第19話 君の名前は
親方に『共鳴鉱石』を渡してから数日。僕は逸る気持ちを抑え、ギルドで小さな依頼をこなしながら、『心臓石』の完成を待っていた。日々の生活は続くし、この先の『沈黙の僧院』への旅にも資金は必要だ。
風鳴りの洞窟での一件以来、僕は以前よりもっと落ち着いて街の喧騒に対処できるようになっている自分に気づいていた。人通りが多い時間でも目的地まで道を歩くのは問題無いし、人の多い市場やギルドでも、用を足してすぐに脱出すれば問題無い。もちろん、調律石を握って、詩を頭の中で暗唱しながらだけどね。
ある日の夕方、依頼を終えて宿に戻ると、ミーナがカウンターから駆け寄ってきた。
「カイさん、お帰りなさい! ヘーフェン工房の親方から伝言だよ。『準備ができた』って!」
その言葉に、僕の心臓が大きく高鳴る。
よし、行こう! ……いやいや、もう親方は帰宅してるって。こんな時間に行って、もしいたとしても、なんか慌ただしい雰囲気になっちゃうし、それでミスでも起こったらいやだ。明日にしよう。
僕は逸る自分をたしなめて、落ち着かせた。もしかしてこういう時にも調律石は約二経ってるのかもしれない。
翌朝、僕は夜明けと共に目を覚まし、そわそわと落ち着かなかった。食堂に降りると、ミーナがその様子に気づいてくすくす笑う。
「カイさん、なんだか嬉しそうだね。何かいいことあったの?」
僕は、隠しきれない喜びを浮かべて頷いた。
「ああ。今日、僕の相棒に、命が宿るんだ」
「命が?」
「うん。ずっと眠っていたんだけど、今日、ようやく目を覚ます」
僕が楽しそうに語る様子に、ミーナも興味津々だ。
「その相棒って、どんな子なの? 見てみたい!」
僕は少しだけためらったが、彼女の純粋な好奇心に負けて、鞄から布にくるんだゴーレムを取り出した。
「……これだよ」
「わー、……石の人形?」
ミーナは少しがっかりしたような顔をしたが、すぐにその滑らかな体を指でそっと撫でた。
「でも、なんだかあったかい感じがするね。この子が、本当に動くようになるの?」
「ああ、そのはずだ」
ミーナは「すごい!」と目を輝かせた。
「帰ってきたら、動くところ、絶対見せてね!」
工房を訪れると、親方が僕を奥の作業場へと招き入れた。作業台の中央に置かれていたのは、僕が渡した共鳴鉱石が宝石のようにカットされ、見事な銀細工の中心に収められた、小指の爪くらいのサイズの美しい一品だった。
それは、機械というより、芸術品のように見えた。
「これが、『心臓石』じゃ。共鳴鉱石の歌を、ゴーレムの全身に伝えるためのな」
心臓石は、それ自体が微かに振動し、心地よい、『音色』を奏でていた。
親方の見守る中、僕は作業台の上にゴーレムをそっと置いた。
「では、いくぞ…」
親方がゴーレムを持ち上げ、その胸にある窪みに、心臓石をゆっくりとはめ込んだ。
カチリ、と小さな音がして、心臓石が完全に収まる。
親方がゴーレムをそっと作業台に戻すと、心臓石が内側から淡い光を放ち始め、その光は血が巡るようにゴーレムの全身へと広がっていった。
無骨な石の体が、ほんのりと温かくなっていくように感じた。
しばらくの沈黙の後、ゴーレムの頭が、ゆっくりと、しかし確かな意志を持って、僕の方へと向けられた。ゴーレムの小さな目に瞳は無いけれど、確かに自分を見つめているのが分かった。
「……相棒」
僕が呼びかけると、ゴーレムは応えるように、こてん、と少しだけ首を傾げた。
僕は、動くようになったゴーレムをどうやって宿に連れて帰るか少し悩んだが、ゴーレムは自ら僕の肩によじ登り、そこにちょこんと座った。まるで、そこが自分の居場所だと決めたようだった。
(やったー!)
帰り道の僕はもちろんウキウキだったよ。だってゴーレムの相棒を持つ冒険者なんてカッコいいじゃない?
まあ、その言葉から想像されるゴーレムよりは、ずいぶん小さいし、多分力も弱いだろうけどさ。でもいいよね。今まで通り危ない戦いは避けていればいいんだから。
宿に戻ると、ミーナが待ち構えていた。
「見せて、見せて!」
僕が肩の上の相棒を指差すと、ミーナは目を丸くして、そして輝かせた。
「わー、ほんとに動いてる! かわいい!」
「カイ、うまくいったのね! 一緒に行こうって言ったじゃない」
食堂の入り口からリラの声がした。
(しまった。そうだった…)
「ごめん。気が逸ってて…」
「…もう…」
リラは僕の肩の上で器用にバランスを取るゴーレムを見ると、技術屋の目で感心したように頷いた。
「すごい……。あんなに滑らかに動くなんて。まるで生きているみたい」
「ねぇ、カイさん」
ミーナが僕の袖を引っぱる。
「この子、なんてお名前なの?」
その問いに、僕ははっとする。これまで「相棒」としか呼んでいなかった。名前なんて、考えたこともなかったのだ。
「ええと……」
「じゃあ、ミーナが考えてあげる!」
ミーナが元気よく手を挙げた。
「石だから、『イシスケ』! どうかな?」
「ちょっと安直すぎない?」
リラが苦笑する。
「私なら、そうね……『リベット』とか。部品を繋ぎとめる、大事な役割だから」
「りべっと?」
ミーナが不思議そうに首を傾げる。
「じゃあね、『コロ』ちゃん!」
「そうだ、『バランサー』はどう? カイの心を安定させてくれるかもしれないじゃない」
ミーナとリラが、ああでもないこうでもないと楽しそうに名前を出し合っている。僕はその光景を、黙って眺めていた。
(イシスケ、リベット、コロ、バランサー……)
どれも、彼女たちらしい名前だ。でも、僕の相棒には、もう少し違う名前がいい気がする。機能的な名前でも、見たままの名前でもない。僕と、この子の関係を表すような……。
「……『コダマ』はどうだろう」
僕がぽつりと言うと、二人の会話がぴたりと止まった。
「コダマ?」
「ああ。僕がいつも心の中で唱えている詩、『影の方程式』に出てくる言葉なんだ。僕が声をかければ、応えてくれる。そんな存在になってほしいと思って」
リラは、僕が詩を暗唱して雑踏のノイズから身を守っていることを思い出して、納得したように頷いた。
「なるほどね。あなたらしい、いい名前じゃない」
「コダマ! うん、かわいい!」
ミーナも賛成してくれた。
僕は肩の上の相棒に向き直り、優しく呼びかけた。
「君の名前は、今日からコダマだ」
すると、コダマは僕の顔をじっと見つめ返すと、こてん、ともう一度、ゆっくりと首を傾げた。それは、自分の名前を確かめるような、初めての返事のように僕には思えた。
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