十三話 目は雄弁にものを語る
ちょっとした提案だった。読む資料が底を尽きて、いい資料を探しに行きたくてふと思い出した会員証の存在。久しぶりに図書館にでも赴くことにした。
いつものドクタースーツではなくシャツにスーツベスト。スラックスに黒い手袋と言った、少しラフで少しクラシックな服装。
私がリビングに来ると、読書中のエリーゼは私を見るなり「どこかへお出かけ?」と言った。だから私はエリーゼに図書館に行こうとしていることを伝えた。そして、その流れでエリーゼも来ないかと誘った。すると、嬉しそうに顔を明るくしたエリーゼがぱたんと本を閉じる。「行くわ!」と元気な返しをするとエリーゼはバタバタと自分の部屋に走っていった。
エリーゼとここ最近話し合って、私の邸宅で一緒に住むことにした。初めこそ自分の家を手放すのを惜しんで頷かなかったエリーゼだが、結婚したとなると一緒に住まない訳にもいかないし、エリーゼの家に私が住む訳にもいかないと判断し、私の邸宅に荷物を運んできた。エリーゼの荷物は見渡す限り紙類。服もジュエリーも大して持っていないエリーゼは、とてもエリーゼらしく私の目には映った。
エリーゼの私物で変わった私の邸宅を見ていると結婚を実感して妙な気持ちになった。
エリーゼは階段を駆け下りてくる。それに私は「ゆっくりで大丈夫だ」と言ったがエリーゼには聞こえていないようだ。
ブラウンのベストにそれとセットアップのスカート、白いシャツに白い手袋の姿のエリーゼはクラシックで美しい。良く似合う。黒い髪が揺れて、グレーダイヤモンドが光った。
「準備できたわ。行きましょう」
エリーゼは笑顔でそう言う。そんなに笑ってるのを見たのは、出会った時以来か?
図書館について、会員証を見せて。そこで私たちは解散。お互い求めるものが違うのだ。無理にどちらかを付き合わせることも、わざわざ二人であちこち回るのも必要ないと私たちは判断した。
古本の匂いとスーツの糊の匂い。図書館を感じるそれに私は顔を顰めた。
私はさっさと必要の資料を手に取り受付にそれを貸し出してくれるように手続きした。借りた本をトランクに入れて椅子に座った。エリーゼを待つために。
しっかし、エリーゼは遅かった。図書館に入って三十分はかかってるのにまだ戻ってこない。ずっと受付を見ているからエリーゼが本を借りてさっさと出ていったという可能性は低い。仕方なく、私はエリーゼの元に向かうことにした。どうせ文学コーナーにいるのだろう。私は文学コーナーに足を向けた。
文学コーナーは、まるで迷宮だった。海外文学コーナー、純文学、時代小説、官能小説。その中にも作家順、歴史順、中には出版社順ともうそれはそれは無限に本が並んでいた。私は科学関係の本棚しか見ないので何となく、どれがどこにあるかわかっている。けれどここは到底わかるはずもなく私はほぼ迷子だった。エリーゼ、と呼ぶ訳にもいかず仕方なく本棚を一列ずつ見て回った。
エリーゼがいたのは、ロマンス小説コーナーだった。やっと、やっと見つけた。と私は疲弊しながらエリーゼに近寄った。
「君、ロマンスなんかに興味あったのか?」
私がそう言えばエリーゼは肩を揺らし、こちらを見もせずに本を棚に戻した。
「博士、もう見終えたの?」
「あぁ、もう借り終えた。君は?」
「もう?まだ一時間もかかってませんよ?私はまだです」
エリーゼはこっちを見ない。それより、まだ一時間も経ってないと言ったか?エリーゼは本を借りるのに何時間かけるつもりなんだ?まぁこの膨大な量の本の中から気になるものを探すとなると、時間がかかるのだろう。
「仕方ない。付き合ってやる」
するとエリーゼはようやくこちらを見た。その顔は無垢な子供のように輝いている。
笑顔で私の手を引いて、あちこちの棚を見るエリーゼは心の底からの笑顔だと断言出来るくらい純粋で眩しかった。エリーゼが、喜んでる。それはかつて私がヒ素の反応をまとめたレポートを彼女に渡した時のよう。最近は見せなくなった笑み。エリーゼが笑ってる。私の手を引いて。私は何故か歯軋りをした。それに嬉しくなって興奮したからか、それか自分の本心に気づいてしまったからか。
私は強く願ってしまった。手袋のない素の手で、素の彼女に触れたいと。それを自覚した時には、もう、自分の欲に気づかないフリなんて出来なかった。
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