三話 交流
あの後、ヒ素が飲みたいと言った私に博士は散々ヒ素の危険性を話した。そして徐々に話が逸れて歴史の話、応用方法、使い道など長々話をする博士は本当に科学者なのだと実感させた。本当に楽しそうに話すから科学者は彼にとって天職なんだなぁと私が笑って話しを聞いてると博士は「とういわけでヒ素を飲むのは危険である」と纏めた。私は身を乗り出して言った。
「でもいいこと聞きました。ヒ素は緑のドレスに使われてて、舞踏会とかで汗で滲んで死亡者が出たなんて美しさは毒ですね」
あと、化粧品にも!と私がメモを取れば博士は笑った。珍しく笑ったのだ。
「私の話にここまで耳を傾けるのは君くらいだよ」
私は笑ってる博士をじっと見た。笑うとますます子供みたい。
「笑えたんですね」
そう言えばすぐさま真顔に戻す。あー可愛かったのに。博士は私から視線を逸らして顔を顰めた。
「まぁ、私も君は知らなかっただろうが人間なのでね」
私は笑った。皮肉的な、でも嫌じゃない物言い。
外では馬車の音が響き、工場の黒い煙が空を侵し、煤けた霧が窓辺に薄く貼りついていた。蒸気機関車の汽笛、商人の声が街に響く。それに視線を移していると、博士が話し出した。
「それより、ヒ素を諦める気になったか?」
私は顔を顰めて「うーん」と唸ったあと頷いた。
「なりました」
博士は鼻で笑う。
「返事が遅かったな」
それはそうだ。私だって作品に妥協なんてしたくない。けれど、博士がここまでヒ素を摂取するのを勧めないなら、本当に危険ではあるのだろう。まぁ、死んで作品が書けなくなってしまったら意味ないので諦めるか。
「そう言えば君はエリザベート、と言ったか?」
「エリーゼでいいです」
「随分いい名前をつけてもらったんだな」
「祖母の名前です」
「お母様は元気か?」
「亡くなりました」
「そうか。私も母を最近亡くしたよ」
心配する素振りも見せずに淡々と自分の母を亡くしたと言う。それから対して深堀もせずにコーヒーを飲む。
居心地がいい。対して深く話もせず、でもお互いを少しずつ知り合うこの感じが。女性作家と聞いたら深堀したがる男ばかりだから。でも、この博士は科学しか頭にない。それは気が楽だった。
「私、今日夜パブに行くんですけど来ますか?」
私が軽い気持ちでそう言えば博士は「そうだな。行ってみよう」と言うから驚いた。てっきり断られるのかと。断れる前提で言ったつもりだった。
「なんだ?断って欲しかったのか?」
顔を顰めて腕を組む博士に私は慌てて訂正する。
「断られると思っただけで、来て欲しくないわけじゃなくて」
早口で捲し立てれば博士はふんと鼻を鳴らした。子供みたいな人。博士はメモを取り出して、どこのパブなのか聞いた。私がいつも行くパブの話をすると博士はなんとなく場所を理解したようだ。黒い手袋越しにペンを握りさらさらと場所をメモする。
「ヒ素の、」
博士は口を開いた。
「ヒ素の反応をまとめておく。人間では実験出来ないが、モルモットでどんな反応が出るかまとめておくよ。それで我慢してくれ」
素っ気ないのに、私のためにそう言ってくれる博士に感極まって、私は博士の手を握って感謝した。呆気に取られた博士の顔は面白かった。
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