二話 煉瓦色のカフェ
早足に先へ先へと歩くステュアート博士に女だからエスコートしなければという気遣いは少しも見えない。それに私は少し気を良くして、ヒールの短いパンプスで駆けた。かつかつ音が鳴る。すると、少しステュアート博士が振り返るから多少の常識はあるらしい。その冷たいターコイズの瞳が私をひんやり映す。博士は煉瓦色のカフェの扉を開けた。雰囲気のいい、気持ちのいいカフェ。それに少し博士の人間味を感じる。
博士は慣れた足取りで一番奥の暗い席に座る。私もスーツスカートを抑えて席についた。博士はメニューに目も通さず私にメニュー表を寄越す。
メニューに目を通し、注文するものを決めればそれを悟った博士が従業員を呼ぶ。博士はコーヒーを、私は紅茶を頼んだ。コーヒーはあんまりこういうカフェで頼めるものではない。そして確かにメニューにコーヒーなんてなかった気がする。となると、このカフェは博士のためにコーヒーを用意してるのか。コーヒーといえば、議論の場や、情報交流、政治談義の所謂男のための場所で飲む飲み物であり、労働者たちが覚醒するために飲むものであった。私もあんまり飲んだことがない。
博士は、飲みずらそうに顔を歪める。
「そんなに飲みたいなら頼めばいいだろう」
私は顔を上げた。
「え、私も頼んでいいんですか」
「好きにしろ」
私は知らんと博士はコーヒーを飲んだ。結局私はコーヒーを頼まずに紅茶を頂いた。
「で、さっきの話だが」
私はそこで本題を思い出す。
「君はヒ素を飲みたい……と?それは、希死念慮によるものか?」
私の馬鹿みたいなお願いを真剣に取り合う博士の真面目っぷり。私は笑った。煉瓦色の壁には煤けた跡、窓の外には蒸気と煙が混ざった空気、馬車の蹄の音が遠くに響く。
「いいえ。好奇心ですわ」
「ふむ。好奇心は猫をも殺すと言うな。して、なんのために?」
私はトランクから原稿を取り出して見せた。
「私作家でして。ヒ素を飲んだ時の反応のリアリティを増したくて」
博士は丸いメガネをくいっと動かして原稿を見た。対して読みもせずに私に突き返してきた。
「ヒ素を飲んだ時のリアリティを知る者は少ないのでは?」
「そうなんですけど、私が気に食わなくて」
博士はめんどくさいと目を細めた。私はこの話を一旦終え、博士の気が変わるまで別の話をすることにした。
「ステュアート博士はなんの研究をなさってるのですか?」
「フレッドでいい。ステュアートなんて堅苦しい。私は人間の死に興味があって、それをまぁ、気になっては研究してを繰り返してるよ」
今は電気で死体を生き返らせる研究……などと聞こえたけどまぁ、科学者とは変わった生き物なのだろう。私は苦笑した。
その後もいくつか質問をして博士と話をした。博士のする話は知らないことや新しい考え方で聞いていて面白い。だんだん表情が柔らかくなる博士。私も久しぶりにこんなに笑ってる気がする。
「君は聞かないんだな」
「?なにをですか」
「私の年齢や生い立ちを」
「それなら博士もじゃないですか」
「気になるか?私の年齢」
「話したいならどうぞ」
「勘違いされたままだと嫌だからな。私は今26歳だ」
「若いですね」
「そうか?そう言う君は」
「39歳です」
博士は目を丸くする。
「思ってたより歳上でした?」
私が笑っていえば博士はぽかんとしたまま「てっきり年下かと」と言うから笑ってしまう。
「じゃあどう足掻いても君の前では私は子供なわけだ?」
「こんな可愛げのない子供が居て堪りますか」
博士はコーヒーを飲んだ。
「博士こそ聞かないんですか?」
「なにをだ」
「女がスーツ着て何してるんだって」
博士はちらりと私のスーツを見た。少し不格好な私のスーツ。
「君らしいから別にいいだろ」
思いもよらない発言に私は笑いだした。居心地がいい。
博士のターコイズは興味深いと私のグレーを覗き込んだ。そして、笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます