第6話
「あ、ユウジさん!おはようございます!よく眠れましたか?」
僕の姿を見つけると、ルナさんが満面の笑顔で迎えてくれた。
「はい、おはようございます。宿、すごく快適でした」
「ふふ、それはよかったです。『木漏れ日の亭』のベッドは、ギルドでも評判なんですよ」
ルナさんは、楽しそうに笑っている。
その笑顔に、僕も少し緊張がほぐれた。
「あの、今日は何か依頼を受けようかと思って来たんですけど」
「依頼、ですか。Sランクの、ですよね?」
ルナさんが、少し表情を引き締めた。
「はい。何か、僕にもできそうなものはありますか?」
「ええと、Sランクの依頼ですね……。少々お待ちください」
ルナさんは、カウンターの後ろにある棚から、分厚いファイルの束を取り出した。
パラパラと、すごい速さでページをめくっていく。
僕は、どんなすごい依頼が来るのかと、少しだけ身構えた。
ドラゴン討伐とか、魔王の城に乗り込むとか、そんな感じだろうか。
しかし、ルナさんはすぐに困ったような顔をして、僕に向き直った。
「……それが、ユウジさん。大変申し上げにくいのですが、現在ユウジさんがお一人で受けられるSランクの依頼は、一件もないようです」
「え、そうなんですか?」
僕は、拍子抜けしてしまった。
「はい。Sランクの依頼というのは、そのほとんどが国の存亡に関わるような、非常に大規模で危険なものばかりなんです」
「はあ」
「例えば、この『エンシェントドラゴンの討伐』や、『奈落の迷宮(アビス・ラビリンス)』の最深部踏破などですね」
ルナさんが、指差した依頼書には、とんでもない内容が書かれていた。
「こういった依頼は、通常、Sランクのパーティーが複数合同で、数ヶ月、あるいは数年がかりで取り組むものなんです。登録されたばかりのユウジさんに、いきなりお一人でお願いできるようなものは、ちょっと……」
「なるほど……」
確かに、レベル45になったとはいえ、ドラゴンと戦った経験も、迷宮に潜った経験もない。
いきなりそんなことを言われても、困ってしまっただろう。
「うーん、どうしようかな」
僕は、腕を組んで考える。
せっかくギルドに来たのに、このまま宿に戻って寝るだけ、というのも味気ない。
そんな僕の様子を見て、ルナさんが何かを思いついたように、ポンと手を打った。
「あ!もし、よろしければですが……」
「はい?」
「Sランクの方が受けるのは、少し気が引けるかもしれませんが……。まずは、下位の依頼で冒険者としての経験を積まれてみる、というのはいかがでしょうか?」
「下位の依頼、ですか?」
「はい。ギルドの規則では、上位の冒険者が下位の依頼を受けることに、特に制限は設けておりません。もちろん、報酬はランク相応のものになってしまいますが」
「なるほど。それはいいかもしれないですね」
僕も、まずはこの町のことを知ったり、冒険者としての仕事に慣れたりする方が先決だと思っていた。
「じゃあ、何か簡単な依頼はありますか?初心者向けのやつで」
「初心者向け、ですか。Sランクの方にそう言われると、なんだか不思議な感じがしますね」
ルナさんは、くすくすと笑いながら、今度は別のファイルの束を持ってきた。
「そうですね……。あ、これはいかがでしょう?『薬草採取』の依頼です」
「薬草採取?」
「はい。このアークス周辺の森に生えている、『月影草(つきかげそう)』という薬草を10本採集してきてほしい、という依頼です。ランクは、一番下のFランクになりますが」
Fランク。昨日までなら、僕にぴったりの依頼だったろう。
「……」
「あ、あの!もちろん、ご不満でしたら他の依頼を探しますが……!」
僕が黙り込んだので、ルナさんが慌てて付け加える。
「いえ、それがいいです。その依頼、受けさせてもらえますか?」
「え!?よ、よろしいのですか?」
「はい。ちょうど、森の様子も見ておきたかったので」
レベルが上がったとはいえ、この辺りの地理には全く詳しくない。
森の散策がてら、薬草を探すのも悪くないだろう。
「か、かしこまりました!そ、それでは、Sランク冒険者ユウジさん!Fランク依頼『薬草採取』、受注完了です!」
ルナさんが、ものすごく緊張した面持ちで、依頼書の控えを僕に渡してきた。
そのやり取りを、周りの冒険者たちが遠巻きに見ていた。
そして、僕がFランク依頼を受けたと知ると、ギルドの中は再び騒然となった。
「おい、聞いたか?Sランクのユウジ様が……」
「Fランクの、薬草採取の依頼を受けたってよ!」
「な、なんでまた……?Sランク様が、わざわざそんな雑用を……」
「馬鹿!お前には分からんのか!」
突然、ベテラン風の冒険者が、そう叫んだ。
「え?」
「Sランクほどの御方になると、俺たち下々の者とは見ている世界が違うんだよ」
「ど、どういうことです?」
「おそらく、あの御方は、初心に帰ることの重要性を俺たちに示してくださっているんだ。どれほど強くなろうとも、基本を疎かにしてはならない、と」
