第2話 ファーストコンタクトは指先から


 宇宙人をたこ焼きにして食べる。

 そんな荒唐無稽な幼い頃の夢は、高校生となった俺の手の中に魔法の鉈という形で突然現れた。

 しかし、だからと言って急激に日常が変化するわけも無く、俺は腰にほんの少しの重みを抱えながら既に三日の時を過ごしている。


 そして四日目の朝、起き上がると同時に腰の後ろに手を当てて透明な鞘から魔法の鉈を引き抜き、ここが夢でないことを確認する。

 ここ数日はずっと、夢と現実の境目が曖昧で、この確認作業を終えないと今が現実だと確信出来ないまでになっていた。

 あの日から、夢の中での俺は今まで通り魔法やら宇宙人やらとは無縁の極々普通の生活を送っている。

 そうして夢の中でベッドに横になった瞬間目を覚まし、先程の確認作業を経てようやく頭がここを現実だと認識するのだ。


 まるで夢見た世界が現実になったことで、それまでの現実が夢の世界へと追いやられていく様だった。

 もしかしたら今この魔法の鉈がある世界が夢なのではと何度も疑ったが、腰に感じる重みと鍵付きの棚に仕舞った親友からの手紙が、こちらの方が現実なのだと叫んでくれた。

 だが問題なのはそんな俺の夢事情ではなく、折角魔法の鉈を手に入れたのに、それを使う宇宙人が見当たらない事だった。

 宇宙人は親友の残した手紙に曰く


 1、いつも笑っている

 2、血が緑色

 3、タコの足を持っている

 4、いつもは人に化けている


 という特徴を持っているらしい。

 2と3はまだ分かる。1も今のところ意味不明だが、まぁ良い。つまるところ一番俺の頭を悩ませているのは四番目の項目だった。

 人に化けているというのは、厄介極まりない。

 それにこの"化けている"というのもかなり曖昧で、アブダクションでもした人間と入れ替わって日常に潜んでいるのか、それとも人間の姿をしながらもコソコソと生きているのか……。


 この三日間血眼ちまなこになって宇宙人を探したが、全く見つかる気がしなかった。

 一応、この魔法の鉈は宇宙人以外には効果を発揮しないらしいので、片っ端から切り付けるという方法も思い付きはした。

 しかし今まで平穏に営んできた社会生活をかなぐり捨てる訳にもいかず、その方法は早々に放棄することになった。


「……腹減ったな」


 自分の腹が空腹を訴える音を聞いて、俺はのっそりとベッドから体を起こしリビングへ向かう。

 三日前、この魔法の鉈を手に入れて上々だった気分も、こうも進展が無いと段々と落ち込んでくる。

 せめて後一週間しない内に一度位は宇宙人のたこ焼きを食べなければ、俺の精神が先にギブアップしてしまうだろう。

 どこにいるのか検討もつかない宇宙人探しというのは、それ程までに俺の精神を追い詰めていた。


 よくドラマやアニメで暗中模索の捜査を行う刑事や探偵を見ることがあるが、彼らもこんな気持ちだったのだろうか。

 そんな詮無いことを考えて廊下を歩いていると、居間の向こうの玄関が開く音がした。

 母が仕事へ行った音だ。

 毎日朝御飯と弁当の材料を台所に放置して、母は大急ぎで仕事へ向かう。


 父はもっと早い時間に家を出る為、両親と顔を合わせるのは夜ご飯を食べてから寝るまでの間のみということも珍しくなかった。

 ここで高校生の息子を置いて朝早くから仕事に……なんて言うと『両親はお前の為に働いてるんだぞ』等と言われそうだが、俺は息子を置いて朝早くから仕事に出る母に心底うんざりしていた。


 俺の希望の高校に学食が無いと分かると露骨に嫌な顔をした母は、毎朝弁当の材料を放置して仕事へ向かう様になったのだ。

 ここでト書きをしておきたいのは、父と母の弁当はしっかり母が作っているという点だ。

 これは先に述べた高校入学時の母との喧嘩が今尚続いているのが原因で、最初は父が作ってくれていたものの、仕事が忙しくなるにつれ父の出勤時間は早くなり、今のような惨状になったと言うわけだ。


