#2 私をどうしたいの
「「いただきます。」」
夕食はお母さんと一緒に作って一緒に食べる。我が家の決まりとかじゃないけど、自然とそうなってた。
お母さんのことは本当に好き。尊敬してる。女手一つで私を育ててくれて、お仕事もしっかりしてて。私の事もちゃんと見てくれてる優しい人で。…だから、私もちゃんとしてないと駄目なんだ。
「ねえお母さん……変な事聞くけど、お母さんって、誰かに踏まれたりしたことある?」
「……。どうしたの理央。いじめられたりとかじゃ、ないのよね?」
滅茶苦茶心配そうな表情を向けられる…冷静に考えたらそう思われてもおかしくないじゃん。何言ってるの私…。
「いやいや違うよ!?ちょっと気になったっていうか…。」
「そう…?踏まれる、ねぇ。電車の中で足を踏まれたりぐらいしか思い浮かばないけど。」
「そりゃそうだよね…ごめんね、ほんとにいじめとかじゃないから。ごちそうさま。」
逃げるみたいに自分の部屋に行って、勉強机に座る。
…昨日、あの後。教室からは本当に逃げだしてしまった。何も言葉が出てこなくて、どうしていいか分からなくて。
いじめ…私、芦田 理央は中学校までは本当にいじめられてた。父さんは…あの男は酒癖も女癖も悪くて、外でも騒ぐから近所で有名で。……そんな人の子供がどうみられるかなんて決まってる。いじめの経験談で検索したら出てくるような、よくある話。
そんな奴らをテストの成績で見返したい気持ちも…まあ、あったのかもしれない。
「いじめ…沙織さんは、そういうのじゃないよね…?からかってるだけ、だよね…?」
願望の籠もった独り言が漏れる。
…ぼーっとしてても良くないことばっかり考えちゃう気がする。夕食の後片付けしてから、勉強しよ…しなくちゃ…。
お酒に溺れて、仕事をクビになって、お母さんを何度も泣かせて。全部壊して死んでいったあの男みたいにならないようにしなきゃ。
次の日の朝の電車。いつもみたいに俯いてると、他人の足を見てるだけでまた顔が熱くなる気がして。私は逃げるみたいにずっと目を閉じたままだった。
電車の中で勉強?しないしない、混雑した車内でのマナー大事。
駅から学校までの通学路。自分の足が目に入るだけでも色々考えちゃう。どうして沙織さんはあんなことしたんだろ…。
「おはよう、理央。」
「あ…おはよう、沙織さん。今日は一緒の時間だったんだね。」
小柄さを活かして横から私の視界に割り込むみたいに声をかけてくる高梨 沙織さん。これでびっくりしないぐらいにはもう慣れちゃった。
顔の良さと、揺れる長い黒髪の綺麗さにはどきっとするけど…。
沙織さんとは電車の方向が一緒だけど、同じ時間に同じ車両に乗ろうね、とかはそういう事はしてない。どうせ電車の中じゃそんなにお話できないし…マナー、大事。
「昨日のまりもハンター特集番組は観たかしら?」
「え…ごめんね、見てないや。…特集番組できるぐらい流行ってたっけ…?」
沙織さんは本当にもういつも通り。昨日のことなんて、無かったみたいに。……なんで?
もしかして私、勉強で寝ぼけて夢でも見てた…?
私だけ悩んでるみたいで納得いかないけど…自分から昨日の話をする勇気は出なかった。
気付いたら昇降口まで着いてて…隣で靴を履き替える沙織さんの足を、ついじっと見つめてた。
こんなの何度も見てるはずなのに、今まで何とも思わなかったのに。靴を脱いだ時に見える黒ハイソックスの足も、スノコに足を乗せた時に滲んだ汗の跡も…何もかも、何かが違って見えて。不自然に喉が渇く。
「今更私に見惚れた?」
「…そ、そんなことないし。いや、まあ、沙織さんは美人だけど。」
「そうね、自覚してるわ。」
この人はほんと当たり前みたいにこういう事言う…照れもしないから私だけダメージを受けた気分になる。納得いかない。
見惚れてた、のかな私…。いや、だって足だよ…?私にも生えてるよ…?