「な、なるほど……!」
「深い……!Sランク冒険者の考えは、深すぎるぜ……!」
モブの冒険者たちが、なぜか勝手に納得して、僕に尊敬の眼差しを向けてくる。
(いや、ただ単に簡単な依頼が良かっただけなんだけどな……)
僕は、心の中でこっそりと思った。
でも、わざわざ訂正するのも面倒だ。
僕は、冒険者たちの尊敬の視線を背中に受けながら、ギルドを後にした。
まずは、武器屋に行くべきだろうか。
いや、薬草採取くらいなら、木の枝でも大丈夫か。
そんなことを考えながら、僕は町の門へと向かった。
門には、昨日とは別の衛兵が二人立っていた。
僕が門を通り抜けようとすると、昨日と同じように槍で止められる。
「待て。どこへ行く。身分証を見せろ」
衛兵が、威圧的に言ってくる。
僕は、何も言わずにSランクの冒険者カードを差し出した。
衛兵は、それをちらりと見ると、次の瞬間、顔色を変えた。
「え……S!?こ、これは、Sランクの冒険者カード!?」
「ま、間違いありません!アークスの紋章です!」
二人の衛兵の態度が、一瞬で豹変した。
ガシャン、と音を立てて、その場で直立不動の敬礼をする。
「し、失礼いたしました!Sランク冒険者様とは知らず、大変無礼を働きました!」
「どうぞ!お通りください!」
二人は、僕が通り過ぎるまで、ピシッと姿勢を正したままだった。
「……すごいな、Sランクって」
僕は、カードの持つ力に改めて感心しながら、町の外に出た。
目指すは、アークス周辺の森だ。
森に入ると、昨日とは比べ物にならないほど、感覚が研ぎ澄まされているのが分かった。
風の音、木の葉の擦れる音、そして、遠くで動く魔物の気配。
その全てが、手に取るように分かる。
これが、レベル45の力。
僕は、森の中を慎重に進んでいく。
薬草採取の依頼とはいえ、油断は禁物だ。
そう思っていた矢先、茂みの中からガサガサと音がした。
「グルルル……」
現れたのは、ゴブリンの群れだった。
全部で五匹。昨日、僕が一撃で倒した相手だ。
僕は、その辺に落ちていた手頃な木の枝を拾い、構えた。
そういえば、武器を買うのをすっかり忘れていた。
まあ、ゴブリン相手なら、これで十分だろう。
「ギギギ!」
ゴブリンたちが、棍棒を振りかざして一斉に襲いかかってきた。
僕は、深呼吸を一つ。
次の瞬間、僕は地面を蹴っていた。
自分でも目で追えないほどの速度だった。
ゴブリンたちの間をすり抜ける。
ドサドサドサッ。
僕が立ち止まると、背後で五匹のゴブリンが、全て同時に倒れる音がした。
全て、一撃だった。
「……ちょっと、強くなりすぎかな」
僕は、手の中の木の枝を見つめながら、苦笑いするしかなかった。
これでは、強すぎて逆に目立ってしまいそうだ。
僕は、気を取り直して、目的の『月影草』を探すことにした。
依頼書によれば、少し湿った場所に生えているらしい。
森の奥へと、さらに足を進めていく。
レベルのおかげか、全く疲れは感じなかった。
しばらく歩くと、小さな川が流れている場所に出た。
この辺りかもしれない。
僕が、川岸を探し始めた、その時だった。
「きゃあああああっ!」
不意に、女性の甲高い悲鳴が、森の奥から響き渡った。
「!」
僕は、音のした方へと、全力で駆け出した。
木々をなぎ倒さんばかりの勢いで、森を突き進む。
数秒で、悲鳴の聞こえた場所にたどり着いた。
そこは、少し開けた場所になっていた。
そして、そこには。
「くっ……しつこい!」
銀色の髪を振り乱し、必死に剣を振るう一人の少女と、
彼女に襲いかかる、一体の巨大な魔物の姿があった。
魔物は、豚のような顔をした、身長3メートルはあろうかという巨体。オークだ。
少女は、見たところ僕と同じくらいの歳に見える。
綺麗な顔立ちをしていた。高そうな意匠の剣を構えているが、かなり苦戦しているようだった。
「グオオオオ!」
オークが、巨大な棍棒を少女に向かって振り下ろす。
少女は、それを剣で受け止めようとする。
「まずい!」
あの体格差だ。まともに受けたら、剣ごと吹き飛ばされてしまう。
「危ない!」
僕は、叫びながら二人の間に飛び込んだ。
そして、振り下ろされたオークの棍棒を、下から蹴り上げた。
バキィッ!
とんでもない音がして、オークの持っていた頑丈な棍棒が、根元から粉々に砕け散った。
「え……?」
少女が、何が起こったか分からないという顔で、僕を呆然と見ている。
棍棒を失ったオークが、驚き、僕に向き直った。
「グオオオオ!」
怒りの雄叫びを上げ、今度はその巨大な拳で殴りかかってくる。
僕は、ため息を一つ。
そして、そのオークのがら空きになった腹部に、軽く拳を叩き込んだ。
ドンッ、と鈍い音が響く。
オークの巨体が、くの字に折れ曲がった。
そして、そのまま光の粒子となって、静かに消えていった。
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