 そうしてそれがエスカレートした結果、いつの日からか朝御飯すら作ってくれなくなった。

 これを『働いてくれているから』と済ませる事が出来る程、俺は聖人君子ではない。

 かと言ってもう一度母と喧嘩をする気力もない。

 別に作ってくれない事に不満は無いのだ。

 嫌がらせの様にこれが行われている現状に不満があるだけで。


「アツッ!」


 跳ねた油が手の甲に飛び乗り、慌ててフライを持っていた手を引いた。

 あぁ、そういえばもう一つ嫌がらせがあった。

 わざわざ俺が使うであろう調理器具を先に使ってシンクに放り投げるという嫌がらせだ。

 このフライも、フライパンも、一度洗ってから再使用している。

 別に一組ずつしかないわけではないが、それらを使った跡が見付かると二日は文句を言われ続けるのだ。


「この……クソババアが!」


 跳ねた油への怒りをそのまま母へとシフトし、俺は心からの暴言を吐き捨てる。

 反抗期と呼ばれる間すらこんな言葉を吐いた事は無かったが、このところはよく口にしていた。

 これは決して反抗期の延長戦ではないと俺は信じている。


「はぁ……クソッ」


 悪態をつきながら作り上げた朝食はベーコンエッグと味噌汁、そしてトースターで焼いたパンだ。

 パンは、俺の部屋に隠しておいたヘソクリパンである。

 何故わざわざパンなんかをヘソクリしているかと言われれば、弁当か朝御飯のどちらか一回分の米しか炊かれていないことがままあるからだ。

 何にどう味を占めたのかは知らないが、最近はこう言った嫌がらせが増えてきた。

 耐えれば良いのか、謝れば良いのか、逃げれば良いのか。


 違う。別にこんな日頃の愚痴を吐き出したい訳じゃない。

 つまり俺は、鬱憤が溜まっているのだ。折角夢を実現する道具を手にしたと言うのに、一向に叶える機会に恵まれないこの現状に。

 とにもかくにも限界だった。

 いつもなら無心でこなせる朝御飯と弁当の用意にも一々文句を付けなければ、正気を保てない程に。


 高校へ向かう道中もここ三日とほぼ変わりなく過ぎ去り、相変わらず宇宙人の"う"の字も見えない。

 あの時勢いで武器が欲しい等と願わず、宇宙人を見抜く目が欲しいと言っていればもう少し楽だったかもしれない。

 だがあのカフェはあれ以来幾ら探しても見つからないのだから、今さら何を言っても仕方がないだろう。


 今俺を取り巻いている問題の本質は宇宙人が見つからない事ではない。

 親友からの手紙を読み、モラトリアムを振り切った俺の心が日常によってならされかけている現状が事の本質なのだ。

 このまま日常に腐していては、魔法の鉈が無用の長物になりかねない。


「宇宙人の影、無し……」


 しかし事はそう上手くは進まないもので、今日も今日とて俺は高校にちじょうへと歩を進めるしかなかった。

 俺の高校生活は、俺が卓球部、演劇部、英語クラブと居場所を転々としたのち実質帰宅部になった事以外は極々平凡なものだった。


 部活を転々とすることになったのは学校の『部活動強制所属』というルールに則ったせいであって、卓球も演劇も英語も大して興味は無かった。

 かろうじて興味をそそられた剣道部は、この高校の剣道部が県随一の強豪という事実に阻まれて断念することになる。

 英語クラブは活発な部員以外は俺の様にして流れ着いた十数人の生徒の最終到達点となっていた。

 活動内容も比較的緩い為、俺たち幽霊部員は実質帰宅部と揶揄される立ち位置に落ち着いているのだった。


 だからと言う訳ではないが、高校へ向かう電車の中で、俺は平凡な見た目をしていたと思う。

 楽器やラケットといった商売道具を背負っている訳でも、丸刈りの様な分かりやすい見た目をしているわけでもない。

 にも関わらず、そいつはこちらを振り向いた。


「宇宙人?」


 俺の聞こえるか聞こえないかの呟きに反応して。


「君、今宇宙人と言ったよね?」


「え? あ、俺?」


