ELO.//Episode
瑶飄A.O
ELO.EP.1//浮影狼藉
全ての世界に重力はある。天国も、地獄もな。
イロ・テキサス・キャラウェイ ルシ・曙
|狩猟
|USCUC-UM UpS-Ⅲ ナイトクラブ “Three-Legged Bear”
|156/6/05 22:21
#1
深夜。
それは魑魅魍魎が蠢く時。
人を幻惑するネオンは激しい音楽と共に揺れだし、アルコールと大麻の独特な刺激臭は踊る人の群れを燻り、フェロモンと混ざって隅の影へと溶け込んで行く―――ここにいる全ての者がハンターであり、獲物だ。
誰もが疑心暗鬼、誰もが互いを疑う。
そんな中、一人の少女が空になったガラス瓶をため息と共にカウンターの前へと押し出す。
それは綺麗な少女だった。
艶のある真っ直ぐな濡羽色の髪は彼女の華奢な腰までかかっていて、危険なほどに澄んだ酒紅色の瞳は、気怠い表情のまま頬杖をつき、場内全体を眺めていた。
少女は静かに、だが何かを探るように視線を移す。
入り口、私服の警備、踊る人、回るシャンパングラス、隠された銃器に袖口から存在感を放つ刺青。
嫌でも脳に入ってくる、本能と経験によって収集された情報の数々を咀嚼しながら、少女は軽く指でカウンターを叩く。
すると。
「―――状況は?」
耳にかけたイヤホンから流れるのは若い女性の声だった。若く、活力がある。だがどこか呆れがこもったその声は問いかける。
「三時間もこもっているんだから、少しぐらい情報を掴めた?」
「少しな」
簡単に返事を返し、少女は軽く指で耳を押さえる。
「そっちは?」
「こっちもある程度は―――いい知らせと悪い知らせがある、どっちから聞きたい?」
「いい知らせから」
「建物に電力を供給する配電盤を見つけた」
つまりいつでも混乱を引き起こせる訳だと、少女は頷く。
「悪い知らせは?」
「守備が厳重、突破に時間がかかる」
「即効性がある訳ではないってことか」
それは少し困った。
そう思いつつ、バーテンダーに手を振って、少女はテキーラを一杯頼み込む。まろやかな味わいのあるキャラメル色の液体は瓶から杯に注ぎ込まれ、隣の皿には一握りの塩と一枚のレモン。
味変は大切だ。同種の刺激では舌が鈍る。
「猶予は?」
「三十秒!でもね、イロ。こういう建物って必ず予備電源があるの、最長一分で復帰するよ?」
「ターゲットに辿りつくまでには十分過ぎる、曙。今から取り掛かってくれ」
イロと呼ばれた少女は酒を呷り、ゆっくりと立ち上がる。高濃度のアルコールが喉を焼き、食道を焼き、感覚が限界まで研ぎ澄まされ、敏感に周囲の環境を掌握。
「すぐに終わる」
絹のような黒髪は羽織っていたコートの辺縁から滑り落ち、異様な雰囲気を醸し出す。踊り場で我を忘れて踊り狂う者たちと違い、人混みに混じって目を光らす巡回者と違い、薬と肉欲に溺れ肌を晒し出す者と違い。
イロは、彼女は。
異常そのものだった。
泥に埋もれない白蓮の如く、翼を広げるカラスの如く。
犯罪者の中でも名を馳せた伝説の一人が、場違いとも言えるほどの存在感を放っていた。
今から起こるのは悲劇ではない。裁きでもない。
ただの狩りだ。
ギャングのボスという悪を喰らう、さらなる悪だ。
#2
それは一瞬の出来事だった。光が点滅し、電気を貪る機械の化物たちは呻き声を上げる。
場内。秩序ある混乱が静寂となり、そのまま困惑となって波紋を広げる。
ある者は戸惑い、ある者は無意識に手を服の裏側に滑り込む。
そんな中。
暗闇に紛れ、黒髪の少女は踊り出す。光が死ねば、獣の目が生きる。
一歩。
軽快なステップを踏み、自由な影は音もなく人混みに紛れ、前進。
その視線の先はこのナイトクラブの二階への入り口。
