第4話#ブロックしたら彼女の感情が流れ込んできた
1
「ハルトくん、今日も会えて嬉しい」
彼女——柏木ユイは、俺の腕にしがみついた。
俺——田村ハルトは、優しく微笑んだ。
「俺も」
ユイは、俺の大学の後輩だ。
一年前に告白されて、付き合い始めた。
最初は、普通の恋人だった。
でも——だんだん、変わっていった。
「ねえ、ハルトくん。明日も会える?」
「明日は、バイトがあるから……」
「そっか……」
ユイは、俯いた。
「じゃあ、バイト終わったら会える?」
「うん、終わったらね」
「何時に終わる?」
「たぶん、9時くらいかな」
「じゃあ、9時に駅で待ってる」
「え、でも遅いし……」
「大丈夫。ハルトくんに会えるなら、何時間でも待てるよ」
ユイは、笑顔で言った。
でも——その笑顔が、少し重い。
2
それから、ユイの連絡が増えた。
朝起きると、LINEが50件以上溜まっている。
「おはよう、ハルトくん」
「今日も頑張ろうね」
「ハルトくんは今、何してる?」
「返信ないけど、大丈夫?」
「ねえ、ハルトくん」
「ハルトくん」
「ハルトくん」
俺は、できるだけ返信するようにしていた。
でも——授業中やバイト中は、返せない。
そうすると、ユイは不安になる。
「ハルトくん、返信ないと不安になる」
「私のこと、嫌いになった?」
「ねえ、返信して」
俺は、疲れていた。
でも——ユイを傷つけたくなかった。
ある日、友人の佐藤に相談した。
「なあ、彼女が重いんだけど、どうしたらいい?」
「それ、完全に依存じゃん。お前が優しすぎるから、余計依存されるんだよ」
「でも……ユイは、俺がいないとダメだって……」
「それ、お前の責任じゃないから。距離置いたほうがいいって」
「距離って……」
「ブロックしろよ。お前のためでもあるし、彼女のためでもある」
「でも……」
佐藤は、真剣な顔で言った。
「お前、このままだと壊れるぞ」
3
その夜、俺は決意した。
ユイを、ブロックする。
これは、俺のためでもあり、ユイのためでもある。
ユイが俺に依存し続けるのは、良くない。
俺は、スマホを開いた。
手が、震えている。
ユイのLINEを開く。
「ハルトくん、今日も一日お疲れ様」
「明日も会えるよね?」
「返信待ってる」
俺は——ブロックボタンを押した。
画面が切り替わる。
「この連絡先をブロックしました」
俺は、スマホを置いた。
心臓が、激しく鳴っている。
「……これで、いいんだ」
でも——胸の奥が、痛い。
その夜、俺は眠れなかった。
4
翌朝、俺は異変に気付いた。
胸が、苦しい。
呼吸が、浅い。
まるで——誰かが、泣いているような感覚。
「……なんだ、これ」
大学に行くと、友人の佐藤が声をかけてきた。
「おい、ハルト。顔色悪いぞ」
「ちょっと……体調が……」
「大丈夫か?」
「うん……多分」
でも——胸の苦しさは、消えなかった。
そして——突然、涙が溢れた。
「え……?」
俺は、泣いていた。
理由が、分からない。
悲しくない。
なのに、涙が止まらない。
「おい、ハルト! どうした!」
佐藤が、俺の肩を掴んだ。
「分からない……なんで、泣いてるのか……」
俺の心臓が、激しく鳴り続けている。
まるで——誰かの心臓が、俺の中にあるような。
5
その日の夜。
俺は、ベッドに横たわっていた。
胸の苦しさは、消えない。
それどころか——感情が、揺れ動いている。
突然、怒りが込み上げる。
「……なんで……なんで俺を捨てたの……」
俺は、呟いた。
でも——それは、俺の感情じゃない。
誰かの感情が、俺の中に流れ込んできている。
「ユイ……?」
そうだ。
これは、ユイの感情だ。
ユイが泣いている。
ユイが怒っている。
ユイが苦しんでいる。
それが、全部俺の中に流れ込んできている。
「やめてくれ……」
俺は、頭を抱えた。
でも——感情は止まらない。
俺の心臓が、ユイの心臓と同期している。
ユイが泣くと、俺も泣く。
ユイが怒ると、俺も怒る。
ユイが苦しむと、俺も苦しむ。
「……もう、やだ……」
俺は、スマホを開いた。
ユイのブロックを、解除する。
そして——メッセージを送った。
「ごめん、ユイ。会いたい」
