42

カム口

プロローグ  止まった時計

夜の途中で、ふと目が覚めた。


枕の下でスマホが震えた気がしたが、

着信音は鳴っていない。


カーテンの隙間から月の欠片が差し込み、

寝室を青白く染めている。.


壁の時計は止まったままだ。

秒針が、二時十四分の上で凍っている。



布団の中で体を少し動かそうとした。

だが、思ったよりも重い。


全身が夜に縫い付けられているようだ。


外の音もない。

車のエンジン音も、冷蔵庫の唸りも消えている。


世界そのものが、眠ってしまったみたいだった。



枕元のスマホがかすかに光る。


画面には、見たことのない数字が浮かんでいる。

白い数字が、黒の中でゆっくりと減っていく。


タイマーでも、通知でもない。

指で触れても、光は逃げなかった。


息を吐くと、白いものが浮かんで見えた。

暖房もない部屋なのに、息は冷たい。


その白さが、布団の中の闇をかすかに照らす。



隣には妻が眠っている。

薄い布団の山の向こうに、背中の丸みだけが見える。

寝息は静かすぎて、聞こえるか聞こえないかの境を揺らいでいる。


いつもなら寝返りを打つのに、今夜はまったく動かない。


「……寝てるのか」


囁いても反応はない。



ためらいながら、布団の下で手を伸ばす。

指先が、彼女の腕に触れる。


思ったよりも冷たく、

けれど石のような硬さではない。


そこに“温度の記憶”だけが残っている感じだった。


もう一度、呼んでみた。

「おい、起きてるか」


声は布団の中で吸い込まれて、

自分の耳の中に戻ってきた。



そのとき、妻の肩が――

ほんのわずかに動いた。


息を呑む。


だが次の瞬間、彼女は再び静止した。

まるで動いたのは影だけだったように。


スマホの数字がまた減る。


光がカーテンを透かして、

天井に細い筋を描く。


部屋の空気が波打つように感じられた。



胸の奥で心臓が一度だけ跳ねる。


呼吸を整えようとするが、喉が乾いて音を出せない。


——もう一度、確かめたい。

妻が本当に、そこにいるのか。


けれど布団の外に出る勇気が出ない。

今、動いたら何かが壊れる気がした。


自分の周囲だけが、

世界の残りかすのように残っている。



妻の方から、小さな音がした。


何かが空気を擦るような、かすかな動き。

寝返りだと思い、安堵しかけた瞬間――


彼女の頭がこちらを向いた。


閉じた瞼の下で、目が動いている。

その動きが、まるで“探している”ように見えた。



スマホの光が、彼女の頬をかすめた。

——42という数字が、頭に浮かんだ。


なぜかわからない。

ただ、その数だけが鮮明に焼きつく。


息を吸う。

吐くたびに、夜が少しずつ近づいてくる。


そして最後に、光が完全に消えた。


世界が、再び眠り始めた。


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