第二章 電車(1)
<火曜日>
平日午前中の博物館は人もまばらだった。時々、普段見ることのない彼女の容姿に、老人から無遠慮な視線が向けられていた。
「この街は、戦国時代の遺物が多いのね……」
薄暗い展示室の鎧や刀を眺めながら、彼女は言った。
「まあね、当時は戦略的に重要な位置にあったらしいから……」
何気なく答えたが、彼は、日本史にはまあまあ造詣が深いと自負していた。
やがて、極彩色の大皿の前のソファに、二人は腰を下ろした。
「戦国時代にも、時間転送したことはあるの?」
ふと思い付いて、彼は尋ねた。彼女ではなくても、実際の戦国武将、例えば、水野勝成に会ったことのある同僚がいるのなら、勝成が本当はどんな人物だったのかを聞いてみたいと思ったのだ。
「ないわ」
彼女は即座に答えた。
「私達は歴史を管理する側だから、改変する側が興味を示さないところには行く必要がないの。日本の戦国時代には、特に世界を変えるような要素はないんだと思うわ」
……世界を変えるような要素はない……彼は肩を落とした。まあ、確かに、日本の中で覇権を争っていただけで、世界からは殆ど孤立していたわけだが……
彼の失望ぶりが伝わったのだろう。慰めるように彼女は言葉を付け足した。
「まあ、小物を送って、微妙な改変には成功しているかも知れないけどね」
「成功している?」
「ええ」
「君たちが、阻止できない場合もあるってこと?」
「まあ、そうね」
彼女は肩をすくめた。
「質量の小さい時間転送物にはなかなか対応できないの」
「どういうこと?」
「言ったでしょ? 皿が極々小さかったら、流れは一瞬でそれを迂回して、微妙に違う歴史が定着する。私のようなエージェントが干渉する暇がない」
そう言われて、彼は、数百年前に作られた目の前の皿に目をやった。
「そうなんだ……」
「……ただ、それをしたところで、改変を自在にコントロールできるとは思えないけどね……」
彼女も皿を見る。
過去に送られた小物……不意に思い当たることがあって、彼は思わず彼女を見た。
「じゃあ! じゃあ、オーパーツとかも、未来から転送されたもの? 『聖徳太子の地球儀』とか。あの、飛鳥時代の物なのに、南北アメリカや南極大陸まで刻まれているヤツ!」
彼女は反射的に身を引く。
「オーパーツ? あー、あれは多分違うと思う」
「何で?」
「時間が迂回し切れば、転送された物体は……」
ほんの一瞬間があった。
「……消えてなくなるそうだから……」
「消えて……なくなる?」
「そう。私も直接見たことはないけど、実験動画では、一瞬光って跡形もなく消えたわ……」
「何で?」
「さあ、私達にも分からないことはあるわ。世界が時間的ノイズを排除するための仕組みと言う人もいる。対消滅にも似てるけど、全くエネルギーが生じないから、きっと違うのよね……」
その後も、彼女は消滅する原因についていくつか候補を上げていたが、志音の耳には入っていなかった。光って、跡形もなく消える……?
「アミカナ?」
志音は彼女の言葉を遮った。
「……実は、一昨日、植え込みの中で妙なものを見つけたんだ。掌に乗るぐらいの、黒いドーナツのようなリングに、九つの赤い目が付いていて……。そいつからは、ある緯度・経度を機械的に読み上げる声が繰り返し流れていた……」
浮き彫りになった奇怪な目が、たった今見たように思い出される。
「僕が見ていると、そいつは急に光って、跡形もなく消えた。本当に、跡形もなくだ。一瞬、幻を見たのかと……」
彼女は眼を見開いた。顔色が青ざめていくように見えた。
「……で、その緯度・経度がどこかは分かるの?」
「ああ、僕がよく行く公園に、どういう由来か分からないけど、その地点の緯度・経度を記した碑があってさ……」
「……まさか?……」
「そう、それが、あの巨大な銀色の球体が出現した公園なんだ……」
彼女の唇は震えていた。目を閉じるとゆっくりと息を吐く。その息も震えているように、志音には思えた。
「……なんてこと……」
そう言うと、彼女は先程までとは全く別人の鋭い目つきで志音を見る。
「……それは座天使(スローン)。メタクニームのシンボルよ」
そして彼女は天を仰いだ。
「既に何か仕掛けられている!」
「……どういうこと?」
ピンと来ない顔の彼を、彼女は睨んだ。
「未来から送られてきた何かが、ある緯度・経度を告げた後、光って消えた。それをあなたが覚えているということは、時の流れがそいつを迂回し切ったってこと! 歴史が改変されたのよ!」
「改変って……一体それで何が変わったのさ?」
彼が言い終わるのを待たずに、彼女は自身の鼻先に人差し指を当てて考え込んだ。
「事前情報に、スローンの話はなかったわ……。どうなっているの?……。本来、あなたはそんなものを見てはいないはず。だとしたら、奴ら一体何を……」
彼女は床の一点を見つめ、そこから極めてゆっくりと彼の顔に視線を移した。
「……あなた、そこに行ったわね?」
詰問するような低い声で、彼女は言った。
「あの球体が出現する瞬間を見たんじゃない? 自分が知っている緯度・経度を言われたんだもの。そこに何かあるのか、確かめたくなる。そうでしょう?」
そう言われて、彼は思い出したくないものを思い出してしまった。全てのものが輪郭を失うような凄まじい閃光と、肌を切り裂くように吹き荒れる砂塵、大気が電化する鼻を衝くような異臭、そして、耳をつんざくような叫び――いや、歌か?
余りの鮮明さに、彼は口元を押さえた。鼓動が不規則に脈打ち、冷や汗が吹き上がる。
彼の様子の変化に気付いた彼女だったが、特に表情を変えることはなかった。急に立ち上がる。
「あの球体、もっと詳しく観察するわよ!」
そのまま展示室を飛び出そうとする彼女の腕を、志音は咄嗟に引いた。引き留めるつもりだったが、しかし、体勢を崩したのは彼の方だった。
「無理だよ! 非常線が張られてるのは、昨日見ただろ? あれより中には行けない!」
よろめきながら言う彼に、彼女は微笑んだ。
「観測点なら探してあるわ」
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