一般向けのフロアと違って、二階は複数の部屋で構成されたVIP専用のフロア。
それも当然、警備がつく。
一人目は状況を素早く掴み、即座に警戒モードに入ったベテランだった。顔の半分を横断する古い傷跡が物語るかのように、彼は銃を引き抜き、無線に手を伸ばす。
だが、それはイロにとってあまりにも遅すぎる。
人の群れという茂みから飛び出る捕食者のように。腰を低く、カーブを描くイロは彼の懐に潜り込み、発砲できないよう銃を掴むと同時に、重心を崩す。
赤い絨毯の上に鈍い衝突音が響き、頭部を打たれ、一瞬気を失った敵に追い討ちをかけるようにイロはその顔面に自身の体重を乗せ、踏み抜く。
二人目は簡単だった。
突然の暗闇で視覚を奪われ、ウロウロしている若者のアゴに目がけて拳を振る。横から流れてくる拳の風圧を感じ取ったのか、僅かに目線の焦点が合致した後、外れたアゴと硬直した四肢が天井に向かって跳ね上がった。
朝飯前のつまみ感覚で入り口の戦力を片付けた後、イロは適当に鹵獲品である拳銃をチェックし、手触りを確認する。
よくも悪くもない。だが普通と言えるかと言われれば、そうでもない。
違法改造で連射可能にしたせいで規格品より重い。手入れもできていない。これは下っ端の特徴だ。廉価で大容量。狙い撃ちよりはトリガー押しっぱなしによる運試し。
とはいえ、ないよりはマシかな。と、イロは怠そうに垂れた髪を耳元に掛ける。
「金髪、白のシャギーファーベストに同色ズボンだっけ?」
二階を一瞥し、イロはゆっくり拳銃の埃を払い落とす。
「あぁ、あと丸いサングラスか……そういえば名前なんだっけ?」
「アベル・クロードだよ」
無線の向こうから棍棒が何か柔らかい物を殴ったような背景音に混じりながら返答が返ってきた。
「元マンチーニファミリーのカポだったけど、麻薬で切り捨てられたやつさ」
「その落ちこぼれのツラを今から拝みにいくわけか」
倦んだ目で、イロはセーフティを外す。
上の物音からして数人程度、武装は不明。だが長物はないだろうと、イロは考える。
軽やかに階段を駆け上り、人工革で包まれた鉄の扉を最小限の力で押す、そうしようとした瞬間。
扉は内側からの力によって開かれた。
その中から出てきたのはスーツを着込んだ男性だった。黒一色で洗練されていて、ネクタイも歪みがない。
だがそれは重要ではない。
重要なのはその手に握っている無線機と、脇下にちらっと見える冷たい金属の色。
それはイロにとって強い既視感のあるものだった。
そう、さっき眠りに誘った奴らと同じ―――
思考より先に本能が神経を迸る。
自分の口から漏れる軽い罵声と共に、イロは扉を蹴った。
重い鋼の扉は反発する力に負け、通ろうとした者の体を挟み込む。
一瞬にして圧迫された肺から湧き上がる悲鳴を収束したのは硝煙と鉛の響き。
「「!?」」
驚愕と緊張、それに続くのは数束の懐中電灯の光。
しかし。
扉の隙間から無力にゆっくりと地面へと滑り落ちる男以外何もない。
顔が見えず、吹き飛んだ血は脳みその一部と共に扉の内側にへばりつき、重力に従って緩やかに滴る。
襲撃者の姿はない。あるのは犠牲者の屍だけ。
一階のフロアからのざわめきとは真逆に、扉の向こう側は静かだ。
まるで。
そう。
まるでもうすでに、部屋に入り込んだかのような、不気味な静寂。
部屋にいる四人の男は誰も動かない。動けない。なぜならソファーの影で睨みを効かせた化け物はもうすでに、彼らに牙を向けた。
先にやられたのは扉に近い護衛だった。
肉眼では捕捉できない、銀の閃光が筋となってその護衛の頸を通り、光が乱れ、鉄錆の匂いがテーブルに置かれた果物の甘みに染み込む。
次にやられたのは壁際に立つ方だ。