 一瞬にして、電車内の視線が俺達に集まる。

 その男の子を見て最初に目につくのは、その青色の混じった薄茶色の目である。

 光が当たれば透き通るが、影に入ると一気にかげる。そんな不思議な瞳だった。

 男の子はその目を爛々と瞬かせながら、俺の胸辺りまでしかない顔をズズイと近付けて、じっと俺の瞳を見つめてくる。


「そう、君だ」


 見ればこの辺りにある中学校の制服を身につけているではないか。

 やや身長が低いが、こいつは中学生らしい。


「いやいや、その腰の得物えもの。何に使うのかと思ってたけど……そうか、宇宙人用か」


「見えてるのか?」


 魔法の鉈は俺の腰の後ろにある透明の鞘に仕舞ってある。この三日間、それを見破ってきたやつはいなかったのに……。


「ぼくに見えない物は無い」


 やけに確信めいた言葉と共に、男の子の目が光る。

 どうやらこいつは何かしら特殊な目を持っているらしかった。


「君、ラッキーだったね! 君をぼくらの『宇宙人対抗戦線』に……」


「ちょ、ちょっと待て!」


 慌てて俺は男の子の口を塞ぐ。

 俺達の意味不明な会話を聞いて、辺りの乗客からクスクスという笑い声が聞こえてきたからだ。

 当然だろう。今の俺達はどこからどう見ても痛々しい中二病患者だ。


「モゴモグムゴゴウゴ……」


「良いから、次の駅で降りるぞ」


 男の子は不満たっぷりの目線を向けてきたが、今はそれどころじゃない。

 幸い電車は直ぐに駅に停車し、俺は男の子の手を引いてそそくさと電車から退散した。


「あのさ~、初対面の相手の口を塞ぐなんて馴れ馴れし過ぎやしないかい?」


 口から手を離してやると、男の子はペッペッと舌を出して眉を潜める。

 もう声変わりの時期は過ぎたろうに、ややかん高い声が通勤ラッシュを終えた駅に響いていた。


「『宇宙人対抗戦線』と言ったな」


「言ったね。ぼくらは宇宙人から地球を守るために戦ってるんだ。君もそうだと思って声をかけたんだけど……」


「俺にそんな立派な思想は無いぞ」


 あるのは復讐心だけだ。

 とは言えそれも純粋な復讐をしたい訳ではなく、彼女の肯定した夢を叶えたいという少し歪なものなのだが。


「そうなのかい? まぁ、何でも構わないさ。ぼくらはとにかく仲間が欲しいんだ……さぁ、『宇宙人対抗戦線』の本部に行こうか!」


「おいおい、誰が参加すると言ったんだ。そもそも俺は学校に行かなきゃいけないんだが?」


 途中で降りてしまったせいで遅刻は免れないが、それでも学校をサボる訳にはいかない。先ず間違いなく親に連絡が行くし、どれだけ嫌味な母に文句を言われるか分かったものじゃない。

 と言うか、こいつもこいつで学校がある筈だが……。


「学校? ぼくらはもう行ってないよ。宇宙人を止めるというとっても重要な使命があるからね」


「……」


 ここは人生の先輩として説教でも垂れるべきかと思ったが、まぁ、他人の人生にどうこう言うものじゃないだろう。

 それにここで彼に口を出しては、母が文句を垂れるのと同じになってしまう。それだけはどうしても避けたかった。


「あぁ、君はそういう崇高な使命ってやつで動いてないんだっけ。じゃあ理由を与えてあげようかな」


 幻想的な両の瞳がゆらりと光る。

 まるで世界の全てを見通すかのように。


「何言ってんだ、お前……」


 俺の動揺が伝わってないかどうか……いや、この場合は"見られて"いないか心配だったが、彼は寧ろ俺のもっと奥を覗き込むかのように一歩前進した。


「君の母親、宇宙人だよ」


 その衝撃的な言葉に、多分俺は瞳を揺らしたのだと思う。その証拠に、男の子は青く透き通った目で真っ直ぐ俺を見つめてくる。


「アブダクション。知ってるだろ? いつ入れ替わったのかは知らないけど、君の母親はとっくの昔に宇宙人なんだ。虐げられてきたんだろう? ぞんざいに扱われてきた筈だ。大丈夫、それは全部宇宙人のせいなんだから!」


