第13話 優子の日常2「伯爵、はじめてのお使い」
地方都市のマンション前に、長身で銀髪赤眼の顏の良い男が立っている。ただし服は上下とも紫のスウェットである。
曇り空。風は頬を刺すほど冷たく、歩道の街路樹がキシキシ鳴った。
クラウスは身じろぎし、肩をすくめる。手には紫のエコバッグ。
歩き出すが、その足取りはぎこちなく、視線は周囲を鋭く警戒している。もっとも、歩道を行く人々のクラウスを見る目線の方が、よほど警戒度は高かったが。
「“7”の看板の店……どこだ」
歩道を進むと、ほどなく派手な緑と赤の配色の「7」と書かれた看板が現れた。
クラウスの瞳がわずかに見開かれる。
「おお、あれはまさしく“7”の看板 この世界では7が食品を表す符牒なのか? ……面妖な」
7の看板の店は、大きな道――車道の向こうにあった。
すぐそばの横断歩道は赤信号だ。車がびゅんと風を切って走り抜ける。
クラウスは横断歩道に目もくれず、ガードレールを跨ぎ、最短距離で渡ろうと踏み出す。
甲高いブレーキ音とクラクションが重なって、冬の空気を切り裂いた。
優子はマンションの寝室で、相変わらず腐っていた。
ガムテと縫い跡だらけのカーテンの隙間から、鉛色の光が細く差す。
石油ストーブの温風ファンが低い唸りを続ける中、布団の中の優子は、ぼんやり天井を見ていた。
眉がふっと寄る。
「……あっ、待って、クラウス……信号とか知らないんじゃ……!」
優子は寝癖を爆発させたまま飛び起き、眼鏡をかけ、ハンガーからコートをひったくると、羽織りながら玄関へ駆ける。
ドアを開けると冷気が、日焼け止めも塗っていない肌を突き刺す。
曇りだしいいか、などと思いつつ、優子は息を荒げながら駆け出した。
クラウスが向かったのは7の看板の、例の店だろう。その方向に急いで走る。
すぐに長身の男の陰が見えた――クラウスだ。
「おい!邪魔だって!」
「うん? なんだ貴様は?」
クラウスは車道の真ん中に突っ立っている。その前には軽トラが停まっていた。
軽トラの窓を開けて怒鳴る運転手を、クラウスは堂々とした表情で睨み返す。
運転手は一瞬ひるんだが、舌打ちをして、ハンドルを回す。軽トラはクラウスを避けて、道路を走り去った。
後にはクラウスだけが残される。
その腕を、素早くつかみ、道路わきへ引っ張る女がいた。
「あぶないよ〜。外国の人? 信号渡るときは赤で止まるの!」
優子はクラウスまであと十数mという距離で、立ち止まる。
「栗山さん!?」
隣室の栗山がクラウスの腕を引っ張っている。仕事帰りらしく、濃いめの化粧に茶色のダッフルコートに身を包んでいる。
クラウスは栗山を見て顔をしかめる。
「赤で止まる? ……面妖な」
「あら、けっこう日本語通じるのね。ほら、とにかく今のうちに行こ」
栗山は手慣れた様子で、クラウスを横断歩道の前まで引っ張っていく。
信号が青に変わると、栗山はクラウスの背中を押しながら、そそくさと横断歩道を渡る。
なんとなく電信柱の陰から事の成り行きを見ている優子は胸を撫でおろし、少し遅れて横断歩道を渡った。
(栗山さん、ナイスフォロー! どうしようかな、今出ていったら、クラウスと私が知り合いってばれちゃうし……)
優子が迷っている間に、栗山とクラウスはコンビニに入って行った。
優子は店内の様子を外から窺いつつ、クラウスと栗山から入口が死角になったところで店に入った。
クラウスは冷蔵ケースの前で棚を凝視していた。買い物カゴの中にはカップ麺がたくさんと、赤ワインが一本。
あのワイン、クラウスのお気に召さないだろうな、などと優子が考えていると、買い物を終えたらしい栗山が、クラウスに近づく。
「外人さん、買い物大丈夫?」
なんと気のいい人だと優子は思った。初対面の、銀髪の見た目西洋人風の紫スウェット男に、気さくに話しかけている。
「さきほどの……では一つ聞きたいことがある」
「なに?」
「家で女が寝込んでいる……その、何か買っていった方が良いものはあるか?」
「……!?」
優子は驚いて思わず声をあげそうになった。
クラウスの口から、そんな言葉が出るとは。買い物がうまくできるか心配していたところに、完全な不意打ちだった。
栗山はにこやかに頬に手を当てる。
「彼女さん? 風邪引いたの? 大変ね……スポドリとか、ゼリーとか、おじやとかもいいかもねぇ」
「それはどこにある?」
栗山が先導し、クラウスは並ぶ棚からスポドリとゼリーをカゴへ入れる。更におじやの材料を求め、栗山とともに店内をうろつく。
優子は目の前で起きていることが信じられず、ただただを男の背中をこっそり追うだけだった。
(嘘でしょ……クラウスが私のため?)
栗山に誘われ、クラウスがついにレジへと向かった。
「っしゃいませ~」
若い店員は、機械的に挨拶をすると、クラウスを一瞥しただけで表情は変わらなかった。
クラウスが栗山の指示で、カゴを台へ置く。
店員は慣れた手つきでバーコードを読み取り、無表情のままハキハキとした声で告げた。
「3120円になりま~す」
クラウスがスウェットのポケットから千円札を三枚差し出した。
若い店員の表情が、はじめて変化した。困った顔に。
「あの……あと120円」
栗山が横で、店員と同じように困った顔をしている。手元のハンドバッグの財布を見ている。
クラウスがあまりコンビニに慣れていないのを察し、120円ぐらいなら自分が出してやろうか……と迷っている顔だ。
優子は棚の陰からその様子を見ていた。
(どうしよう……しかし、栗山さんに小銭とはいえお金を出させるわけにはいかない……!)
優子が意を決して飛び出そうとした瞬間、クラウスが店員に尋ねる。
「これでは足りないのか?」
店員がおそるおそる頷く。
「推し、か……」
クラウスが小さく呟いた。栗山と店員が「?」という顔をしていると、クラウスはおもむろに会計台の上の赤ワインのボトルを指さした。
「これを買わなければ足りるか?」
「……!?」
優子はまた声を上げそうになり、口を思わず抑えた。
店員は、困惑した表所のまま、何度か頷く。
「あ、はい。足りると思います。ではワインの方はキャンセルして……」
店員がワインのボトルを手元に引き寄せ、レジをカタカタと打つ。
「1850円になります……」
そしてクラウスが台に置いた三千円のうち二千円をうけとり、小銭を返した。
クラウスはそれを受け取り、スウェットに返す。
そしてエコバッグにカップ麺とスポドリ、ゼリー、おじやの材料をぐちゃっとつめ、颯爽とコンビニを後にした。
優子、栗山、そして若い店員が同時に思った。
(カップ麺一つ減らせば、お金足りたんじゃないかな……)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます