第28話 一筋の光







「……俺の、乳兄弟が、川に身を投じてくれたおかげでなんとか生き延びた。流れ着いた先で、たまたま拾って世話をしてくれた人がいて……俺は長い事生死の境を彷徨っていたから、意識がはっきりしたのはだいぶ先だったけど」


 火矢を受けた直後に、水に飛び込んだのが良かったとその人は言った。


「ち、乳兄弟の人は……?」


 震える声で聞いたナギに、アザードは静かに答える。


「――死んだ。自分も矢を受けてたくせに、俺を抱えて……流されながらも俺を離さなかった。俺を助けてくれた人に、俺のことを頼んでから事切れたらしい」


 幼い頃から、それこそ実の兄のようにアザードを守ってくれていたイフラス。

 アザードが彼の死を知ったのは、だいぶ後のことで。アザードはイフラスの死に目にもあえなかった。




*****  *****




 ナギは、なんと声をかけてよいか解らなかった。


 アザードの過去が壮絶すぎて、掛ける言葉が見つからない。

 なにか喋ったら、泣いてしまいそうだった。……でも、アザードが泣いていないから、ナギが泣くのは違う気がして。



「……火傷の痕は、焼かれた時よりも後が酷いんだ。しかもあれは、何か呪詛のような火だったから、範囲がデカくて。痛くて、苦しくて……なんであの時死ねなかったんだって何度も思ったよ。少し良くなっても、自分の姿を見る度に……何故って事しか考えられなくて……」



 美しいと、皆が褒め称えたそのかんばせはどこにもなくて。

 四六時中皮膚の痛みと悪夢に苛まれる。


 殺してくれと、思ったこともあった。

 いつ、死んでも構わなかった。



「療養していた二年くらいは、茫然自失で。けど、俺を助けた人が……まあ、変わった人で。見るからに訳アリの死にかけの子どもの世話を続けてたこともおかしいんだけれど」


 元々色々な所を旅してたらしいその人は、生きる気力の無くなったアザードを、根気強く励まし、身の回りの世話を焼いてくれた。


 「……俺の火傷の傷が少し良くなった頃に国を出て、その人の旅に同行するようになって」


 お金も、身分も、生きる力もないアザードは、その人に着いて行くしかなかった。全くの赤の他人の命をここまでして繋いでしまったのだから、その時はもう、逆らう気も起きなくて。その後の生き方も、その人に習ったとアザードは言った。


「……兄を恨もうと思ったこともあったけど。最後に兄と会っていないから……どんなに思い返しても、優しいあの人との思い出しか出てこない」


 優しく、アザードの名を呼んでくれた兄の姿は、いつでも思い浮かべることができるのに。


「なのに、……なのに自分の顔を鏡で見ると思い知らされるんだ。――兄に、うとまれていた事実を」

「――――ッ!!」



 世界の全てが兄だった。



 兄のためなら死んでも良かったのだ。彼のためになら、いつだってこの命を差し出したのに。


 あの王宮での日々が、全て嘘だったのか。

 あの、優しかった微笑みは。


 アザードに唯一残されたのは、醜い火傷の痕と混沌だけ。

 あの幸せな日々は、まるで砂漠の蜃気楼のように消えてしまった。



「師匠が……、俺を助けてくれた人のことだけど。……あの人が死ぬことを許してくれなかったから、言われるがまま着いて行った」


 アザードが受けた炎の矢は、呪詛のようなものが練り込まれていた。


「人の手では、この痕は消えないかもしれないと。でも……師匠が言ったんだ。『世界にはどんな傷も癒やすことの出来る龍がいる』って」


 悪夢にさいなまれ、焼痕を見る度に己の存在を罪と感じるアザードに、師匠は新しい名と行く先を与えた。


「その痕を見る度に思い出すと言うなら、――龍に、この火傷の痕を治してもらえば、もう一度新しい人生が送れるのではないか、と」



『悩んでいてもいなくても、同じ様に時は流れるんだアザード。ならば、少しでもマシな生き方をした方がいい』



 忘れることは、別に悪いことじゃない。新しい人生を生きろ。と師匠は言った。






 灯りの下で揺れる金の瞳に、ナギは堪えていた涙が我慢できなくて、自然にこぼれ落ちる涙とともに、アザードをぎゅっと抱きしめた。


「――見つけよう。ぜったい。絶対に龍を見つけて、治してもらおう!」


 


 生きる希望など、一つもなかった。



 兄にも疎まれた、この醜い姿の己を。必要とする者なんていはしない。

 けれど、小さく芽生えた……見知らぬ北の地での一筋の光。


 俺、全力で応援するから。と、

 

 そう言ってアザードを抱きしめて泣いた大男の背中を、アザードは迷った末にぎこちなく抱きしめ返した。



【第5章につづく】

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