炉の中で薪が赤く色づき、パチパチと爆ぜる。

 ポポキッカは暖炉前のソファで居竦まった。ライガーは自身の机に反省文を置き、引き出しの中から何かを取り出してポポキッカの前に座る。


「追加の罰だ。お前、耳飾りは……それなら平気か。右と左どっちがいい」

「……左?」

「耳出せ」

 ライガーが手にしていたのはブローチのような楕円形の耳環だった。キラキラと蠱惑的な緑色の石が目を惹く。ポポキッカは帽子を膝の上に乗せ、髪を耳にかけた。

「それなんですか?」

「魔力制御の魔術が付与された耳飾りだ。これを一年間つけたままでいろ。意味は分かるな」

 ライガーの黒い爪がポポキッカから離れる。耳環の重みで耳朶が引っ張られるのを感じながら、ポポキッカは耳環に軽く触れた。


「授業……あ、実技テストとかのペナルティですか?」

「それもあるが。今年は特に重要な年だろ」

「……アルカナムの星女候補選定、ですか」

 きっとスラーンの女子生徒は、我こそがと躍起になっているのだろう。実際に選ばれるのはルクサヴィスからの加護を賜ったカエルムの女子生徒に限られるが、冬までに実力を示せれば、まだチャンスはあるとも言える。つまり魔力制御の耳環はアルカナムの星女候補に選ばれたい者にとっては枷にしかならないのだ。

「花祭りで星女御一行がスラーンに来るが、アッシェンは既にドラゴンの噂が立ってるからな。イグニスとはいえ注目されんだろ。そん時に目立とうとすんじゃねぇぞ」

「しません、そんなこと……」

 ポポキッカは語尾を萎ませる。


 ライガーはポポキッカがアルカナムの星女に選ばれたくて、だからドラゴンの固有魔術を披露したと思っているのかもしれない。

「……あの、ステラ教会の人たちにドラゴンの……私がドラゴンを契約魔にしてるって知られたら、私はどうなりますか? 王様も来るみたいなんです」

 立ち上がりかけたライガーは、ポポキッカに言葉の意味を促して、足を組んで座り直す。爆ぜる暖炉の炎の明暗が、ライガーの顔を濃く照らしている。


「私、アルカナムの星女になりたくないです。冬の選定の候補に選ばれたくない。でも選ばれたら拒否はできない……」

「過去、一度だってイグニスの生徒から候補に選ばれた奴はいねぇよ。アルカナムの星女はステラ教会の象徴‪──‬ルクサヴィスの加護を得ていることが前提条件だからな」

「でもこの一年の間にルクサヴィスからの加護を得る条件を……達成、できるとされたら」

「‪──‬お前……」

 ライガーは胡乱な目つきでポポキッカを見定めようとする。

(それもそうだ)


 ドラゴンを契約魔にしているのが、ただのイグニス一年生なんて。調理用のハーブ畑に万能薬が混じっているのと同じくらい不自然だ。

 ポポキッカは帽子を深く被り直す。大魔術師ルーギュスの、つばの大きな黒い帽子は、体全部を覆い隠してくれるみたいで安心する。ライガーは細く息を吐いた。

「選ばれたくねぇなら大人しくしてるっきゃないだろ、もう手遅れだろうけどな。だがアルカナムの星女に選ばれるには魔力量だけじゃない、人となりも重要だ。毒炎を吹きかける奴は逆立ちしても選ばれねぇよ」


「ドラゴンの噂って、私が毒炎で……ってちゃんと伝わってますか? 万能薬だけだと星女っぽくてダメですよね」

「お前なあ……」

 ライガーは毒気の抜けた顔で、どこからか煙草を出して咥える。

「幸いなことに、毒炎の方で噂が立ってんぞ。星女には真似できない蛮行だ」

 ポポキッカは胸を撫で下ろす。煙草から立ち上る桃色の煙からは甘い匂いがした。


 消灯の鐘が扉越しに聞こえてくる。ライガーはさっさと立ち上がると、寮の部屋に戻るよう促した。

「明日以降、消灯の鐘が鳴り終わった時点で部屋から出歩いてんのを見つけたら反省文だからな」

 ライガーに部屋の前まで送られる。ポポキッカは追加の罰が耳環ひとつだったことに安堵しながらも、ルームメイトの存在を思い出して鍵を持つ手を握りしめた。

(噂、知ってるよね……)

 120と鈍く光るルームプレートの金文字を眺める。けれどライガーが早く部屋に入れと目を光らせているのを背中越しに感じ、躊躇う間もなく扉を開けた。


 昼間、無人の時に感じた古い木の匂いはもうしない。恐らくルームフレグランスやボディオイルの類だろう。大魔術師ルーギュスはもちろん、スカイラとも違う甘い花の香り。どきまぎしながら部屋の奥を覗くと、ベッドに座る二人のルームメイトと目が合った。

「きた、ポポキッカ・アッシェン・ピア!」

 そう言ってポポキッカを指差したのは、灰色の髪を無造作に後ろで一つに結び、白いヘアバンドで前髪を持ち上げている女子生徒だった。真ん中のベッドで胡坐を掻いて座り、春の新芽みたいに瑞々しい緑色の瞳を好奇心に染めている。


