第14話 優子の日常2「伯爵、サトウのごはんを燃やす」
コンビニを出てゆっくりマンションへの道を戻るクラウスを、優子は裏道を使ってダッシュで追い抜いた。
部屋に戻ると、急いでコートを脱いでハンガーに引っ掛け、布団をひっかぶって眼鏡を外した。
それと同時に玄関が開く。
足音が近づいてくる。ずかずかと大股で歩くクラウスの足音、ここ数日寝込んでいた優子は、その響きをすっかり覚えてしまっていた。
階下の住人を常に気にする自分とは違う、堂々とした足音。
クラウスは無言で優子の枕元までやってくる。
エコバッグの中身をガサゴソと探る音が聞こえて、枕元に何かが置かれる音がした。
そしてまた、足音は遠ざかっていく。台所の方だ。
優子がこっそり振り返ると、枕元にはスポーツドリンクとゼリーが置かれていた。
(スプーンはなしか……いや、いいんだけど)
クラウスは台所に立っている。
食器の触れ合う小さな音が聞こえた。
(おじや作るのかな……おじや知ってるの? 栗山さんに教えてもらったのかなレシピ……)
コンロの点火のカチカチという音がする。
優子は、おじやの香りを想像し、そういえば久しぶりだな……と考える。
しかし数十秒後、優子の鼻先に刺したのは異臭だった。ビニールの焼け焦げる、特有の嫌な匂い。
「やばいって、それは!」
優子は眼鏡をひっつかみながら布団を蹴って飛び起き、台所へ駆け込む。
コンロの上では、"サトウのごはん"がパッケージごと炎に包まれていた。
クラウスは驚愕のまま固まってその光景を見ている。
「わー! だめだめだめ!」
優子は慌てて火を止め、燃えるパックを近くのタオルで掴んで、流しへ投げる。
蛇口をひねり、水を浴びせる。指先に一瞬で熱が伝わってくる。
「あちっ! あちっ!」
優子はタオルも流しへ投げ捨て、蛇口から出てくる冷水を手に浴びせる。
火は消え、白い煙が宙に揺らめいて、消える。あとにはビニールの焦げた匂いだけが残った。
優子は換気扇のスイッチを入れた。
溶けた"サトウのごはん"のパッケージが無残な姿で、シンクに沈んでいる。
優子とクラウス、二人の視線が合う。
「なんだ、元気になったのか?」
「あ、えっと……」
そこで初めて優子は、自分が寝込んでいたことを思い出す。気まずい。
(途中から寝たふりしてた……なんて、言えない)
「おかげさまで……」
と間抜けなセリフを吐く。クラウスは眉をしかめる。
「俺は何もしていないぞ? …面妖な」
クラウスはべしょべしょの"サトウのごはん"にはもう興味を失くしたのか、やかんへ水を入れ、エコバッグからカップ麺を出した。
窓の外は相変わらず曇り空だった。
ローテーブルの上に、空になったカップ麺の容器が一つ置いてある。クラウスはPCでまたYoutubeを見ていた。
優子がそこに、一人暮らし用の小さな土鍋を持ってやってくる。
お盆には、空のマグカップが二つ並んでおり、スプーンが入っていた。
優子がローテーブルの上に土鍋を置くと、クラウスが神妙な顔で見ている。
「なんだそれは?」
「伯爵がさっき作ろうとしていた、おじやです……材料があったので……食べたくなったので」
「貴様が作ったのか。あの女の説明ではよくわからなかったぞ」
(栗山さん、あなたは悪くない……)
クラウスが興味深そうに土鍋に手を触れそうになる。
「あ、熱いので! 待っててください」
クラウスが手を引っ込める。
優子は紫の布巾で土鍋の蓋をつかみ、開けると中から湯気と醤油の香りが飛び出した。
「おおおっ……!」
クラウスが感嘆の声を上げる。土鍋を使った料理など初めて見ただろうから、当然の反応かもしれない。
中には簡単卵とじのプレーンなおじやが乗っている。冷蔵庫にあった材料で使えそうなものが卵しかなかったのだ。
「お口に合うか……」
優子は二つのマグカップにおじやをスプーンですくい取り、クラウスに渡す。自分のマグカップにもおじやを入れ、口に含んだ。
米と卵の優しい甘さが口に広がる。シンプルだが、優子にとっては久々のまともな食事だった。
「はぁ……温まる」
クラウスもおじやをもぐもくと噛み、飲み込んだ。
「美味くはないな」
「ですよね……」
(具もないし……久々に作ったからな。自分で食べる分にはともかく、出来は良くない。わかってる……)
それでもクラウスは黙々と食べ進める。そしてマグカップに入れた分を全て片付けると、一言加えた。
「だが赤ワインに合いそうだ。今度はワインのある時に作ってくれ」
「あ、はい……」
クラウスの意外な言葉に、優子は目を丸くする。まさかリクエストがあるとは思っていなかった。
優子はふと、疑問を口にした。
「なんで……私の食事を作ろうとしてくれたんですか?」
クラウスはマグカップをテーブルに置くと、居心地悪そうに視線を逸らす。
「別にいいではないか、そんなことは。 ……どうやら、俺は作り方を間違えたようだし」
優子はクラウスの横顔を見つめる。彼はそっぽを向いたままだ。
(料理失敗したの、恥ずかしいのかな……そりゃそうか)
「私が早く復活しないと、月影のレガリアの伯爵死亡ルート回避の挑戦ができないからですか?
いつまでも寝込んでたから……」
優子なりのフォローのつもりだった。クラウスが優子に目を向ける。
「そうだ。貴様が動けなくては困るのでな」
「そのために、わざわざワインを我慢して、知りもしない料理を
……いえ伯爵は料理だってしたことない設定なのに……なぜ」
クラウスがまた目を背ける。
「知らぬ。俺にもよくわからぬ。あれは気の迷いだ……
そういえばこの、おじや、カップラーメンに入れると美味いのではないか?」
「そういう食べ方もありますね」
「誠か!? 既に思いついたものがいるとは……」
クラウスが悔しそうな顔で頭を振る。
優子の口元に、自然と笑みが浮かんだ。なぜか目元に涙がにじんでいるのがわかった。
(なんだろう……嬉しい。クラウスと一緒にご飯を食べて。
これは、今まで推しのクラウスに感じてたのとは、違う嬉しさかもしれない……)
部屋の時計が、静かに時を刻む。
優子は涙を拭い、ゆっくりと立ち上がった。
PCの前に座り、電源を押す。
「……有休もあまり残ってないし」
マウスが小さく音を立てる。
「さっそく、行きますか」
クラウスが頷く。
「うむ」
モニターに《月影のレガリア》のタイトル。
クラウスがマウスを操作する。《NEW GAME》にカーソルが合わされ、クリックの音が鳴った。
クラウスの身体が淡い光に包まれ、音もなく消える。
その光を見届けたあと、優子の身体もまもなく消えた。
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