 母は優しい人だった。俺の生意気な態度も笑って許して、その夜ご飯に俺の好物を出してくれるような人だった。

 俺が小学生の時にサッカーをやるのを後押ししてくれたのは、中学生の時の散々なテスト結果を笑い飛ばしてくれたのは、いつだって母だった。

 なぜ『弁当を作るのが大変だから』なんて理由で高校への入学を反対したのだと、父と一緒に失望したものだった。


 変わってしまったのは、いつからだったっけ。

 何で変わってしまったのかと、俺が悪いのかもと夜な夜な考え続けていたのはいつの事だったっけ。

 もう、そんなことを考えることすら疲れてしまったが。


「君の母親は優しかったんだ! あいつらはそんな母親を君から奪ったんだ!」


 やけに聞き入ってしまう演説だ。

 まるでこの世の悪いこと全部が宇宙人にあるかのような言いぐさに、それを壊してやろうという確かな殺意。


「理由を与えてあげよう!」


 繰り返したその言葉に嘘は無かった。


「使命を与えてあげよう!」


 熱の籠った吐息には確信があった。


「ぼくらと一緒に宇宙人をぶち殺すんだ!」


 そしてそれは彼の手を取るには十分過ぎた。

 十分過ぎたが……



「ヤダね」



 男の子はキョトンとしていた。

 俺を"堕とした"という確信があったからだろう。

 実際、『宇宙人対抗戦線』とやらに参加しても良いと思ってしまったが、それとこれとは別だ。


「踏み込み過ぎだクソガキ」


 俺は男の子の頭を掴んで、ギリギリと締めつける。

 母の復讐を達成するだけなら、別に『宇宙人対抗戦線』に参加する必要はない。

 母に成り代わったその宇宙人を殺して終わりだ。

 宇宙人全体を憎ませるかのような彼の物言いは只の詭弁に過ぎない。


 だが、それよりなにより俺が心底ムカついたのは、こいつには彼女の事が見えているだろうにそこを意図的に無視しやがったことだ。


「その上で、敢えて口には出さねぇんだな? 俺に母に化けたそいつを殺させて、少年兵にでも仕立て上げるつもりか?」


 親を殺させる。

 戦地における典型的な『少年兵のツクリカタ』だ。浚ってきた家族の子供に銃を渡し、家族を撃ち殺させる。

 拠り所を無くし、心を崩し、従順な兵隊をツクル。

 家族を撃ち殺す痛みに比べれば、赤の他人を殺す痛みなど何億倍も軽いからだ。


「おや、宇宙人に情でもあるのかな? 君の母に化けた宇宙人が、君の親友を殺した犯人かもしれないのに」


「ぶち殺すぞ」


 こいつが確定させた言い方をしていないということは、それについては"見えていない"ということだ。

 寧ろ嘘であると証明していると言っても良い。


「お前に紅い星と白い銀河が見えてんのなら、さっさとどっか行け。そうじゃないなら口を閉じろ」


「あぁ、なるほど。その鉈はそれで出来てるんだね?」


 我慢の限界だった。

 俺は男の子の頭を締め付けながら、反対の手で鉈を首にてがう。


「おやおや、ここは駅だし防犯カメラもあると思うんだけど……」


「本当に人に効かないか試す良い機会だ」


「マジかこの人……」


 ここに来て初めて彼の顔に、やってしまった。とでも言いたげな表情が浮かんだ。それに今さら気付いたのはやはりその幼さ故か。


「人殺しになっちゃうよ?」


「今から母親を殺すのに、何故躊躇う必要がある」


 どうせ母親を殺すことになったのだ。今ここでこいつを殺したとて何も変わらない。

 寧ろ予行演習になって丁度良いかもしれないな。等と目を細目ながら鉈を握る手に力を籠めたが、横からその手を握られ制止される。


 横目で見ると、そこには数人の小学生が立っていた。その内の一人、特に身長の高い女の子がキッ。とこちらを睨みながら俺の手を握っている。

 力としては大したことはない。無視してそのまま鉈を男の子の首に押し込む事だって可能だろう。


「邪魔するな」


「リーダーを殺さないで」


 一応言ってみただけではあったが、返ってきた言葉は実に予想通りのものだった。

 どうやらこいつらが『宇宙人対抗戦線』のメンバーらしい。やはり、どいつもこいつも幼すぎる。

 まだサンタクロースでも信じてそうな年ではないか。


「し、知ってますか?」


 俺が手を引かないでいると、女の子が恐る恐る話しかけてきた。


「何をだ?」


「人と入れ替わった宇宙人が死んだとき、入れ替わる前の人の記憶は皆から消えちゃうんです。それから逃れるには特別な対処が必要で……」


「あぁ、なるほど……交渉しようってことか? だが……俺はお前らのリーダーを人質にとってその方法を聞くことも出来るんだぞ?」


「あ、えっと……」


 言葉に詰まった女の子をリーダーが片手で制して、ようやくもごもごと口を開いた。


「非礼を詫びる。見ての通りぼくたちは子供でね。戦える人を探していたんだ。強引に君の心を覗いたことも、謝るよ」


 鉈をリーダーの首下から離してやると、子供たちから安堵の息が漏れる。

 一方でリーダーは表情を変えず冷や汗もかかず、依然として余裕綽々とそこに佇んでいた。まるで見えていたとでも言いたげだが、あの焦り様からして本当に全て見えていた訳でもないのだろう。