 噂が先に届いていたのだろう。イグニスのドラゴンと非難された気がして、ポポキッカは思わず俯いた。

「あ、ごめんごめん。気ぃ悪くした? ものすごい噂を聞いてたから、まさか同室とは思わなくてさ。あたしヴェントスのコアラ・ランシャード・パトレア」

 コアラは灰色のパーカーを腕まくりして膝立ちになる。色素の薄い肌に映える、黒い耳環が目を惹く。

 ポポキッカは会話を拒否されなかったことにひとまず安堵して、空いていた右端のベッドに座る。


 大きなバッグから荷物を出して並べているのは、目鼻立ちがはっきりしたスレンダーな美人だ。つややかな黒髪は腰に届くまで長く、片側に流しており、肩口の広いシャツから覗いた鎖骨を隠している。陽射しを反射しそうな小麦色の肌は、南の国の特徴だ。金色の瞳はちらりとポポキッカを掠めて荷物の吟味に戻った。

「私はアズーラ・カシュピナルアン・メイリー。テラ」

「ランシャードさんと、カシュピ……アル、ナン……」

「カシュピナルアン。アズーラでいいわ」

「あたしもコアラでいいよ」

 好意的な二人に安堵して肩の力を抜く。


「コアラとアズーラ……よろしくね」

 初めての女の子の友達だ。スラーンに入学したら寮生活になる、それも同年代の女の子と部屋を共有する。そう知ってからは、ベッドに入って眠る間、瞼の裏に幾度となく出会いの場面を思い描いていた。ポポキッカは両手を差し出して握手を求める。コアラとアズーラは顔を見合わせてから、心からの笑みを浮かべて、緊張して汗ばむ手を握り返してくれた。

 コアラがそうっと尋ねる。

「噂のこと、聞いてもいい?」


「うん……ねえ、私ってなんて言われてるの?」

 コアラが「嘘だろうけど」と前置きしてから言う。

「教室を全壊させて生徒を虐殺したドラゴン女って聞いたよ」

 なんでもない声のトーンは、噂が尾ひれを持っていると確信しているようで、アズーラも黙ってポポキッカの様子を伺っている。ポポキッカは頭から布団に突っ伏した。

(アルカナムの星女に届く噂としては合格だけど……これじゃ友達ができないじゃない)

「やっぱり嘘なんだ」


 コアラの声に顔を上げ、ポポキッカはもごもごと事実を一から説明した。アズーラは真ん中のベッドに膝立ちで移動して話に聞き入る。コアラはその黒髪を羨ましそうに指で漉きながら鼻を鳴らした。

「そうじゃないかと思ってたんだ。本当だとしたら無罪放免なんてあり得ないじゃん? 噂通りのヤバい奴じゃなくてよかった」

「師匠の家との勝手が違って間違えただけで……もう二度としない。だから友達になってくれると嬉しい、です」

 コアラとアズーラは顔を見合わせ、プ、と小さく吹き出した。アズーラは肩の力を抜いて「こちらこそよろしく」と笑む。コアラは「ルームメイトになるんだし」と自己紹介をしようと提案した。


「あたしはアルスマグナの王都で生まれ育ったんだ。両親は普通の教師で、魔術とは無関係の生活だったんだけど、自分の魔力量が人より多いってのは気付いててさ。だからまー、記念受験だと思ってスラーンの入試を受けたんだよね。合格が決まってからは魔術の基礎の基礎の勉強はしたんだけど、素人に毛が生えた程度でさ。てことで、試験間近はお世話になります! いやー、頼もしいルームメイトで一安心だよ」

 魔力量は必ずしも遺伝するとは限らない。コアラのように一般的な家庭から魔術師の卵が生まれることもあるし、その逆もまた然り。ポポキッカの規格外の魔力量も両親のそれとは毛色が違っている。


「私は、大地の母〈マーテルラ〉王国から来たの。両親は法服貴族で、魔術とは関係のない文官ね。マーテルラからスラーンまでは移動するだけでも大変だったわ。少し早めに到着して王都に遊びに行ったりもしたのよ。極夜だって話には聞いてたけど、本当にずっと暗くて驚いちゃった。町明かりは綺麗だったけど、それより寒くてあまり眺められなくて。魔術に関しては、座学は得意だけど実技が苦手って感じかな」

 偉大なる魔術〈アルス・マグナ〉王国は、大陸の最北に位置する国で、冬は一日中陽の上らない極夜になる。その代わり、暗闇を彩る光の飾りが町を美しく照らすのだ。南の国から来たアズーラには、雪に埋もれるほどの寒さは体に堪えただろう。スラーンの外にはまだ、冬の名残雪が日陰で身を寄せ合っている。


 ポポキッカはどこまで話したものかと考えながら言った。

「私は……お父さまとヴェル兄さまがステラ教会で働いてて、私は小さい頃からずっと師匠──大魔術師ルーギュスの森の家で育ったの。師匠はいっぱい魔術について教えてくれて、ドラゴンとの契約も度胸試しだって連れてかれて。だから魔術については……きっと、いろいろ教えられることもあると思う。でも今まで森の家にいたから友達がいなくて、だからスラーンに入学するのがすごく楽しみだったの」

 コアラがすかさず「そうそう!」と嬉々として声を弾ませる。

「ポポキッカって大魔術師ルーギュス様の弟子なんだよね、あたしファンなんだ〜ルーギュス様!」


 大魔術師ルーギュスの耳慣れない呼ばれ方に驚くが、コアラは構わず拳を握って力説する。

「ルーギュス・サルヴァーレ・カイリェン。偉大なる魔術〈アルス・マグナ〉王国の王都近くの森に住んでるって噂。王様直属の王宮魔術師で、宰相よりも発言が重要視される魔術顧問。魔術品発明の第一人者で、瞬間移動できる星門〈ステラ・ゲート〉を発明したのもルーギュス様だし、魔力石を凝縮する古代技術の復元ができたのもルーギュス様の功績が大きいって。三十六歳にして次々に大発明を発表してるのに、ほとんど人前には姿を現さなくて、王様はステラゲートで隠遁先の森にわざわざ出向いてるらしい。それにルーギュス様のスラーンでの同級生はみんな口を揃えて言うらしいの。カッコいいんだって!」


「同級生って……会ったことあるの?」

「ないけど持ってるんだ。同級生の証言を集めて作られた、ルーギュス様の姿絵! 王都の祭りで売っててさ〜」

 コアラはベッドの上に放り投げてある灰色の大きな鞄に両手を突っ込み、くるくると巻かれた羊皮紙を取って広げる。大魔術師ルーギュスの精緻な絵だ。証言を集めたとあって、確かにポポキッカの知る顔だった。まじまじと眺めていると、アズーラも興味を持ったのか、後ろから姿絵を覗き込んだ。

「ねえ、この姿絵、本当? ちょっとカッコよく描かれてるとか、全然別人とか、ここがちょっと違うとか……お願い、教えて!」


 コアラはポポキッカの表情を至近距離で観察しながら、手を合わせて頼み込む。

「顔は合ってるけど……若いね。この姿絵じゃ二十歳くらいに見えるよ。でも同級生の証言なら当時の姿かぁ」

「やっぱカッコいいんだ〜⁉︎ あーポポキッカ羨ましー! あたしもルーギュス様に手取り足取り教わりたい……いやダメだ、緊張して絶対何も頭に入らない」

 コアラは色白の頬を赤く染めて姿絵に魅入る。

「ルーギュス様ってオッドアイなんだね。てっきり二つの証言があってどっちも取ったのかと思ってた」


「左の紫色の目が義眼なの。小さい頃からみたいだよ」

「ぎが、え⁉︎ じゃあ本来は両目とも赤?」

「そう……だと思う」

 ポポキッカは曖昧に頷く。

「なにそれ謎過ぎる。ミステリアス最高」

(ミステリアス?)

 性格からは想像もつかない単語だ。ポポキッカは笑いそうになるのを唇の内側にしまい込む。アズーラは目敏くポポキッカの意味深長な笑みに気付くと、面白そうに目を細める。

「師匠といえば、花祭りに来ないか誘おうと思ってるんだけど、もし来たら紹介しようか?」


 螺旋階段の壁に花祭りのポスターがあったよね、と話を続けようとした。瞬間、コアラはそれより早く布団を被った。そのあまりの素早さに言葉を詰まらせる。

(まずかった?)

 アズーラと顔を見合わせる。すると、コアラが布団から目だけを出す。

「‪‪──‬‪──‬いいの?」

「うん……師匠、気難しい人じゃないし」

「ポ〜〜〜〜!」

 コアラは奇声を発して布団を頭から被り直した。布団の中で叫んでいるのか、くぐもった声が漏れている。


(喜んでる……?)

 恐らくそうだろう。独特な反応が可笑しくて、ポポキッカは声を抑えず笑った。こんなに楽しいルームメイトと笑って夜を過ごせるとは思っていなかった。笑いが伝播したアズーラの肩が密やかに震えている。

 森の家では毎日夜更かししていたが、スラーンの朝は早い。ポポキッカは部屋が明るいうちに、素直に布団に包まった。新しいシーツは硬くて知らない匂いがする。違いを数えてしまうと森の家が恋しくなるが、コアラの欣喜きんきする悲鳴がポポキッカの心をスラーンに繋ぎ止めている。


(明日は上手くやろう)

 反省文を渡されないように、人を傷付けないように、注目を集めないように。

 ポポキッカは目を瞑り、それから思い出したように「おやすみ」と二人に告げた。森の家ではいつも一人で眠っていたから、返ってくる返事の柔らかさが胸の奥に染みる。

 今日を克服して明日へ。

 ずっとこの日を、スラーンでの生活を待ち望んでいた。だからポポキッカは楽しくやろう。想像通りにはいかずとも、至るところに星は散りばめられているのだ。

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