まったく、綾女さんの言う通りなのだ。お酒のせいにするには、どう考えても酒量が足りていなかった。もっと浴びるように飲んでいれば、あるいはそのせいにできたかもしれないけれど。

 返す言葉もなく、惨めな子供みたいにべしょべしょと泣くしかできない私に向かって、綾女さんはすんなりと細い腕を差し伸べた。

 「ごめんなさい。意地悪を言ったわね。そう、お酒のせいだわ。」

 綾女さんの凪いだ言葉を耳にして、私は辛うじて顔を上げることができた。彼女の白い小さな顔には、微笑が浮かんでいた。さっきまでのいたずらな表情ではなく、もっと色がない、静かな微笑。まるでそこに感情なんてないみたいな。

 「……、」

 ごめんなさい。

 夫と息子に対する圧倒的な罪悪感さえなければ、私はそう謝っていただろう。綾女さんを傷つけた気がした。あなたとの関係は、たかがグラス一杯のお酒のせいよ、なんて言ったも同然だ。けれど私はすぐに思い直したのだ。綾女さんみたいにそこにいるだけで華やかにうつくしいひとを、私みたいないてもいなくても同じみたいな女が、傷付けられるはずもない。それはただの、思い上がりだ。

 「もう、帰るのね? 駅まではバスが出ているの。送るわ。」

 静かでごく穏やかな口調で、綾女さんが言った。やはりそこには感情の色がない。私はそのことに安堵した。どうしたって、私ごときがこのうつくしいひとを傷つけられるはずはないと。

 「ひとりで、帰れます。」

 涙を指先で何度も拭う私を見た綾女さんは、迷子の子どもを見つけたときみたいに困惑気味な表情を見せながらも、わずかに唇の端を持ち上げた。

 「目が腫れてしまうわよ。」

 そしてベッドから下りてきた綾女さんは、私の前にふわりと膝をつくと、私の裸の肩に両方の手のひらを置き、さっきベッドの中でしたのと同じように、涙の雫を舌先ですくった。綾女さんの舌は、すべらかであたたかくて、まるで涙を拭うために存在する器官みたいに感じられた。さっきまで、私の身体を性器の一部みたいに這っていた舌と、同じ器官とは到底思われないくらいに。

 綾女さんから与えられた快楽の記憶が、甘く体の中心を走る。

 「……ありがとう、ございます。」

 ぎこちなく私が礼を言うと、綾女さんは舌を引っ込めて、しなやかな動作で立ち上がった。そして白い肌の上に、シャンパンベージュのワンピースを身に着ける。私はその様子を見つめながら、もったいない、と思った。綾女さんの肌があまりにうつくしいので、布なんかで隠してしまうのはもったいないと。

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