 だが少なくとも、俺が彼を殺す気が無くなったというのは伝わったようだ。


「釈明しておくと、君の母親の件は本当だ。親切心から言うけれど……母親を殺すより家出した方が何倍もマシだよ。母親という存在が皆の記憶から消えると君という存在も連鎖的に忘れられる可能性がある」


「あぁ、なるほど……」


 そこまで考えが回ってなかった。

 言われてみれば、周りの人間から母という存在が消えれば俺に関する記憶も同時に消えてしまうのは自明の理だ。母が居なければ俺は生まれてないのだから。


「取り敢えず、君の記憶を守る対処法を教えてあげよう。志は少し違うけれど、ぼくらは君に協力すると約束するよ」


「良いのか? 別に、その対処法と引き換えに参加してやっても良かったんだぞ?」


「乗り気じゃないのに率いれて仕方ないからね。なぁに、この目が必要なら何時でも頼ってくれたまえ。君がその鉈を宇宙人に振るう分には、ぼくらにとっても得だから」


 そんなことを言って、リーダーは一枚の紙を渡してくる。そこに書かれていたのは『対処法があると知っていること』という簡単な答えと、『宇宙人対抗戦線』の秘密基地の住所だった。

 内容自体は簡単だが、まさか今書いた訳でもあるまい。これも含めて見えていたというのならいよいよこいつは人外染みてくるが……。


「最後に、名前を聞いても良いかな?」


 俺が顔をしかめていると、今さら名前を聞かれた。

 そう言えば、あの魔法使いにも名乗っていなかったかもしれない。


「俺は近藤こんどう悠誠ゆうせい。お前は?」


「ぼくは金森かなもり卓也たくや。『宇宙人対抗戦線』のリーダーだ」


 求められた握手に応じてやると、卓也は満足そうに頷いた。まるで着地すべき場所に着地したと言わんばかりに。


「それじゃあ【ロストボーイズ】、今日のところは帰ろうか」


 卓也に連れられた子供たちが俺の横を通りすぎていく。その途中あの長身の女の子に睨まれたが、まぁ……別に咎める必要もないだろう。

 卓也達を見送って駅の時計に目をやると、とっくの昔に登校時間を過ぎていた。

 これから学校に行っても大目玉かと思うと行く気にもなれず、母を殺して皆に忘れられてしまうなら一度の大目玉位どうでも良いのかもしれないとか、そんな結論の出ない考えを数分間巡らせる。

 結局、数分間悩んで俺が出した答えは帰宅だった。


 只の帰宅もこれが最後になるのだと思うとどこか感慨深い。電車からの風景も少し輝いて見えるようだ。俺は毎日、どんなことを思いながら家に帰っていただろうか。

 特段、何も考えていなかった気がしてくる。


「いや、億劫だったな……母さんと顔を合わせるのは」


 それこそ、高校からの帰宅はいつだって憂鬱だった。仕事から早く帰宅した母と出会った日などは、もう何も手が付かない程だった。

 考えれば考えるほど、俺は母に追い詰められていたらしい。しかし、何故こんなに俺は思い詰めているんだ?

 仮にも母親として接していたそいつを殺すからか?卓也の言うことが嘘だったら大変なことになるからか?初めて行う宇宙人殺しに緊張しているのか?いや、多分どれも違う。


「……」


 悶々とした思いを抱えたまま家にたどり着くと、玄関に見覚えの無い靴が落ちているのを見つけた。

 靴は父のでも俺のものでも、母のものでも無い。

 そして二階から吐き気を催す母の声が響いてきて、俺は込み上げてくる物を呑み込みながらそっと玄関のドアを閉める。


 一応、逃げられないように鍵をかけて。


 鉈を引き抜いて。


 階段を一段ずつ静かに踏みしめて。


 二階の両親の寝室のドアをいつもと同じように、いつもと同じ勢いで、丁度俺が入れるけれどドアが開いた音が鳴らない位の力加減で。

 開いたドアから差し込んだ光が母と、ベッドの上の男を照らす。男がギョッとした表情を見せた次の瞬間には、俺は母の後頭部に鉈を振り下ろしていた。


「ギェッ」


 クシャッ。

 と、紙が折り畳まれるみたいに宇宙人が一口サイズのたこ焼きに変化した。

 たこ焼きはポタッ。と男の腹の上に落ちて、やがてほんのりと湯気を上げ始める。すえた匂いとたこ焼きのほのかな良い匂いが混じり合って、俺は呑み込んでいた物が一気に口元に込み上げてくるのを感じていた。