わざと倒したテーブルを遮蔽に、全員の死角から侵入者は跳躍。
人間とは思えない早技は質量と慣性を持って襲来。
悲鳴も、物音もしない。
それは、抗いようのない圧倒的な暴力だった。
次の瞬間。
最後の護衛は銃弾を怒号の代弁として放つ。
それは恐怖による物であり、窓際で呆然としたボスを守るための責務でもある。
だが。
侵入者はそれをものともしない。
暖かい死体を盾に、少女の姿をした怪物は鉛の玉で返事を交わす。
数度の口論の末、片方の声は段々と弱まり、最後は無に沈む―――そのすべては窓に身を寄せ、小刻みに震える金髪の男の目に収まっていた。
「だ、誰だ!」
喉が緊張で乾く。男は思わず唾液を飲み込み、両手を壁に張り付く。
「俺に何の―――」
その言葉は光に埋もれた。銃口から噴く火炎の光ではない。予備電源が接続され、ネオンと心臓を殴るほどの音響が再び目を覚ます。
光が戻る。紫の調光に血の赤だけが沈む。
薄闇の中、一人の少女が退屈そうな表情で姿を現した。
黒い髪に、赤い瞳。
華奢で、危険な香りを放つ彼女を、男は知っている。
アベル・クロードとしてではない。もっと昔の、それこそ五大ファミリーの一員として、アベル・マンチーニという身分を持っていた頃からその名とその顔を知っている。
「お、お前は!」
アベルの声は震える。鼻から滑り落ちたサングラスを戻す余裕もなく、彼は震えた指で少女を指差す。
「
それは名前ではなく称号。
何もかも荒らし尽くす、得体の知れない化け物たちの一人しか許されていない唯一無二の通り名。
「へぇー」
イロは退屈そうにアベルへ歩み寄る。
「ずいぶんと懐かしいネームで呼ばれたものだな」
「お前!海底監獄に閉じ込まれたんじゃなかったのか!?」
「古いねぇ〜」
窓に近いから、ここで打つとガラスが割れそうだなっと思いながら、イロは容赦無くアベルの骨盤に目がけてトリガーを引く。凄まじい初速を持った弾丸はアベルの骨を砕き、肉の中で回転し、組織を破壊する。
悲鳴ではない、ただ痛みが音に変換され、部屋を満たす。
物理的な構造上、自身の体重を支え切れず膝をつくアベルの額に銃口を当て、イロは問う。
「遺言は?」
「なん、何で俺を―――」
その言葉を遮るように、蜘蛛状にひび割れたガラスにもたれかかり、額に大穴ができた屍が無力に床へと倒れ込む。
うんざりした手つきで銃を適当に捨て、イロは取り出したハンカチで手を拭きながらこう告げる。
「簡単さ。……出所祝いだよ」
硝煙が消え、ただただ血と肉が残る部屋で、イロは軽くイヤホンを叩く。
「こっちは終わったぞ」
「手際がいいね」
イヤホンの向こうから感嘆な声が漏れ出す。
「出られそう?」
「問題ない」
そう言いつつ、イロは肘ですでにひび割れた窓を割る。
冷たい風だ。月もない。海底監獄に三ヶ月閉じ込まれていた彼女にとって、案外悪くない雰囲気。
「これでテストは終了、おめでとう」
「お世辞にしちゃずいぶん軽いな」
そういう物だよっと、イヤホンの向こう側から曙の軽い笑い声がした。
「改めておめでとう、イロ……いや、イロ・テキサス・キャラウェイ。これより君は私のチームのメンバー第一号であり、家族さ!他にもまだ候補者が数名いるけど、それもまた後の話だね」
印象はある。どちらも癖の強い連中だった。
邪教徒アンドロイドにテロリスト錬金術師。
……
……
そして犯罪者の中でも名前が残せるほど強い自分?
このチーム、本当に大丈夫なのか?
次の職場の未来を憂いながら、監獄から解き放たれた悪鬼は夜に溶け込むように、窓から飛び降りた。
ELO.EP.1//浮影狼藉 END
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