「よお、低梨。」
朝の昇降口の雑踏の中、そんな風に沙織さんをからかった男子から
「死になさい。」
鈍い音が響いた。
沙織さんの強烈なローキックで悶絶して崩れ落ちた男子がガチ泣きした。
「さ、沙織さん…今の…?」
「カーフキックっていうのよ。神経を壊すつもりでふくらはぎを蹴るの。貴女も練習する?」
何事も無かったみたいに言う。沙織さん??
「キックの解説じゃなくてね…?」
…うん、やっぱり私はこんな凶器に見惚れてなんかない。ちょっと鳥肌が立った。ていうか沙織さん、何者なの…。
少し過ぎてお昼休み。私はいつも通り、図書室の窓際の席で勉強中。
沙織さんの事ばっかり考えて授業に集中できない…なんてことは別に無かった。好きじゃなくても習慣っていいものだね…真面目に生きてると良い事があるんだ…ある、はず。
「本当いつ見ても勉強してるわね。」
「あ…沙織さん。」
いつの間にか対面に沙織さんが座っていた。…よくあることじゃん、意識しないの、私。
「理央はどうしてそんなに頑張っているの?」
「どうして、って…沙織さんには話した気がするけど。お母さんに心配かけたくなくて、いい所に就職したいって。」
「心配かけたくない、ね。どうしてそんなに?」
どうして、って…?そんなに不思議に思われる事かな…?
普通の事を言ってるつもりなのに、沙織さんの声はなんだか面接とか、尋問とか。そういうのみたいで。
「普通に親孝行、みたいな…?」
つい首を傾げて、困ったような声が出ちゃう。
「じゃあ、理央はそれで――」
不意に沙織さんの言葉が途切れた。不思議に思って沙織さんの目を見ると…沙織さんの方が私のノートを見て、目を合わせてくれてなかった。何か、失敗した、みたいな。いつも自信満々な沙織さんが、何か言葉を飲み込んだみたいな。こんな沙織さん、初めて見た。
「沙織さん…?」
「…理央の、お母さんって。何の仕事をしているの?」
人付き合いの少ない私でもわかる、何かを誤魔化した感じ。
「詳しく内容までは聞いてないけど、製薬会社で働いてるって…高梨製薬、だったかな?私のお母さんがどうかした…?」
「……何でもないわ。ごめんなさい、邪魔したわね。」
そのまま席を立とうとする沙織さんを見て、一気に不安が押し寄せる。
何でかわからないけどさっきの沙織さん、寂しそうな、悲しそうな。そんな風に見えて。
「待って、その…私、沙織さんに嫌な事しちゃった…?」
心当たりはある。昨日逃げだしたこと。でもあれは、沙織さんが急にあんなこと、するからで。
心臓がうるさい。不安のせいなのか、昨日のことを思い出したせいなのか。それとも。
「ていうか、何でもないって…ずるいよ。あんなこと、したのに。何でもないみたいに振る舞ってて。沙織さんは、私をどうしたいの…?」
それとも、何なのか。わかんない。
わかんないから、聞くしかないのに。
「そうね、這いつくばって私の足を舐めたら教えてあげるかもしれないわね?」
沙織さんだけ勝手にいつもの調子に戻って。私をからかうみたいにそんなことを言うんだ。
「…図書室でそんな事したら私の学校生活、終わっちゃうよ。……図書室じゃなかったらいい訳じゃないけどね!?」
だから私も、いつも通りみたいに振舞って。
「そ、残念。私のことを知るチャンスを逃したわね、理央。」
悪戯っぽく笑ってから去っていく沙織さんの足を、見送ることしかできなかった。
5限目の予鈴の音よりも、なぜか沙織さんの足音の方が耳に残っていた。
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