「うおぇ」


 宇宙人の断末魔と似たような音を漏らしながら、俺は思いっきりその場に嘔吐した。ビタビタと今朝食べた卵とベーコンがどろどろに溶けたパンに包まれて飛び出し、味噌汁のワカメがその上にふりかけられる。

 胃酸の嫌な匂いが鼻に届いて、収まりかけた吐き気がまたぶり返す。


「な、なんだお前はぁ!」


 情けない男の絶叫にぶり返していた吐き気が引っ込み、俺は口元を雑に拭いながら顔を上げた。

 裸の男の顔は恐怖に歪んでおり、突如現れた乱入者と目の前で起きた奇妙な光景にすっかり縮こまってしまっていた。よくよく見てみればこいつ、母に化けていた宇宙人の勤め先にいたような……。

 男は気味が悪そうに腹の上に乗っていたたこ焼きを投げ捨てて、たこ焼きはペチャッと濡れたベッドの上に落ちる。


「おいおい、食欲無くすなぁ……」


 折角の初めてのたこ焼きなのに、あんなところに落ちては食う気が無くなってくる。というか、宇宙人の体液……人体に有害じゃないだろうな。

 まぁ、男が無事そうだから大丈夫か。


「ちょ、こっちにくるな! その武器を降ろせ!」


「鉈だっつーの……鉈ってそんなにマイナーか?」


 卓也も知らなかったし、個人的に鉈に中二病的に憧れていた身としてはかなりショックだ。いや、まぁ……鉈が一般的に知られる様な道具かと言われると答えはNoだが。


「か、勝手に家に入ったのは悪かった! でも別に何も取ってないだろう!?」


「は? お前はそういう問題じゃ……」


 いや、そうか。この男から今、母だったやつに関する記憶が消えたのだ。男からすれば、不法侵入した家の住人が鉈を片手に入ってきたから焦っているというところか。


「じゃあもうどうでも良いよ……さっさと服着て帰ってくれない?」


「え、良いの?」


 良いの?じゃねぇよ……。

 何なんだこいつはマジで。あいつの不倫相手というだけでも不快なのに、記憶が無くなったせいで話がいまいち噛み合わない。


「そ、それじゃ……」


 男は実に慣れた手付きで服を着て、そそくさと部屋から出ていった。あの様子だと常習犯か。どうせなら一発殴っておけば良かった。

 しかし今はあんな男よりたこ焼きだ。ベッドの上に転がるたこ焼きをそっと持ち上げると、部屋に充満していた嫌な匂いが全てたこ焼きの芳香に吹き飛ばされる。

 今まで嗅いだ事が無い程の良い香りに思わず目が眩み、その勢いで手から口の中にたこ焼きがこぼれ落ちた。


「……ウェッ。クッ」


 たこ焼きは舌に乗る暇もなくスルリと喉の奥に滑り込む。そうして次に俺を襲ったのは、凄まじい感情の波だった。

 背徳感、快感、征服感、嫌悪感、敵愾心てきがいしん


「ハハハ、やっぱりな」


 そしてその中に、俺に対する慈母みたいなものは皆無だった。母はもう、死んでいたのだ。とっくの昔に。たこ焼きが喉を通りすぎて、胃にほんのりと暖かい感触が宿る。鼻を抜けるたこ焼きの匂いが消えると同時に、寝室に残された不倫の跡がまた辺りに漂ってきた。

 掃除をするべきだろうか。もう会わないであろう父の事を考えれば掃除してあげたいが、何故俺がそんなことをする必要があるのかという面倒くささもあった。

 そもそも俺が吐き出したゲロはともかく、事後のシーツの処理の仕方など知らない。単純に洗濯機にでもかければ良いのだろうか……。


 取り敢えず新聞紙でゲロを拭き取り、そこら辺にあった消臭スプレーで匂いを消しておく。シーツも結局他の方法が思い付かず、嫌々指でつまみながら洗濯機へと放り込んだ。

 後は服を着替えて、洗濯機が回っている間に風呂に入れば処理は終わりだ。

 入るつもりだったのか浴槽には既にお湯が貯められていた。湯船に浸かりながら、今後の事を夢想する。

 念願叶って口にした宇宙人のたこ焼きは、これまで食べた何よりも美味しかった。それに喉を通りすぎた時に感じたあの感情の波。中々面白い体験だった。


「はぁ~……」


 風呂の中で安堵の息を吐いて、俺は振り切ったモラトリアムが完全にコナゴナになったのを確認する。

 もう二度と、元には戻らない。それが不倫の現場を目撃したからなのか、宇宙人のたこ焼きを食べたからなのかは曖昧だが。

 暖かい湯船に浸かって洗濯機の回る単調な音に耳を傾けていると、少しずつ眠気が襲ってくる。まだ昼前で普段ならそんなに疲れていない筈だが、今日はあまりにも色んな事が起きすぎた。


