四章 境界は混ざる誰も知らずに

1話 白の行軍色深き山

 白い装備で身を固めた勇者教の兵士たち。

 その数は日に日に増え、カルド町にじわじわ染みこんでいく。

 まるで、古い家に忍び込む白蟻の群れのように。


 通りの空気が沈む。

 人々は道の端へ寄り、店の扉などは、いつもより早く閉められていた。


 その列の中に――

 馬までも真っ白な、異様なまでに目立つ騎士がいた。

 白の中の白。

 雪の季節であれば、染まりすぎて透明のようだったろう。

 引き連れる音楽隊と共に、通り過ぎるだけで周囲の音が一段静まった。


「ふ、……皆さんには、家に留まって頂きかったのですが――くく、わたしをご覧に来てくださるとは、このエバガード、光栄の至り」

 白馬から腕をひとりひとりの頭を撫でるよう振るう。


 家の前では住民が膝をつき、両手をすくい上げるように差し出す。

 まるで“白に触れようとする”ような信仰の仕草をしていた。


 毛むくじゃらに近い顔をしたエバガードは、ふと空を見上げた。

 白い雲を透かす光を眩しげに受けながら、目を細め、喉の奥で笑みをこぼす。

 誰もが息を潜めているのに、エバガードの声だけが異様に通るなかだった。


「不安な皆さん――」


 一拍置く。


「それでは、我々とともに山へ行こうではありませんか!」


 その声が響いた瞬間、後方の音楽隊が待っていたかのように演奏を始めた。

 胸の奥を無理やり掴んで引き上げるような――

“心を高ぶらせる”と名付けられた曲だ。


 太鼓が鳴る。

 笛が悲鳴のように響く。

 その音が、庶民たちの感情を勝手にかき乱す。


「う、うあああっ……!」


 叫びなのか歓声なのか、自分でもわからない声を漏らしながら、

 彼らは手を伸ばし、膝をつき、顔を覆い――

 もはや正気なのかどうかも怪しかった。


 だが、エバガードはただ腕を軽く向けるだけでよかった。

 操り人形の糸を引くように、その一振りで人々は静まり返る。


 白い鎧が、ざり、と動く音だけが響く。


「半日はかかるでしょうから、どうか準備を。

 私たちは――そうですね、先にゆっくりと向かっておきます。

 焦らず、落ち着いてついて来てください」


 言葉は優しい。

 だが、その声音には逆らいようのない圧があった。




 狂気の声が、家々の壁を震わせるほど響いていた。

 家の中で、それを息を殺して聴く者たちがいる。


 そのうちの一人――トリスは、行商館の二階の窓からそっと外を覗いていた。


 アセルのことは、母にもまだきちんと話していない。

 話せば心配をかけるのは分かっていたし、

 母の表情を思うと、どうしても口を閉ざしてしまう。


 兵士としてなら、アセルを助けられるかもしれない。

 けれど “勇者教” に関わるとなれば――

 何を言っても無駄だ。

 だから母だけではない、仲間にも助けを求めることを躊躇した。


 今、外にいる騎士がまさにそれだった。

 あの騎士の前では、誰もが抵抗の意思を失う。

 まるで、大蛇に睨まれたカエルだった。


 ただ――騎士は山へ向かって、いったい何をするのか気になる。

 それを見届けるためにも、トリスは追いかけることにした。


 住民たちと一緒に山へ向かう。

 途中までは、かろうじて“道らしきもの”が続いていた。


 しかし、その先にはもう道と呼べるものはない。

 草木がねじれ、岩がせり上がり。

 まるで「これ以上は来るな」と告げるような山肌が続く。


 そして、そこが“結界”と呼ばれる境界線でもあった。




 すでにそこには、獣の匂い、獣の視線、獣の気配――

 それらが幾層にも重なり、空気そのものが圧し潰されるように濃く漂っていた。


 頭上には、ひと鳴きもしないまま旋回する大群の鳥たち。

 黒い影が空に広がって、じっとこちらを見ているようだった。


 何も知らない住民たちと、数人の兵士が、その不穏さに気づきもせず山を登っていく。

 彼らの靴が草を踏むたび、山の奥から微かに返ってくる気配があった。

 呼応するような……あるいは、獲物が来たと気づく“息遣い”のような。


 獣狩りだと、勇ながら山へ登って行く。

 そして――本当に一瞬のことだった。


 枯葉の積もる地面に、彼らはぽとり、と落ちるように倒れた。

 争う様子も、悲鳴もない。

 ただ睡魔に抱え込まれるように、静かに、沈んでいった。


 まるで――ここから登って行くことを、”彼ら”が知っているかのようだった。

 足元の落ち葉がわずかに盛り上がっていた。

 踏み出した瞬間、ふわりと白いものが舞い上がる。


 眠気を誘う胞子を飛ばすキノコだ。

 しかし、そこに群生しているわけではなかった。

 まるで誰かが意図的に隠したかのように、倒木や石の陰に押し込まれるように生えている。


 ――見えにくくされている。


 住民たちは、言葉にならない恐怖を味わった。

 倒れた者を助けにいけない。只々彼らの寝息を聞くだけしかなかった。

 その寝息さえ不安を煽った。


 そんな中、騎士が白馬を降り一歩前に出た。

 胸の前で印を切り、低く呪文を唱える。


「――起きなさい。そして光のもとへ戻りなさい」


 何処までも聞こえた、その声が落ちた瞬間だった。

 地面に横たわっていた住民たちが起き出した。

 ぎこちない動きでアンデッドのように。


「もう平気ですよ。あなた方は何時でも、わたしが守ります。心配なく進みなさい」

 騎士の声は優しく響いた。


 しかし――もう誰も返事をしなかった。

 その余裕がないようだ。

 へへ、と乾いた笑いを漏らす。

 住民たちはぎこちない足取りで山を登っていった。


 兵士たちも後に続く。

 白馬をおいた騎士を囲みながら。


 いつのまにか――いや、意図的に――

 騎士たちは住民たちに囲まれる形で山を登っていた。

 まるで、住民を“盾”にして進んでいるかのように。


 そのさらに外側を、獣たちが取り巻いていた。

 森の闇の中から、低く、押し殺した唸り声が途切れなく響く。


 だが、獣たちが牙を剥く相手は決まって兵士たちだけだった。

 町の人々には、肩をかすめる爪跡や、押し倒されて泥に転がる程度の“軽い怪我”だけ。


 まるで――

「おまえたちは危険だぞ」と示すための、威嚇に徹しているようだった。




 トリスは違和感を覚えた。

 ――なぜ兵士たちが固まっている?

 ――しかも、住民たちに守られているみたいに。

 そう思いながら山を登るにつれ、その違和感は確信に変わっていった。

 騎士の視線、動き、歩く位置――すべてが意図的だった。


 きっと、あの白い獣たちに襲われないように。

 住民たちを前に、兵士を真ん中に、自分たちを守る。


 ――そう、“盾にしている” のか。


 トリスは、そう気づいてしまった。

 その瞬間、胸の奥が重く沈んだ。

 でも後悔しても仕方がない。

 今からでも、早くアセルに会いに行きたかった。


 歩みを進めるごとに、木々の向こうから白い霧が立ちこめてきた。

 最初はただの朝靄のようだった。

 すぐに――ミルクのように濃く、重く、まとわりつく。


 そして、濃さが極まった時。

 霧は光を奪い、完全な闇へと変わった。


 隣に誰がいたのかすら、もうわからない。

 腕を伸ばしても、指先すら自分のものに見えない。


 その沈黙を破ったのは――


「うあぁっ!」


 斜面を転がり落ちる音。

 一つではない。

 横から、後ろから、あちこちで、

 がらがら、と石が転げる音と共に、複数の叫びが響き、霧に吸い込まれていく。


 逃げ場のない闇の中で、ただ人が消えていく音だけが続いていた。


 それに続いて――

 闇の奥から、聞き間違いのない騎士の声がした。


「永久に輝く光。ここから始まる粒となる」


 その言葉が放たれた瞬間、

 闇がすっと霧散する。


 光が戻る。

 道も、木々も。

 転がり落ちた人々は――下の方で転がっている。


 しかし。

 視界が晴れたその斜面の上。

 ひとつだけ“元のままではないもの”がいた。


 白い獣。

 背を丸め、喉の奥で低くうなり。

 今にも飛びかかろうと、爪を地面に食い込ませていた。

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