{1} 犯人は雪女ですわ~横浜大正ハイカラ娘の探偵事件簿
さとちゃんペッ!
上の巻 犯人は雪女ですわ!
――雪なんて、横浜には似合わない。
でも今夜ばかりは、街じゅうが白いレースに覆われている。
街灯も、人力車も、ぜんぶ埋もれてしまいそう。
馬車道だけは、雪が積もる中、熱心に雪かきされていると聞いたわ。
私は大正ハイカラ娘、朝霧すみれ。
女学校を卒業して、格式高い洋裁店で、洋裁師見習いをしている。
ランチには、ばあやが作ってくれたお弁当をいただいて、午後からはお得意様のお屋敷へ訪問する予定。ドレスの仮縫いの約束があるの。
ところがこの吹雪である。
仕立てた布地が
でも――
「雪女が出る夜は、嘘が溶けるのよ」
そんな母の言葉を、なぜか思い出していた。
山手の丘に建つ、異人館風のお屋敷。
門をくぐると、雪の積もった庭に一本の梅の木。
その木の下に、真っ白な着物を着た髪の長い女が立っていた。
私は思わず声を上げた。
「――あのっ、洋裁店の朝霧です。仮縫いのお約束できました。あの、あの……」
女は振り向かない。
ただ雪の中に消えていった。
――気のせい?
そう思うことにして、玄関のノッカーをコンコンと鳴らした。
「ようこそ、朝霧さん」
扉を開けたのは、屋敷の若旦那・西園寺涼馬25歳。
青い絹のスカーフを巻いており、まるで雑誌の挿絵から抜け出たみたいだ。
しばらくすると、上品な和服姿の桐子夫人がやってきた。
――彼の義母であり、わたしのお客様だ。
白い顔で私を見て、ゆっくりと口を開いた。
「雪の日に、ようお越しくださいましたね……あいにく夫は銀座の店舗に出張で、今夜は品川の別邸におりますの。……この雪ではあなたも危ないわ。仮縫いが終わったら泊っていってくださいな」
その声は、なぜだか少し震えていた。
応接室に通されると、暖炉の火がぱちぱちと爆ぜた。
壁には異国の絵画、棚には香水瓶や時計が並ぶ。
すみれ色のドレスの仮縫いを広げると、夫人が微笑む。
「この布……どこで?」
「元町の輸入店でございます。フランス製のシルクですわ」
そう答えると、夫人はうっとりと目を細めた。
そのとき、背後でガラス窓がコツンと鳴った。
ふとを見ると、吹雪の中――雪が吹き付けた窓ガラスに指で書かれたらしき文字。
《ヨウコヲカエセ》
……なに、これ。
風のせいではない。
まるで誰かが外から書き残したようにみえる。
夫人が青ざめ、唇を押さえた。
「また……出たのね……」
また?
私が尋ねようとした瞬間、玄関の扉がバタンと鳴った。
入ってきたのは一人の男。帽子も外套も雪だらけ。
「すみません、吹雪で宿に帰れなくて。今夜はここに泊めてください。申し遅れました。わたしは新聞記者の小田切と申します」
涼馬さんは苦笑しつつ、「仕方ありませんね。まあ、部屋ならありますから」と彼を迎え入れた。
外の風は強くなった。
桐子夫人は不安そうだ。
旦那様のいない夜、心細いに違いない。
年のころはまだ30歳過ぎ。
前の奥様が亡くなって、後妻に入られたのが10年前だという。
「横浜で吹雪だなんて何年ぶりかしら」
奥様が不安そうにつぶやく。わたしは応えた。
「仮縫いが終わったら、暖炉の前でお話ししましょう」
涼馬さまが、お酒のグラスを片手に蓄音機をかけてくださった。
異国の音楽が流れだす。
小田切がレコードを選んでいる。
「いやあ、さすが西園寺家、色々取り揃えてありますな」
わたしと夫人は、暖炉の前に座って温かい紅茶をいただいた。
ヒューヒューと風の音がする。
電灯がチカチカと明滅する。
「停電だ!」
部屋が闇に沈み、暖炉では燃え残った薪が赤く浮かび上がる。
新聞記者の小田切の声がした。
「ランプはないのかね」
――その瞬間だった。
「うっ……!」
――バタン
悲鳴と同時に、何かが床に崩れ落ちる音。
私は思わず立ち上がり、暗闇に目を凝らす。
「どうした? だいじょうぶか?」
「ランプを持ってこさせますわ。ねえ、ランプに火をつけて持ってきてちょうだい」
冷たい風を感じた。寒いわ……。
ランプの明かりが届いたとき、そこには――
西園寺涼馬が、胸から血を流して倒れていた。
白い絹のカーテンが激しく風に揺れている。
テラスの扉が開いていた。
そこには、裸足の足跡が雪の上にまっすぐ続いていた。
「――雪女、だわ……! キャー」
桐子夫人が悲鳴を上げた。
吹雪の音が、まるで笑うように窓を叩く。
西園寺が扉を閉めた。
桐子夫人が倒れた涼馬に駆け寄った。
「涼馬さん、しっかりして。ねえ、しっかりなさって」
揺り動かすたび、胸から血があふれた
ランプの灯がゆらめき、血で赤く濡れた床を照らしている。
西園寺涼馬――さっきまで笑っていた彼が、もう動かない。
胸には銀色のナイフ。取っ手には、繊細な花模様の細工。
新聞記者の小田切が体に触れた。
頸動脈に触れ、目を閉じた。
「間違いない。亡くなっています」
「な、なんてこと……!」
桐子夫人が口元を押さえ、後ずさる。
小田切記者が震える手で懐中時計を見た。
「停電していたのは、わずか二分……その間に殺されたってわけか」
小田切が唸る。
「停電の間に、雪女がこの部屋に入り、この若い御曹司を殺して出て行った。うーーーん。間違いない。しかし、雪女が現実にいるのか?
うーんうーん」
小田切がしきりに唸っている。
「いや、まてよ。雪女? そういえば庭の木の下に白い着物を着た女を見たぞ。あれは雪女だったんだ!」
そういえば……わたしも見ている。白い女を。伝えなくてはならないわ。
「わたくしも見ましたわ。雪女のような白い着物の女でしたわ」
「まあ、朝霧さんもみたのですね! やっぱり雪女はいるのですわ」
桐子夫人は震えあがった。大きな宝石のついた指輪が光る。
桐子夫人――モダンガールとしておしゃれなドレスで社交界に出ている。美貌と奥ゆかしさを兼ね備えた社長夫人だ。
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