 念願だった宇宙人殺しは想像よりも簡単で、想像よりもしんどかった。あれが母親ではないと分かっていても、不倫現場を見て胃の中の物を吐き出したし、それにしては鉈を振り下ろすのには何の躊躇いもなかった。

 そもそも俺はこれからどうやって生きていけば良いのだろうか。こうなったら素直に『宇宙人対抗戦線』に参加するのが丸い回答なのかもしれない。あいつは戦力が必要だと言っていた。無下にはされないだろう。


「……ん?」


 俺が逆上のぼせそうな頭でこれからの事を考えていると、玄関のドアが開く音がした。まさか父が帰ってきたのではと慌てて湯船から飛び起きたのだが、何か様子がおかしい。

 まるで革靴で歩いているかのようなコツコツという音が家の中で響いている。明らかに土足で家の中に上がってきていた。


 まさか父がそんなことをするとは思えない。もしかしたら空き巣かと慎重に風呂場から脱出し、用意しておいた新しい服を着る。

 その間も何かを物色するようにコツコツという音は続いていた。洗濯機の側に転がっていた物干し竿を武器にこっそり音のする居間を覗くと、そこにはボディービルダーの大会でしか見ないような筋骨粒々の大男が立っていた。


 しかし奇妙だったのは大男はピンク色の軍服に身を包み、その拳にはハートの刺繍、果てには唇に真っ赤な口紅を付けていたことだった。

 いや、別に人の趣味を否定するわけではないが、だとしてもアンバランスが過ぎる。その中でも取り分け青髭と口紅が特にミスマッチを引き起こしていた。


 いやいやいや!少し考えてみれば、あれはどこからどう見ても宇宙人絡みの人間だ。土足で家に上がってくるのもそうだが、やけに堂々としているし家の物を物色している訳でもない。

 ならばここは俺も堂々と真正面から出ていった方が誤解もなくて良いのではないだろうか。そう考えた俺は物干し竿を床に置いて、なるべく平静を装って居間に繋がるドアを開けた。


「人の家で何してんだ」


 平静を装った筈だったが、少し声が震えてしまった。しかし大男はそれには気付いていないのか、少し目を丸くして紅い唇をンパッ。と開く。


「あらまぁ、住人がいたの? 女王様に言われて来てみれば宇宙人の気配も死体もないしぃ……これがくたびれ儲けってやつ?」


 大男は野太い声と予想通りの口調で言葉を発する。そして俺が考えていた通り、こいつは宇宙人を知っていた。


「ンーン……もしかしてぇ、貴方が宇宙人やっちゃった?」


 バチーンッ。と向けられた人差し指の先から飛んできた気がするハートを避けながら、俺は渋い顔でその質問に頷く。


「あらあら、先を越されちゃったのね。と言うか貴方、【オズの魔法使い】じゃないわよねぇ。一体何者?」


「ここは俺の、近藤悠誠の家だ。元だけど……お前こそ誰なんだよ」


「あぁ、申し遅れちゃったわね。私は『宇宙人対抗戦線』の【トランプ兵】が一人、♥️の13よ」


「『宇宙人対抗戦線』だと……?」


 聞き覚えのある単語が聞こえてきて、思わず声が漏れる。てっきり子供だけの集まりかと思えば、こんな大男も仲間にいたのか。そうなると卓也の戦力がほしいという言葉にも説得力が無くなってくるが……。


「そうよ~ついさっき加入したの。合併ってやつね。今回は女王様からその合併ついでに渡された腕試しの任務だったんだけど……困ったわねぇ」


「ちょ、ちょっと待った。ついさっき加入?」


「えぇ。仲間を集めてるとかで……私たちリーダーが殺されちゃって困ってたから、女王様を新しいリーダーにしちゃおうって事になってねぇ?」


「待て待て……話が全く入ってこない! 先ずその女王様ってのは誰だ? まさか卓也の事か?」


「あらぁ、もしかして貴方もスカウトされた口? その通りよ、私の言う女王様は、金森卓也その人。何せ私たちは"軍隊"だから、指示を仰ぐリーダーが必要でねぇ」


 不味い。本当に状況が飲み込めない。

 そもそも♥️の13が卓也に従っているという事実だけでもお腹一杯なのに、その理由と加入時期に一切の説得力が無い。

 それとも俺が知らないだけで、こちら側の世界ではこれが常識なのか?もしくはあの"目"を持ってすればこの程度は簡単なのか?