すぐに、既読がついた。
でも——返信は来なかった。
6
翌日、俺はユイの家に向かった。
呼び鈴を押すと、ユイが出てきた。
「……ハルトくん」
ユイは、いつもと違った。
髪はボサボサで、目は腫れている。
そして——右手首に、包帯が巻かれていた。
「ユイ……その手……」
ユイは、俯いた。
「ハルトくんに、ブロックされて……死のうと思った」
俺の心臓が、止まりそうになった。
「ユイ……」
「でも、気付いたの」
ユイは、顔を上げた。
その目は、涙で濡れていた。
「もう、離れられないんだって」
「え……?」
「ハルトくんの中に、私がいる。私の中に、ハルトくんがいる」
ユイは、俺の手を握った。
その手は、冷たかった。
「ハルトくん、感じるでしょ? 私の感情」
「……ああ」
「それは、私たちがもう——一つになったってこと」
ユイは、微笑んだ。
「だから、もう離れられないよ」
7
それから、俺の感情は完全にユイと同期した。
ユイが笑うと、俺も笑う。
ユイが悲しむと、俺も悲しむ。
ユイが怒ると、俺も怒る。
もう、自分の感情が分からない。
どこまでが俺で、どこまでがユイなのか。
境界が、曖昧になっていく。
ある日、ユイが言った。
「ねえ、ハルトくん。一緒に歩こう」
「……うん」
俺たちは、手を繋いで歩いた。
でも——俺の足が、勝手に動いている。
ユイと同じタイミングで、同じ歩幅で。
まるで、操られているような。
「ハルトくん、幸せ?」
ユイが、微笑んだ。
「……幸せ」
俺は、そう答えた。
でも——それは、俺の言葉なのか。
それとも、ユイの言葉なのか。
もう、分からない。
8
ある夜、俺は鏡の前に立った。
鏡に映る自分を見つめる。
でも——その顔は、俺の顔じゃない気がした。
目の奥に、ユイがいる。
「ハルトくん」
ユイの声が、頭の中に響く。
「私たち、もう一つだよ」
「……ああ」
「離れられないよ」
「……ああ」
「ずっと、一緒だよ」
「……ああ」
俺は——もう、抵抗する気力もなかった。
ユイの感情が、俺を支配している。
俺の意志は、もう存在しない。
ただ、ユイの意志だけが、俺を動かしている。
鏡の中の俺が、笑った。
でも——それは、俺の笑顔じゃない。
ユイの笑顔だ。
9
翌日、俺とユイは公園を歩いていた。
手を繋いで、同じリズムで。
俺たちは、同じ言葉を話す。
「今日は、いい天気だね」
「今日は、いい天気だね」
俺とユイの声が、重なる。
通りすがりの人が、不思議そうに俺たちを見た。
でも——俺たちは、気にしなかった。
ユイが、俺の肩に頭を乗せた。
「ハルトくん、幸せ?」
「幸せだよ」
「ずっと一緒にいようね」
「ずっと一緒にいるよ」
俺たちは、同じ言葉を話した。
同じタイミングで。
同じ声で。
もう、どちらが話しているのか、分からない。
ユイは、幸せそうに微笑んでいた。
でも——俺の目は、虚ろだった。
俺の心は、もう空っぽだ。
ただ、ユイの心だけが、俺を動かしている。
10
その夜、俺はスマホを見た。
新しい通知があった。
@anataがあなたをフォローしました
メッセージが届いている。
「愛と依存の境界線は、どこにある? 君はもう——自分じゃない」
俺は、スマホを落とした。
ユイが、隣で微笑んでいる。
「ハルトくん、誰からのメッセージ?」
「……誰でも、ない」
「そう。じゃあ、もう寝よう」
ユイは、俺の手を握った。
その手は、冷たかった。
でも——俺は、もう何も感じなかった。
ただ、ユイの感情だけが、俺の中にある。
俺は——もう、俺じゃない。
ユイと、一つになった。
それが、幸せなのか。
それとも、呪いなのか。
もう、分からない。
ただ——ユイは、幸せそうに微笑んでいた。
そして、俺も——同じように微笑んでいた。
【Episode 04:終】
次回予告
Episode 05:#晒したら晒し返された(そしてスカッと)
「正義の連鎖は、誰も救わない」
#消せないリプライ Season 1
@anataは、あなたの心臓と同期している
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます