第5章 封じられた地下の響き
教会の床石を一枚ずつ外すと、
中から冷たい空気がゆっくりと立ちのぼった。
湿った石灰の匂い、古い鉄の錆、
それらが混ざって、息をするたびに時間の味がした。
ルーチョはランプの火を掲げ、
狭い階段を照らした。
光は壁に吸い込まれ、
古い壁画の欠片がちらりと浮かぶ。
天使の羽、消えかけたラテン語。
クララは静かに後ろを歩く。
手には小さな金属片。
昼の陽射しで見せた青はもう消えて、
代わりに淡い灰色が残っている。
ルーチョはクララの肩にそっと手を置いた。
指先で「止まれ」と伝え、
もう一方の手で足元の段差を指し示す。
クララは頷き、
光を灯したランプの揺れに合わせて一歩ずつ進んだ。
その瞳の中で、炎がゆらゆらと揺れていた。
階段の下には、低い扉があった。
木が黒く焦げ、鍵穴には古い封蝋が残っている。
そこに刻まれている文字。
《Silencio servato》
――「沈黙を守れ」。
ルーチョは鍵を手にした。
錆びていて、動かすたびに小さな音が鳴る。
その音を、クララが指で感じ取る。
「……鐘の金属と同じ響き。」
彼女の手話が、灯りの中で揺れた。
鍵が回る。
扉が軋み、空気が変わる。
下から流れてきたのは、
古い石の匂いをまとった風。
その中に、かすかな“音の名残”が混じっていた。
中は広くはなかった。
十字のアーチが低く、
中央に円形の石の台。
その上に、半分埋まった鐘の心臓――クラッパーがあった。
ルーチョが息を呑む。
「……あった。」
彼が触れようとした瞬間、クララの指が止めた。
“待って”と手話で伝える。
クララはゆっくりと近づき、
両手をその金属の上に置いた。
冷たい。
けれど、確かに震えていた。
“生きてる”
彼女の指がそう語っていた。
わたし――ピッコロは、階段の上からその光景を見ていた。
ランプの灯りが、クララの頬を照らす。
彼女は目を閉じ、指先でゆっくりと金属を叩いた。
音は出ない。
けれど、空気が波打った。
その振動が、
わたしの羽にも伝わった。
……鳴っている。
鐘は声を失っても、まだ夢を見ている。
その夢の残響が、
丘の下で“祈りの形”になって息づいていた。
クララの頬を涙が伝い、
ルーチョはただ見つめていた。
彼女の手が止まり、
手話が灯りの中に浮かぶ。
“この鐘は、まだ赦しを待っている。”
わたしは羽を震わせた。
沈黙の鐘が鳴るとき、
街の夢がもう一度動き出す――
そんな予感が、地下の冷気に溶けていった。
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