「でもそう……状況を見るに、貴方自分の母親を殺したのね。さぞ辛かったでしょう?」


「あんなやつ母親でも何でもない。心傷がないと言えば嘘になるが、そこまで辛いものでも無い」


「あらあら、女王様がスカウトした理由が分かった気がするわね……」


「一応言っておくが、俺は一度スカウトを蹴ってるかな?」


「あら、そうなの? 別に所属するだけ所属しておけば良いのに。私は貴方のこと気に入ったし、是非仲間になりたいわ」


 大男に満面の笑みで褒められて、思わず一歩後ろに退いてしまう。そのまま手を広げてハグでもされたら、勢いで背骨まで折られそうだったからだ。


「つれないわねぇ。ところで、死体はどうしたの? まさか埋めちゃった? 宇宙人の死体は腐敗しないから埋めたら面倒なことに……」


「たこ焼きにして食った」


「たこ、くっ……えぇ!?」


 ♥️の13は目を丸くしたかと思うと俺の口の端を掴んで広げ、中の掻き出すようにその太い指を突っ込んできた。


「おぼぇ!?」


「ペッしなさい! ペッ! あんなもの食べたら体にどんな影響あるか分からないわよ!」


「もがががむがもご!」


 どれだけ口の中で指を掻き回されようが、さっき胃の中身を全部吐き出した俺にこれ以上出す物は存在しない。宇宙人のたこ焼きは普通に消化吸収出来るようなものではないだろうし……。

 その後透明な鞘から鉈を引き抜いて何とか魔法の鉈についての説明を終えると、♥️の13は拍子抜けしたように息を吐いた。


「なによもぅ……魔法を使ったんなら早く言ってよね。驚いて損しちゃった」


「事情を聞かずに指突っ込んできたのはお前だろうが!」


 お陰でたこ焼きの味に染まっていた口の中が指のしょっぱい味で上書きされた。何とも後味の悪い……。


「にしても宇宙人をたこ焼きにするだなんて何ともピンポイントな……何か理由でもあるのかしら」


「宇宙人に殺された親友が……もし宇宙人が友好的じゃなかったらたこ焼きにして食べちゃっても良いと言ってくれたからな」


「あらら……それはまた個性的な親友さんね……」


 軽い調子で返しながらも、♥️の13の言葉には少しの憐れみが乗せられていた。まぁ、確かに……聞くだけなら割りと悲惨な経歴かもしれない。


「うーん……ますます仲間にしたくなったわ! どうかしら? 今♣の7が空いてるのだけれど……」


「【トランプ兵】は軍隊なんだろ? あんまり気乗りしないな……」


「貴方も鍛えれば私みたいになれるわよ! まだまだ若いんだから」


「いや、気にしてるのはそこじゃなくて……」


 いまいち話が噛み合わないな。軍隊という物々しいもの組織に所属したくないと言っているのだが……。


「そんなに嫌なの? それなら仕方ないか……」


「一応、卓也とは協力関係を結んでる。仲間とは言えないまでも、友達位にはなれる筈だ」


「あらあら、それも中々魅力的ね……良いわ、じゃあ私たちこれから友達ね」


 ♥️の13は近くに置いてあったチラシの裏紙に、胸ポケットから取り出したボールペンでサラサラと自分の電話番号を書き出した。


「いつでも連絡して。それと、これは友達からのお節介」


 ♥️の13は電話番号の書かれたチラシと分厚い封筒を手渡され、俺は思わずギョッとしてしまう。何が入っているかは見ていないが、明らかに大量のお札が詰められている。


「い、良いのか?」


「どうせ行くとこ無いんでしょ? ホテルにでも泊まってなさいな。私の方で女王様にも拠点で泊めて貰えないか進言してみるから、それまで待ってて」


「あ、ありがとう……何から何まで……」


「良いのよぉ、私も昔勢いでクソ親を殺してスラム暮らしになったことがあってね、どうしても見捨てられないだけなのよ」


 おほほほ。と笑う♥️の13の中々ハードな過去も聞かされつつ、俺はありがたくそのお金を受けとる。今日は朝から嫌なことばかりだったが、どこにだって人の優しさはあるのだとうっかり涙を流しそうだった。


「それじゃ、また会いましょ」


 ♥️の13は満足そうに頷いて、ブーツをコツコツと鳴らしながら去っていった。

 その後封筒の中身が全て$札であったことに気付き、ホテルのフロントから銀行まで走ることになったのは……また別の話である。

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