二十話 偽善の愛
エリーゼに、今してあげられるのはなんだろうと考えるより先に彼女を抱きしめたのは、科学者失格か。見てられなかった。怯えていて、すっかり意気消沈してしまったエリーゼは私の腕の中でぶるぶる震えている。エリーゼの父が相当な下衆だってことは知っている。私としても、エリーゼをそんな父のもとに晒すのは怖い。父はエリーゼに手を上げるかもしれないし、なにか酷いことを言うかもしれない。なにか要求するかもしれない。そうなれば注射器でちくっとして葬ってやりたいくらいには腹立たしい。
エリーゼのグレーダイヤモンドに浮かぶ絶望に私は苦しくなる。
「エリーゼ」
私は、エリーゼを呼ぶ。エリーゼはゆっくり顔を上げた。酷く、苦しそうな顔。それを撫でてやれば少しは穏やかになった気がする。
「どうする?私なら、この訪問を拒否することもできる。でも、もし君がそいつに会いたいなら、私は拒否できない」
こんな時までもエリーゼに選択させる私は酷い奴だろう。でも、これはエリーゼの問題だった。エリーゼがどうしたいか。
「君は何を選んでもいい。私は常に君の味方だ」
エリーゼは、私の髪を撫で付ける。髪が垂れてきていたのだ。エリーゼは、笑った。目を潤ませて。
「終わらせたいの。アレに会って、終わらせたい」
「君のためならなんだってする」
言うならこれは、私とエリーゼの数少ない家族にする挨拶みたいなものだ。少し状況は違うが、エリーゼの旦那として立派でなければならない。私はドクタースーツを脱ぎ、少しいい上質のスーツを羽織った。スーツ糊の匂い。
震えるエリーゼをもう一度抱きしめて、使いにエリーゼの父を通すように言った。
エリーゼの父は、エリーゼと同じグレーダイヤモンドの瞳だった。でも、エリーゼと違って輝きがなく、どちらかといえば炭の塊のようだった。酷く窶れているのに、目はメラメラ燃えている。私が深々とお辞儀をすれば、エリーゼの父、グレイは帽子を外して私に頭を下げた。そして、握手を求めるので手を出した。冷たい、しわくちゃの手。鉱夫かなにかだろう。
私たちは、グレイを応接間に連れていき、お茶を出した。
「エリーゼ、久しぶりだな」
さっきまで微塵もエリーゼを見ずに私を値踏みしていたグレイはようやくエリーゼに声を掛けた。エリーゼは、美しく笑う。エリーゼの底の見えない美しさ。それに私は息を飲んだ。
「久しぶりね。お父様。元気?」
「あぁ。元気だよ」
最近は肩をよく凝るがねと笑う父を見て、少し安心した。思っていたより普通の人だ。エリーゼは怯えも怒りも感じさせずに父に向かって微笑む。でも、その手はソファの上で震えている。私はそれに手を伸ばした。できるだけ優しく摩れば彼女はゆっくり震えを止めた。
エリーゼと父は当たり障りのない会話をする。だんだん耐えられなくなったエリーゼは言った。
「今日はなんの用でいらしたの?私たち、婚約の知らせはしたはずだけど、手紙が返ってこなかったから」
グレイはグレーの瞳を細めた。そして、大袈裟に笑って言った。
「なぁに、用がないといては行けないのかな?お前の旦那に会いに来たんだ。それと、ほんのお願いをしにね」
金だ。私はすぐにわかった。この男が求めているものがなにか。目は口ほどに物を言う。彼は私を見ては目を細める。
「あら、なんのお願いかしら」
エリーゼも、薄々気がついてる。
「随分売れてるらしいじゃないか。作品。なんだっけ?なんとか賞だって?」
エリーゼの体を舐め回すように見るのが堪らなかった。それが腹立たしかった。
「お父さんはね、君はお父さんにそろそろお金を入れてもいい頃だと思うんだよ」
エリーゼは顔を顰めて「え?」と呟く。グレイは笑っている。普通の笑みなのに、どこか気持ち悪く嫌味な笑みだ。私でもそれに気がつくんだ。きっとエリーゼはもっともっと不快に感じているはず。
エリーゼのグレーダイヤモンドが揺れるのを黙って見てるだけなのが、苦しくて仕方ない。
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